JOSEF, THE INDY CAR DRIVER

先月末、元F1ドライバー、佐藤琢磨がアジア人ドライバーとして初、インディ500(インディアナポリス500マイルレース)でチャンピオンの栄冠を手にした(もう40歳なんだね)。佐藤は2010年からインディカー・シリーズ(※2)に参戦し、2014年シーズン第3戦で日本人として初めてトップフォーミュラカー・レース(F1、インディ)での優勝を果たしている[1][2]。しかし、今回優勝を果たしたインディ500は、F1モナコGP、ル・マン24時間レースとともに世界三大レースといわれるインディカー・シリーズの中でも特別なレース(「F1のチャンピオン」参照)。昨年が100周年(開催は95回目)の記念レースだったので、インディ500史上、新世紀最初のウィナーとして日本人レーサーが名を刻んだ。米人記者が「日本人が勝ったのは不快」と人種差別的発言も飛び出して大騒ぎになったが[3]、それだけアメリカ人の魂ともいえるレースだということ。トランプを選んだ国なので、その程度の差別意識を陽に陰に抱く輩は珍しくない(言わせておけばよい)。一方で、実力を素直に認める国でもあるから、大袈裟に騒ぐほどのことではないと思う。そのヤンキー魂に火をつけるインディカー・レースの中で期待されている若いアメリカ人レーサーがいる。今回のインディ500では19位に終わった[2]ジョセフ・ニューガーデン(Josef Newgarden)がその人。ジョセフが子ども向けにインディカー・レースを解説する絵本“JOSEF, THE INDY CAR DRIVER”(Chris Workman・作、Josef Newgarden・協力、Apex Legends)が本日紹介するクルマ絵本。佐藤琢磨優勝ニュースの後、「インディ×絵本」でググったらこの絵本が見つかったのだ。

(※1)2014年から大手電気通信事業会社のベライゾン(Verizon)社が冠スポンサーになったため、現在の名称はベライゾン・インディカー・シリーズ[1]。

インディ500に優勝した佐藤琢磨
インディ500に優勝した佐藤琢磨[3] from USA Today Sports/Reuters

Josef Newgarden
Josef Newgarden
出典:http://www.indycar.com/Series/IndyCar-Series/Josef-Newgarden

ジョセフ・ニューガーデンは1990年生まれの26歳。本書によれば、彼のレースデビューは、街中で友だちと遊んだ“Motorized Scooter”レースだったという。Motorized Scooterとは原付キックボード、あるいは立ち乗りスクーターの類だ。1985年に発売された“GO-PED”が代表的なものである[5]。「レーサー」としてのスタートは13歳から始めた王道のカートだ。2006年にはカートの大会で2つのタイトルを獲得し、本格的なレーサーへの道を歩む。その後いくつかのカテゴリーで世界を転戦した後、2011年にアメリカに戻ってインディーカーの下位カテゴリー、インディ・ライツに参戦、この年のシリーズタイトルを獲得している。翌2012年シーズンから、サラ・フィッシャー・ハートマン・レーシングチームのドライバーとして、インディカー・シリーズにフル参戦し現在に至る。インディカー・シリーズでの戦歴は、CFHレーシングに移籍した2015年シリーズ、第4戦アラバマで初優勝、第10戦トロントでも優勝し、このシーズン2勝している。その後の2016シーズンは第10戦アイオワで1勝、名門チーム・ペンスキーに移籍した今シーズンは、第3戦アラバマで勝利しているが、上述のようにインディ500では下位に沈んだ[6]。

インディカーのサーキットコース
インディカーのサーキットコース(“JOSEF, THE INDY CAR DRIVER”より)

本書で「ジョセフ」が解説しているように、インディカーのサーキットコースにはいくつかの形態がある。インディ500で有名なインディアポリス・モーター・スピードウェイやフェニックス・インターナショナル・レースウェイ、アイオワ・スピードウェイなどのオーバル(楕円)コース、トロントや佐藤も優勝したロングビーチなどの市街地コース、そして大小のコーナーと長短の直線を組み合わせて減速・コーナリング・加速を繰り返すテクニカル指向の強いロードコース[7]として、アラバマ州バーミングハムのバーバー・モータースポーツ・パークや、本書の舞台となるウィスコンシン州エルクハート・レイクのロード・アメリカなどコースは多彩だ[8]。アラバマ(ロード)、トロント(市街地)、アイオワ(オーバル)でそれぞれ1勝しているジョセフはオールラウンダーのようだ。

P2Pボタン2
”push-to-pass”ボタン(“JOSEF, THE INDY CAR DRIVER”より)

インディマシンはF1と同様、車輪(スリックタイヤ)がむきだし(オープンホイール)のフォーミュラカー。マシンの特徴もジョセフがわかりやすく解説してくれる。面白かったのはステアリングに装着された”push-to-pass(通称P2P)“と呼ばれるボタンの機能。このボタン一つで50馬力増強のロケットブースターになるのだ。ストレートで先行車を追い抜くとき(あるいは後続車から追い抜かれそうになったときのブロック)に使うのだが、1レースで10回しか押せない。だから使うタイミングを選んで賢く使うのだそうだ(※2)。

(※2)2012年シーズンからのインディのエンジン・レギュレーションは、2.2ℓ以下6気筒以下ツインターボの直噴エンジン(現在はシボレーとホンダの2社供給)で、最高出力はコースやP2Pの使用状況に応じて550~750馬力、レブリミット(回転数の上限)は12,000rpm。ロード/市街地コースでは、ブースト圧(ターボチャージャーの力によってコンプレッサーを回し、エンジンへの吸気を圧縮したときの過給圧のことで、一般的に標準大気圧約100kPaから加圧された分だけを示す[9])を一定時間引き上げるP2Pを使用できる[10]。2017年シーズンからはブースト圧が50kPaから65kPaに引き上げられ(+15kPa)、これによって約60馬力の出力アップになるそうだ。また10回だった使用回数制限(作動時間は1回につき15秒or20秒)だったのが、今シーズンから回数ではなく、合計作動時間の制限に変更された[11][12]。

インディレース1
手に汗握るインディカーレース(“JOSEF, THE INDY CAR DRIVER”より)

絵本の後半はロード・アメリカで開催されるインディレースの模様が描かれる。24台中9番手でスタートしたジョセフのマシンが、次々にオーバーテイク(もちろんストレートでP2Pを使うシーンも)しながら先頭車両に迫る様は、まるで実況中継のよう。Chris Workmanのイラストはちょっとヘタウマでかわいらしいのだが、途中のクラッシュシーンやピットインでのタイヤ交換と給油の場面も含め(ピットクルーはそれを8秒もかからずにやってのける)、子供向け絵本にありがちなチープさはなく、レース現場のリアリティを忠実に再現している。シンプルでわかりやすい英語なので、私でも手に汗握るようなスリリングな興奮が伝わってくる。最後はジョセフがチェッカーフラグを受けるのだが、本書が発行された時点で、前述したようにジョセフ・ニューガーデンは2015年シーズンの2勝のみ。2016年シーズンはオーバルのアイオワ・スピードウェイで1勝しているが、ロード・アメリカでの優勝は2017年6月現在に至るまで達成されていない。どうやら本書は、作者(あるいはジョセフ)の抱く夢(目標)を絵本に託したようなのだ。

Chris Workman
Chris Workman
出典:https://www.amazon.com/Chris-Workman/e/B011L2NT94

作者Chris Workmanは絵本の制作も含め、モータースポーツのマーケティング&広告を手掛けるApex Legends社のオーナーで、1女2男の父親でもある。レース愛に満ちた彼は、子どもたちにも絵本を通じてレースカーに興味をもってもらおうと考えたが、世の中に彼の理想とする絵本がないことに気づいた。ならば自分で作ってしまえと出版したのが、彼の処女作“The Longest Day - A Childhood Race Adventure”だ。ル・マン24時間レースを観戦したJamieと彼の父との冒険を記録したものだ。Chrisは長女が3歳、長男が2歳のときに、それぞれ初めてカーレースへ連れて行ったそうだが(次男のデビューも計画中)、本書にもジョセフの友人としてJamieが登場、その娘Averyと息子Cooperを初めてインディに連れて来たという設定になっている。恐らく彼らはChrisと彼の家族の分身なのだろう。

彼は絵本のような娯楽的かつ教育的なコンテンツを通じて、我々やその親の世代が経験してきたカーレースへの愛を子供たちと分かち合う、つまり家族の結びつきと情熱を共有すること(彼はそれをモータースポーツの“真の魔法”と呼ぶ)が、彼のブランドや絵本制作の本質、狙いなのだという。“The Little Red Racing Car”の作者Dwight Knowltonさんも同じような動機づけでクルマ絵本を制作されているが、二人ともアメリカにはよくいる典型的な、それもかなりのカーガイである。彼のイラストレーターとしてのキャリアや才能もわからないし、彼の技術的スキルを評価する能力も持ち合わせないけれど(個人的には好感が持てるイラストです)、テクニックを越えた彼の情熱が読者を彼独特の世界に惹き込む。ここまで彼をレースの虜にさせているのは、やはり彼が若い頃の実体験に原点があるようだ。

ロードアメリカ
ロードアメリカ!(“JOSEF, THE INDY CAR DRIVER”より)

それはテレビでインディカーとNASCARレースを見ていた子供時代に始まる(やはりアメリカのガキは違う)。80年代後半に父と兄とで一緒に行った、彼の出身地ウィスコンシン州にあるロード・アメリカで行われたインディカーレース観戦デビューの時にすべてが変わったそうだ。レースに夢中になるために必要なものが全てそこにあったと。そこから、彼は残りの人生のためにできるだけモータースポーツに関わりたいと思ったそうだ(まるで映画『ブルース・ブラザース』のジョン・ベルーシがゴスペル教会で“光”を見たときみたいじゃないか)。だから、本書の舞台であるロード・アメリカは、彼にとって強烈なレースへの愛情を呼び起こしてくれた神聖な場所だったのである。加えて、開設された1955年当時のレイアウトを完全に維持している世界でも数少ないサーキットの一つであるロード・アメリカは、1982年から2007年シーズンまでインディカーレースが開催されていたが、2008年シーズンから9年のブランクを経て、今シーズン再び開催地の復帰を果たした[13][14][15]。そういう特別な経緯もあって、若きアメリカ人パイロットの聖地での優勝を夢見たのだと思う。果たしてその夢叶うのか。今月25日、ロード・アメリカでの第10戦が楽しみである。もちろん、佐藤琢磨の走りも含めてね。


2015年9月22日、ロードアメリカでのテスト走行(ジョセフ・ニューガーデンのインカーカメラ映像):オーバルコースだと230mph(380km/h)越えもあるとか。

またApex Legends社は困っている子供たちを支援するための慈善団体(Racing for KidsRacing for Cancer)とパートナーシップを結び、彼が制作するすべての本の売上は、これら支援活動の一助になっているそうだ。Chris Workman氏ほどの自動車愛や情熱は持ち合わせていないけれども、私も子どもを持つ親として、クルマが今よりもずっと生活の身近にあった古い世代の人間として、クルマの絵本の紹介を通して、もっと若い人たちや子どもたちにクルマへの関心を持ってもらおうとこのブログを始めたので、彼の価値観や活動に共感を覚える。クルマがすっかりコモディティ化(日用品化)し趣味性を失ってしまった昨今、クルマの楽しみの原点であるカーレースに家族や友人と出かけてみるのもいいんじゃないか。そういえば、我が家は子どもたちと生のレースを観に行ったことがないなあ。もしこの記事を通じて、レーサーという職業に憧れを持った人は、この絵本の最後に書かれたジョセフの助言を参考にして欲しい。
(以上、Chris Workmanのバイオグラフィに関する部分は、彼のホームページやAmazonの著者紹介の情報を参考・引用した)

THE SPECTACLE The Longest Day

Chris Workman氏の作品には、インディ500の100周年を記念して昨年上梓されたもう一冊のクルマ絵本“THE SPECTACLE”がある。この絵本をネタに、今度はインディ500の歴史を学んでみようかな。

彼の絵本やジョセフに偶然巡りあえたこと、そのきっかけを与えてくれた佐藤琢磨氏の偉業達成に感謝するとともに、彼らの今後の活躍を期待したい(了)。

ジョセフ

Apex Legends Store



[参考・引用]
[1]【祝!! 佐藤琢磨優勝】モータースポーツジャーナリスト・小倉茂徳、小倉茂徳、Car Watch、2017年6月2日、
http://car.watch.impress.co.jp/docs/news/1063241.html
[2]F1速報、第6戦モナコGP&インディ500特別編集号、2017年6月15日号、三栄書店
[3]「日本人が勝ったのは不快」佐藤琢磨のインディ500優勝を罵倒した記者、解雇される、 安藤健二、HuffPost Japan、2017年5月30日、
http://www.huffingtonpost.jp/2017/05/29/takuma-sato_n_16875360.html
[4]インディカー・シリーズ、Wikipedia、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA#.E3.82.A8.E3.83.B3.E3.82.B8.E3.83.B3
[5]立ち乗りスクーター、Wikipedia、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E3%81%A1%E4%B9%97%E3%82%8A%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC
[6]ジョセフ・ニューガーデン、Wikipedia、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%82%BB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%B3
[7]サーキット、Wikipedia、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%82%AD%E3%83%83%E3%83%88
[8]武藤英紀のIndyコースガイド、ホンダホームページ、
http://www.honda.co.jp/IRL/spcontents2009/09IRLguide/
[9]【意外と知らない】ターボやスーパーチャージャーの「ブースト圧」って何?、藤田竜太、WEB|CARTOP、2016年11月9日、
https://www.webcartop.jp/2016/11/54595
[10]インディカー・シリーズ、Wikipedia、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA#.E3.82.A8.E3.83.B3.E3.82.B8.E3.83.B3
[11]2017 Verizon IndyCar Series Car Specifications、indycar.com、
http://www.indycar.com/Fan-Info/INDYCAR-101/The-Car-Dallara/IndyCar-Series-Chassis-Specifications
[12]【インディカー】プッシュトゥパス回数制限撤廃、使用時間制限のみに、David Malsher、2017年2月7日、
https://jp.motorsport.com/indycar/news/インディカー-プッシュトゥパス回数制限撤廃-使用時間制限のみに-871700/?s=1
[13]ロードアメリカ、Wikipedia、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB
[14]ロードアメリカでの開催が決定、こちらGAORA SPORTS INDYCAR実況室、2015年8月9日、
http://blog.gaora.co.jp/indy/2015/08/14642
[15]ロードアメリカでのテストが終了、こちらGAORA SPORTS INDYCAR実況室、2015年9月23日、
http://blog.gaora.co.jp/indy/2015/09/15106
スポンサーサイト


コメント

  1. |

    承認待ちコメント

    このコメントは管理者の承認待ちです

    ( 00:09 )

  2. papayoyo | -

    Re: レースを楽しむって、、、

    レースに一家言あるSDTMさんらしいコメントありがとうございました。
    私も最近それに近いことを感じることがありハッとさせられました。娘のこと、息子のこと。クルマの絵本蒐集も当初は愚息をクルマ好きにと、親の勝手な思いからスタートしましたが、特別クルマ好きにはなりませんでしたw。嫌いじゃないと思いますが。
    また勉強しろ、塾に行けと口うるさく言ったところで、本人にやる気が生まれない限り骨身にはなりません。親が大人になってそれに気づき後悔したから、勉強しろと言うところもありますが。
    そう、親や先輩の世代には豊富な経験知があります。これが面白いよとか、こういうことは失敗するよとかアドバイスはできますし、その経験知を子や後輩世代に伝え、可能ならばたくさんのチャンスを与えてあげたいと思うのが親心、老婆心。それが過剰になってもいけませんが、カートも子どもがいきなりやりたいと言う代物でもない。セナもジョセフも、最初は資金力のある親がやらせたのでしょう。おっしゃるように、それをどう自分の引き出しに入れるかは本人が決めることです。
    だから、親がレールを敷いたからとか、この仕事は自分が望んだものじゃなかったとか、人のせいにして逃げて欲しくないですね。自分の反省も込めて。社会に出ると自分のやりたい事ができることの方が難しい、特にリーマン稼業の多くはそれを経験している。でも最初は与えられたことでも、それがやりたい事、好きな事に変わることも多くある。人や環境のせいにする人は与えられたものをとりあえず、とことん追求してみたかい?ということです。それでも自分の肌に合わなければ辞めればよい。でもスタートはどうであれ、仕事や人生を楽しんでいる人は、だいたい何事もとことんやり遂げた人なのですよね。
    なんだかコメントの主旨から脱線してまとまりがなくなりましたが、本書は親世代の都合で、子世代にレースへ行こう、楽しもうと誘っているというよりは、とにかく現場を見てくれ、体感してくれと言っているように聞こえました。絵本の最後でも、ジョセフがレースのテレビゲームもいいけれど、まずはカートのようにリアルなレースを経験してみないかいとアドバイスしています。かつてエンジニアだった私には、シミュレーションなどのバーチャル設計や机上論から一旦離れ、モノベースでリアルを観察しなさいと言われているように感じました。

    ( 23:40 )

コメントの投稿

(コメントの編集・削除時に必要)
(管理者にだけ表示を許可する)


トラックバック

Trackback URL
Trackbacks


最近の記事