横須賀ブロークンアロー(下)

横須賀ブロークンアロー2

(「横須賀ブロークンアロー(上)」のつづき)50年以上前に長崎に住んでいたことがある。平和公園に行った記憶もかすかに残ってはいるが、もちろん長崎の史実など知る由もない幼な子の頃である。あの日から72年も経ってしまうと、メモリアルデーも淡々と過ぎてしまう。ここ横須賀も先週末は「よこすか開国祭」でベースや海自の基地が開放され、北朝鮮の挑発なんてどこ吹く風、どうせミサイルなんか飛んで来ないだろうと近代兵器の見学に多くの人が興じていた。そんな世間様にとって、ヨコスカに水爆が保管されていたらという本書のプロットは、「あっ、そう」くらいの反応しかないのかもしれない。だって広島・長崎どころか、あの戦争をリアルに知る者たちがあとほんのわずか。人間という生き物は経験・体験をしないと本当の学習をしない。戦争のコトを自分も含め戦争を知らない者が教わったところで知識以上の何かを得ることはできない。ただその知識を使ってイマジネーションを膨らませることはできる。世界の指導者たちはほとんど戦争知らない世代だし、1万キロ以上離れた国のイカレた殿様たちに、人類の未来をイメージする力があるとも思えない。戦後70年以上たった今、「3度目の正直」のリスクが高まることは歴史の必然なのかもしれない。わずかではあるが人類の理性と想像力を信じて話を進める。

横須賀秘密の基地
ここに水爆は共同保管されているのか?
左は海自司令部、右の奥は米海軍浦郷倉庫地区(長浦湾を望む)

1世紀半以上軍都としての役割を担い、様々なベールに包まれている横須賀。本作にも登場する秘密の地下道の噂もその一つ。拙宅周辺を散歩していると、ベースや自衛隊基地と何気ない一軒家が地下道で繋がっているのではないかと想像しちゃうことがある。ちょっと怪しげな空気漂う民家もあるのだよねえ。最近、高齢化と人口流出で空き家問題がクローズアップされる横須賀だが、軍のカモフラージュにはもってこいの環境かもね。

Google Map Yokosuka2
今じゃ軍事施設も衛星画像で誰もが見れちゃう.北の連中もね.ズームすれば駐車するクルマの車種すら判別できる.本当に隠すのなら地下なんだよね.

先日は、衝突事故に遭遇した米海軍のイージス駆逐艦を自宅から撮影・報告させてもらったが、裏横須賀を仕切る謎の老人、雑加(さいか)が語る戦前・戦中の横須賀の状況を知ると、曲がっているんだか真っ直ぐなんだか、さっぱりわからない横須賀奴気質の背景が少しわかった気もする。当時はお外で家族のスナップ写真どころか、三浦半島全部が写真撮影、測量、写生を禁じられていたそうだ。三浦半島内をカメラなんか持ってうろついていたら、たちまち私服の特高にしょっぴかれた。私のように基地全景の写真を撮ろうものなら、確実にスパイ扱いで生きてシャバには出て来られなかっただろう。地図を見ても、三浦半島だけ真っ白だったと雑加は語るが、少なくとも等高線や横須賀線、京急のトンネルは記載されていなかったようだ。当然軍事施設は空白だった[1]。以前、戦前の横須賀市が作成した測量資料を見せてもらったことがある。三浦半島の幹線道路や上下水道などインフラ網を記した貴重な図録だ。当時の機密情報、もちろん海軍司令部だか横須賀鎮守府だかの検印が押されたものだった。検閲なしの、戦前の横須賀の日常生活の記録は、住民の記憶以外ほぼ皆無なのだろう。ペリー来航以来、否応無しにこの国の、そして世界の軍事戦略に組み込まれたこの田舎町の住民は、常に周囲から怪しまれ、生活の制限と監視の下に暮らしてきた訳だ。戦後は表向きフツーの地方都市になったものの、まだまだ立ち入り禁止エリアは多いし、平成の今でも事実上の占領地であるベースに自由に立ち入ることはできない。その機密を盗み取ろうとする諸外国の間者や反米・反戦活動家なども新たに入り込んで、さらにこの街は複雑な色に染まった。

2017横須賀の一日1
先月のとあるクソ暑い一日.散歩がてら好調ベイのファームを見にコアのファン集う総合練習場へ.
2017横須賀の一日2
将来のエース候補?もこんな至近距離で見られるんだ.
2017横須賀の一日3
でもそのすぐ真横が立ち入り禁止の軍事施設.これが横須賀.

つまり横須賀という土地は、その存在そのものを肯定され否定され、周りから右に左にと振り回され続けてきた歴史を持つ。だからこの街の住民は、地元に誇りを持ったり自虐的になったり。そんなどっちつかずの複雑な心理が、日米職業軍人も軍属も、そして一般市民も公僕も、曲がっているようで芯のある、真があるようで捻くれている、他者からみれば変人に思える奴(やっこ)を育てるのかもしれない。でも、私もこの作品の登場人物も、そして作者・山田深夜も、一癖あるこの街や奴に強く惹きつけられている。

主人公・石渡には、公安捜査の過程で関係を築いた横須賀の協力者、地元の自警団ともいえる組織P(パマシュ)の存在があった。そのPが設立された経緯を語るリーダーとの会話。

「Pにはパトリオティズム、ってものも含んでるんだよ。」
「パトリオティズム?パトリオットが愛国者だから、愛国心、か?」
「たしかにそう訳されることが多いが、おれたちは『郷土愛』と解釈している。ナショナリズムは民族主義で排他的だが、パトリオティズムは、その郷土を愛するのなら文化も人種も、宗教も問わないんだ。だからメンバーには外国人も多い。みんなこの街を愛し、守りたいと思ってるんだ。」
(本書より)

最近、特に政治家やその周辺が「愛国心」や「道徳」という言葉を好んで使うようになった。このような言葉に敏感な勢力もまた、「友愛」とか「平和」といった言葉で抵抗する。言葉の概念自体はそれぞれ大切なことだとは思うが、それらの言葉を多用・濫用する人たちを私は少々胡散臭く感じる。某学園長がまさにそうだよね。元宇宙人総理はどこで何をしているのだろう。反戦・平和活動で威勢の良い人たちは北朝鮮の挑発に抗議しないのだろうか。戦後生まれのフツーの日本人は、普段愛国心とか世界平和とか、そんな堅苦しいことを意識しながら生活してはいないだろう。

生きる
生きる』(福音館書店)より

朝起きると、窓の外にはいつもと変わりない風景がそこにある。お昼休み、近所のお気に入りの定食屋にする?カフェにする?今日は神社の境内で蝉取りでもしようか、川で釣りでもしようか。週末の花火大会、彼女どんな浴衣着てくるのかな。蒸し暑い真夏の夜、残業で遅く帰宅する。大の字になって寝ている子供たちの寝顔を見て疲れが吹き飛ぶお父さん。等々・・・。

多分毎日、家事や仕事、学校のこと以外、その程度のささいなことの連続だ。浮気してるって?自己責任でお好きなように。軽い?でもそれでいいじゃないか。その些末な日常、当たり前の人間くさい暮しがあるからこそ、様々なことにも安心してチャレンジできる。それがパトリオティズム。自分が住んでいる、働いている、遊びに行く馴染みの地域、あるいは育った土地のことを愛し、そこで生活する家族や仲間や知り合いがいつも元気に笑顔で過ごせることを望む感情や行動規範みたいなもの。時にルールを踏み外す者がいれば、親とか先生、警察だけでなく、誰かが説教をしてコミュニティの秩序を保つ。喧嘩をしても、飲んで食って歌えば両成敗。

横浜vs秀岳館
横浜負けちゃったね.キャプテンの3ランで横浜の流れだったのだが….いい試合だった.相手は学生時代を過ごした熊本代表なので複雑だったけど.(2017.8.11夏の甲子園 横浜vs秀岳館)
出典:https://mainichi.jp/graphs/20170811/hpj/00m/050/003000g/7

誰かに強制されるでもなく、そういう風土や秩序は『郷土愛』から自然に生まれ、『郷土愛』はそこに住み続けようが離れようが、普遍的なものである。憲法とか教育勅語から培われるもんじゃない。高校野球で地元球児を応援するだけが『郷土愛』でもない。タバコやゴミをその辺にポイ捨てしないなんてこともそう、みんながその土地土地をフツーに大切にすることの結果が「愛国心」や「道徳」「友愛」「平和」ってことなんじゃないかと思う。だから敢えてこれらの言葉を使って説いて回るような人は、多分それぞれ違う目的があって、こういう言葉で“偽装”しているのだ。その偽装に騙される人は『郷土愛』を失っている人なのだ、きっと。そのような人たちに限って、他者に対して言動も高圧的で暴力的、そこには寸分の愛も感じられない。公安警察もまた、そういう人たちの間で振り回されているのだろう。

とここまで書いてふと考えた。郷土愛=パトリオティズムが、あるいはそれだけが我々がこの世界で暮らしていくための源泉なのか。で、もう一つ忘れていた言葉がある。それが「自由」。愛国心コテコテのアメリカ人が何よりも尊重するのがこの“Freedom”、“Liberty”って概念だ。諭吉さんが西洋で学び、初めて日本に導入した言葉。これも使う人たちによっては怪しいちゃ怪しい。日本じゃ「自由奔放」とか「あいつは自由すぎるんだよな」ってあまり肯定的に使われないように、まだまだ日本人の精神や行動様式には定着していないが、特にアメリカ人はこの「自由」を守るためには武器を持って戦うことも辞さない。やたら強権で制約をかけようとするトランプ政策で国が二分するのも、北に対して強硬意見が出るのも、それらが自由の敵だからだ。自由とは自分勝手に生きることではない。自分の考えを持つ、自分の意志で行動する、そうすることが出来る権利だと私なりに解釈している。だからアメリカ人は自分の意見を持たない、自分のスタイルを持たない、自ら行動しない奴を軽蔑する。その権利を奪う奴を決して赦さない。映像でみる限り、北朝鮮人民の大半は完全にロボットだ。まあ、その自由を守るという正義感振り回して、アメリカは多くの人に喪失感を与えて来たのだけどね。



先日、テレビを観ていたら池上彰が「憲法と自衛隊」について解説するバラエティをやっていた。ある芸人タレントが「(憲法における自衛隊の解釈について)池上さんはどう考えているんですか?」と質問をすると、「私は自分の考えは持っているけど、この番組では皆さんが考える材料を提供するだけだ」と持論を語らなかった。それに対してその芸人さんは「でも、池上さんが一番正しいとぼくは思ってるんです」「たぶん全国の人も思っている」と発言を促した。池上氏は「それが一番危険なんですよ」とピシャリ。「自分で考えないで『池上がなんて言うんだろう』『それに従おう』っていうのが、民主主義では一番いけないこと」と、まさに「自由」の権利を放棄する発言に強烈なダメ出しをしたのだ[2]。誰かの意見、アクションにすがる思考停止、待ちの姿勢の傾向にある日本人への警鐘ともとれる。安倍首相とその取り巻きは、そんな人心を巧みに利用して、「自由」「民主」の名の下で国民の自由を制約しようとしているのではないか。特定秘密保護法然り、共謀罪然り、公安が黒子としてではなく、いろいろなカタチで表舞台に出始めているってことにも、その気配を感じる。国のためと命を懸けてきた石渡は、そんな公安組織の矛盾に悩み、国家と個人の狭間で揺れ、最後は「郷土愛」と「自由」のために生きることを選択したように思えた。アメリカの影響を受けやすい横須賀奴は、自由の敵にもうるさいやんちゃなお馬鹿さんのところがある。

やんちゃなお馬鹿さん

この本をきっかけに最近読み始めたのは、積ん読状態だった同じく間諜物『プラチナ・ビーズ』(集英社文庫)。またまた横須賀も関わってくる、北朝鮮と米国の諜報戦。1999年初版の小説だが、今読むと余計にリアリティがある。北の工作員もこの辺、うろちょろしているのだろうか。彼らの暗躍は、小説やテレビの世界だけにして欲しい。

こういう時だからこそこの夏、故郷や実家に帰って、自分のオリジンを再確認してみてはどうだろう。考えがぐるぐる回るどっちつかずの迷える横須賀人、真夏のひとりごとでした。





[2017.8.15追記]

1億みな防諜だ
ちょっと面白い資料みつけたので.
恐怖を煽るつもりはないけれど、72年前はこれが当たり前だったということ.今の北朝鮮と変わらない.
出典:「空襲から絶対逃げるな」トンデモ防空法が絶望的惨状をもたらした



[参考・引用]
[1]地図で読む戦争の時代、ブックナビ、2011年5月12日、
http://www.book-navi.com/book/tizu_imao.html
[2]池上彰氏が陣内智則のコメントを厳重注意「それが一番危険な考え」、livedoorNEWS、2017年8月5日、
http://news.livedoor.com/article/detail/13433000/
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[ 2017/08/12 12:08 ] bookshelves/本棚 | TB(0) | CM(0)

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