長谷川町子像

先週1週間、実家の福岡に帰っていた。自宅で倒れて大騒動だった昨年をなんとか乗り切り、ついに八十八を迎えた親父の様子を見に。相変わらず独特の価値観で生活を続ける昭和ヒトケタくそじじいとは話がかみ合わない。とはいえ、一応米寿の祝いに外へと連れ出し、近くの割烹でゆったりと美酒を飲み交わした。現役時代(特に小倉時代)の苦労話も聞かされた。何度も聞いた話だが、当時はイヤでしょうがなかった父が毎晩泥酔で午前様だった理由は、それなりに会社や役所組織の面倒くささも経験してきた今の私にはよく理解できる。今ある自分は親父の苦労のお陰と頭だけは下げてきた。そんな帰省中、地元のニュースで、母校の近くに「サザエさん」の作者・長谷川町子さんの銅像が設置されたことが報道されていた[1]。

カツオが磯野家を片づける日」でも紹介したように「サザエさん」は福岡が誕生の地。しかも母校のすぐ近くだ。テレビのサザエさんは小さい頃から観ていたが、ずっと東京の作家が描いた東京のお話だと思っていた(舞台は世田谷)。もちろん磯野家は博多弁をしゃべらないし(波平さんは福岡県人)。でもちょうど高校生の時、NHKの朝ドラで長谷川家をモデルにした『マー姉ちゃん』が放送され、その母校のすぐご近所に長谷川家が住んでいたことを始めて知った。

サザエさん発案の地
「サザエさん発案の地」と現在の母校

金曜日、親父の確定申告の書類をもらいに、管轄の税務署に出かけた。そこから長谷川町子像までは歩いて10-15分くらいの距離。観に行くことにした。まずは「サザエさん発案の地」。よかトピア通りと西新通りの交差する近くの広場にそこはある。ここ百道の海岸を散歩しながら、サザエ、カツオ、ワカメ等の登場人物を考案し、昭和21年4月創刊の夕刊フクニチ新聞(~平成4年休刊)に漫画「サザエさん」の連載が始まったという[2]。道の向こうには、今は男女共学となり、この地に移転した全く思い出のない母校新校舎が見える。そう、私が学生の頃の約40年前、この辺は海だった。

長谷川町子像2
故郷の地でサザエさんと何話す?

そこから西新の方へ、今はサザエさん通りとなった当時の通学路に沿って閑静な住宅地を歩いていくと、右手に出来たばかりの立派な建物が現れる。西南学院大学の新図書館。この玄関前のスペースにサザエさんと並んで談笑する長谷川町子像があった。私以外の通行人も、もの珍しそうにここで立ち止まっていた。

母校の今1
かつての学び舎は大学のレストラン
母校の今2
当時の名残は正門周辺と講堂(チャペル)のみ

ちょうどこの図書館の対面が、今は同じ大学の敷地になってしまった当時の私の学び舎。中に入ると駐輪場は無くなっていて、その前にあったボロい校舎がこじゃれた大学のレストランになっていた。さらに奥へ進むと、面影があるのはレンガ造りの正門と、大学の博物館になったチャペルだ。ここでよくわからないまま3年間、聖書の講読と説教を毎日聞かされ、讃美歌を歌っていた。それまでキリスト教なんてクリスマスでしか意識しなかったのに、教科書と一緒に買わされた聖書片手に、自宅近所の教会の日曜学校にも通いレポートを書かされ、墓参りか初詣、合格祈願くらいでしか生活の中で関わることのなかった宗教というものを少し考えるようになった。


アイルランド源流の讃美歌358番”Be Thou My Vision Hymn ”(こころみの世にあれど)も歌ったなあ。

讃美歌は純粋な音楽として嫌いじゃなかったし、聖書の言葉が心に響くこともあった。そして後年、人生の大事な局面で、信者でもない私と妻がとある教会牧師夫妻に大変お世話になったこともある。にも関わらず、あらゆる宗教の負の歴史的側面を考えると、その在り様を疑問に思うところ多々あり。宗教とは信仰とは、極めて個人的なもの。何かに属ずるとか帰依するといった組織化されたり、教えが体系化されたり儀式化されたりするものではないのでは?とか考えちゃって、未だ特定の信仰を持つには至らず。あえて言えば、自然崇拝に近いのかな。どんなに倫理・哲学・科学を学ぼうが、自然にはかなわんていう原始的宗教観。決して怪しい方向ではないよ(笑)。まあ何を信ずるかは自由なので、他人(ひと)様の信仰を否定するつもりは全くない。

しかし、今まさにその宗教対立によって、世界は恐れ・不満・不安・不信・怒り・傲慢・差別等々に満ち溢れている。対立や暴力は信仰に反していると多くの信者は言うだろうが、ならばなぜそんなにもすばらしいと説く宗教が人を誤った道に進ませてしまうのか、しかも過ちを繰り返し、悔い改めさせることができないのか。そして教義に従順に従う信者までもが、信ずるがゆえにもがき苦しまなくてはならないのか。未だにこの問いかけを続けている。とはいえ、困った時、不安な時だけの無節操な都合のよい神仏頼みは相変わらず。まだまだ人生の修行が足りませぬ。高校時代に読んだ遠藤周作のキリスト教文学『沈黙』が映画化された[3]。その主人公の一人を、ここ横須賀生まれの青年が演じていることも興味深く[4]、また小説と映画に問いかけてみようと思った。



母校を後にして、とある古本屋で『ゲッベルス ヒトラー帝国の演出者』(図書出版社)を見つけ購入した。プロパガンダの天才、ヒトラー政権の陰のプロデューサー。世界の対立を煽るトランプ政権にも、「陰の大統領」と言われる演出家、主席戦略官スティーブ・バノン氏がいる。帰省中もテレビでこの謎のベールに包まれた一人の男のことが取り上げられていた。ハーバード出で、インターネット・メディア経営者としての手腕を買われ、選対本部長として今回の大統領選の大逆転劇を演出した陰の功労者[5]。日本では、緊急来日したマティス国防長官が、“MAD DOG”の部分だけで騒がれていたが、トランプ政権の今後の鍵を握るのは、このマティス氏とバノン氏の2人の強面だろう。メディアによる人心掌握の“術(すべ)”を知るこの男がゲッベルスに重なって、つい買ってしまったのだ。マティスはさしずめロンメル将軍といったところか。歴史に学ぶところは多い。

ゲッベルス ヒトラー帝国の演出者

スティーブ・バノン主席戦略官
スティーブ・バノン主席戦略官
出典:http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/01/nsc.php
ジェームズ・マティス国防長官
ジェームズ・マティス国防長官
出典:http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/02/post-6894.php

サザエさんから沈黙、ゲッベルスと、とんでもない方向に繋がったけど、これが今の混沌とした時代を象徴している。偶然でなく必然。この後実家に戻って、先の親父との祝いの席へとつながるのだが、混沌といえば酒席でも話題になった東芝。テレビのサザエさんはどうなってしまうのだろう?放映するテレビ局も迷走しているしね。

サザエさんと東芝
俺たちのガキの頃はな、サザエさんの居間に鎮座する東芝の大型カラーテレビに憧れたんやで
出典:http://tebataki.blomaga.jp/articles/48491.html

[参考・引用]
[1]サザエさんの銅像、福岡に 作者と笑顔で立ち話、産経フォト、2017年1月28日、
http://www.sankei.com/photo/story/news/170128/sty1701280009-n1.html
[2]サザエさん発案の地、発祥の地コレクション、
http://hamadayori.com/hass-col/culture/Sazaesan.html
[3]不朽のキリスト教文学。遠藤周作の『沈黙』が映画化されるまで、P+D MAGAZINE、
https://pdmagazine.jp/works/silence/
[4]映画『沈黙-サイレンス-』窪塚洋介インタビュー「人生のすべては伏線。あるとき、それが報われる」、T-SITE NEWS、2017年1月18日、
http://top.tsite.jp/entertainment/cinema/i/34027340/
[5]トランプの黒幕「バノン」の世界観(1)終末論漂わせる文明衝突史観、会田弘継、BLOGOS、2017年2月8日、
http://toyokeizai.net/articles/-/146406
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