福岡人志

実家の福岡から土曜の晩に帰宅。その日の朝、テレビを観ていると『福岡人志』(FBS福岡放送)をやっていた。福岡以外の人にとっては、「なんや?その番組」と思われるローカルバラエティだ。出演者はダウンタウンの松本人志。福岡市出身のパンクブーブー・黒瀬純とローカル芸人たちが、ノープランで松本人志を福岡県内に連れ回すという企画。アポなしで地元民もあまり知らないようなディープな場所をその場で決めて、移動は黒瀬の運転する軽自動車というアドリブドライブ旅番組だ。プライベートでも福岡好きとして知られる松本に、黒瀬が企画を持ち込み実現したようだ[1]。多くの芸能人を輩出するこの福岡では、芸能人には馴れっこになっていると思いきや、さすがに松本人志がぷらーっと歩いていると大騒ぎになっている。レギュラー化されていないスペシャル放送だが、昨日分も含めこれまで4回放送された。今年になって実家に帰る機会の増えた私は、これまで偶然に2、3回見ている。今回の出没場所は北九州市・小倉。私が少年期に住んでいた街だ。

何でも小倉は、競輪、パンチパーマ、24時間営業のスーパーマーケット発祥の地だそうだ[2]。そういえば、クラスは違ったが同学年の子に競輪選手になったヤツもいた。パンチパーマは…、わからんでもない。小倉にモノレールが開通して(‘85年開業)、一度も小倉に降り立ったことがないのだが(※2)、小倉城が当時の面影を残す以外(小倉城の周りにジェットコースターがあったことを今の若い小倉人は知るまい[3])、すっかり駅前の風景が様変わりしていた。でも懐かしい魚町銀天街と、北九州の台所、旦過市場(たんがいちば)は昔の雰囲気のままだ。その市場の脇にあるスーパーが、日本の24時間スーパー第1号店として知られる「丸和」小倉店[4](※1)。私は全く記憶になかったけど、父は覚えていた。30分前の記憶も怪しくなってきた彼は、こんな古いことは忘れない。

※1)僕の中で福岡のスーパーというと「サニー(SUNNY)」。実家の近所にもある。小倉の巨大団地に住んでいた頃、それまで団地の中にあった小さな商店街の先に、近代的なスーパーマーケット「サニー」が登場した時は衝撃だった。この頃親父が買ったマイカーが中古のトヨタ・初代カローラ。対抗車種は日産・サニーだが、「スーパーと一緒の名前だからなあ」とサニーを敬遠した父の言葉を思い出す。

※2)ふと思い出した。大学4年の夏(1985)、小倉球場に友人とLIVE UNDER THE SKYを聴きに行っていた。帝王マイルス・デイビスを生で見た聴いた最初で最後のライブ[9]。モノレールの開通は1月のようなので、すでに走っていたはずだが、クルマで出かけたので全く記憶に残っていない。(2016年9月26日追記)

魚町銀天街
出典:http://www.gururich-kitaq.com/search/category/detail.php?id=55

魚町銀天街もアーケード商店街発祥の地だそうで、北九州八幡が1号店のロイホの前身、レストラン「ロイヤル」も確かここにあって、子ども心に洋食=最先端外食=ロイヤル=贅沢という図式があった[5]。デパートと魚町銀天街に出かけることは、家族の一大イベントだったからね。当時、北九州は日本四大工業地帯の一つに数えられた「鉄の町」で、経済もイケイケだったから、進取の気性に富む福岡には、このような全国に先駆けた新しい文化が次々に生まれたのだろう。よくよく考えてみると、今では当たり前の生活風景、自家用車で大型ショッピングセンターに出かけ、屋上駐車場に止めて買い物をし(クルマごとエレベーターに乗ってダイエーの屋上駐車場に止めるのが、サンダーバードみたいで楽しかった。エレベーター内でエンコして往生したこともあったけど…)、アーケード商店街をぶらついて、洋食レストランで外食することを半世紀くらい前から、こんな九州の田舎町(一応百万政令指定都市っていうのが、市民の誇りだったけど)で経験していた訳だ。

だるま堂
だるま堂のおばあちゃん
渋い!「だるま堂」(『福岡人志』第4弾より)

番組ではもう一つの北九発祥もの、「焼きうどん」を紹介していた。以前にも書いたように福岡はラーメンと言うよりはうどん文化圏である(「博多のうどんと古本屋」参照)。ソース味の焼うどんは、渋すぎる「鳥町食堂街」の中にある「だるま堂」から始まったのだそうだ[2]。松本人志と全く噛み合わない、愛想のない腰の曲がったおばあちゃん店主がいい味だしていた。

小倉昭和館
レトロな小倉昭和館[6]

今回、福岡の往復に使ったのはスターフライヤーだったが、機内誌『Mother Comet』の特集が偶然にも小倉だった。旦過市場の傍にある映画館「小倉昭和館」が取り上げられていた。昭和14年から77年間続けられていて、このご時世、フィルム映写機も現役で稼働しているというから恐れ入る。百万都市にもまだこんな映画館が残っているんだね。小倉時代は映画少年だったから、この映画館で観たこともあったかもしれない。館主の樋口智巳さんは、「この街は新しいものを吸収する寛容さがありながら、古いものを残そうという優しさも持っています。」と語るが、『福岡人志』のロケを見ていても確かにそう思う。小倉出身の三村順一監督による、このレトロな映画館も舞台となった、オール北九州ロケの映画『グッバイエレジー』が、2017年に公開されるという[6]。

福岡のもう一つの大都市博多も、新しモノ好きは北九州と同じだが、古いものにはあまり未練を残さないのが福岡市民流。「神様、仏様、稲尾様」で日本一になったライオンズを捨ててホークスを受け入れたのもそうだし、福岡名物の屋台も、福岡市条例の改正で一時期、「一代限り」規制の議論があった。つまり高齢などで店が続けられなくなったらそれでおしまいということ。市制としては、安全、衛生、防犯の面から、屋台を完全撤去したいという思惑があったのだろうが、屋台村のように全部ビルに押し込んでしまえという極論もあったように聞くし、都市のブランディングという視点で、もう少し上手い手はなかったのかと故郷を捨てた私は無責任に思う。さすがに各方面から見直しの意見が噴出(反対したのは市民よりむしろ、他市出身者とか単身赴任族じゃなかったのかなあ)、「一代限り」は見直されたようだが、譲渡は1回のみ、それも相手は親族に限られる。血縁の跡継ぎがいなければ即廃業。将来的に新規参入店の公募は行うらしいが、営業期間は最長でも10年間までという[7][8]。長期的に見れば、福岡の貴重な観光資源である屋台は消滅していく方向だろう。博多祇園山笠のように伝統文化を継承する部分がある一方、古き良き文化を、案外あっさりと捨てられるというのも博多人気質の別の一面だ。

帰省中に買い物に出かけた繁華街天神のメイン通りと九州の玄関、JR博多駅にはかつて、それぞれ地元百貨店の両雄「岩田屋」と「井筒屋」が鎮座していた。しかし、今や天神の顔は三越と大丸、博多駅は阪急である。その他小売業を見ても、好立地にあるのはTYUTAYA、PARCO、Loft、東急ハンズ等々、東京や横浜で見慣れた看板ばかり。方言さえ聞かなけりゃ、正直ここが東京なのか福岡なのかわからなくなる。福岡のリトルトーキョー化は確実に進行している。

最近の福岡天神01
最近の福岡天神02
都市外観は東京と変わらない福岡・天神(2015年12月17日撮影)

買いたい新刊本があったので、全国区のTSUTAYAやジュンク堂ではなく、はたまたグローバルの雄、Amazonでもなく、今回は地場の書店にカネを落そうと考えた。北九州の魚町銀天街に相当する博多の新天町商店街、ここには積文館と金文堂という福岡の老舗書店の本店があったはず。探してみると、潰れずに残っていた。最初に積文館に立ち寄ると在庫がなく取り寄せになるという。次に金文堂へ行くとほどなく店員が探して持って来てくれた。今回は金文堂の勝利。でもいずれの店も、いわゆる地方商店街にありがちな特色のない小さな書店に成り下がってしまっていた。これじゃあメジャーに勝ち目はないな。

先の『福岡人志』で松本が、「ローカルをよりローカルに行きたい」と発言しているように[1]、東京や関西中心のテレビ業界の行き詰まり感に、彼独特の感性で地方都市でのテレビの可能性を感じ取っているのかもしれない。故郷の強みと弱み、両方を感じた帰省だった。

福岡人志_ダイハツMOVE
アドリブドライブはダイハツMOVEで(『福岡人志』第2弾より)

[参考・引用]
[1]福岡人志、 松本×黒瀬アドリブドライブ、Wikipedia、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%B2%A1%E4%BA%BA%E5%BF%97%E3%80%81_%E6%9D%BE%E6%9C%AC%C3%97%E9%BB%92%E7%80%AC%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%96%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%96
[2]あなたの身近なアレが、実は北九州発祥だった!?~北九・はじめて物語~、Travel.jp、2014年7月23日、
http://guide.travel.co.jp/article/5086/
[3]1960(昭和35)年6月8日に撮影された小倉城とジェットコースター。北九州市の新庁舎建設に伴い70年に姿を消した=福岡県小倉市(現北九州市小倉北区)、北九州市制50年、朝日新聞DIGITAL、
http://www.asahi.com/topics/gallery/2013kitakyushu/CDf20130404181748960GMC.html
[4]日本初の24時間スーパー 丸和小倉店、36年の終夜営業に幕、日本経済新聞、2015年11月21日、
http://www.nikkei.com/article/DGXLZO94268390Q5A121C1LX0000/
[5]小倉・平和会館の香り。、人力車の博多人力屋HP、2009年12月16日、
http://plaza.rakuten.co.jp/jinrikiya/diary/200912160000/
[6]カタカタ カタカタ、キネマの旅。Mother Comet No.06、2016.September、STARFLYER、
https://www.starflyer.jp/inboard/magazine/special/
[7]福岡出張の楽しみ、屋台は消えず 「一代限り」規制見直しの方向、JCASTニュース、2012年1月23日、
http://www.j-cast.com/2012/01/23119663.html
[8]長浜から「屋台」が消える? 福岡市の新条例は「屋台減らし」が目的なのか、弁護士ドットコムニュース、2013年7月9日、
https://www.bengo4.com/other/1146/1288/n_555/
[9]【ツアーパンフ研究室】JAZZ Fes 1 /Live Under The Sky 1、劇場用映画パンフレット研究所、2011年10月3日、
http://moviepamphletlabo.blog120.fc2.com/blog-entry-501.html
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コメント

  1. つかりこ | -

    おー、懐かしい!

    この番組、観ましたよー。
    なつかしかったです。
    実は、駅前の寺の跡地に1993年に小倉そごうができる前後の
    9か月間、出向して小倉でホテル住まいしていたんですよ。
    ちなみにカミさんは八幡出身なので、小倉にはくわしいんですよ。
    小倉出身で、『東京難民』や『侠飯』の原作者・福澤徹三は、
    その当時からの友達です。
    徳力に住んでいます。
    (画像、観ないほうがいいです。こわい。
    しかし、本人はわざとそういう風貌にしている・笑)

    丸和、何度も行きました。
    丸和前ラーメンも行きましたよ。
    当時は、お店ではなくて屋台でしたねー。
    あれ以上どろどろで臭いトンコツラーメンは
    その後出会ったことがありません。
    旦過市場にある(あった)豆腐屋の木綿豆腐、
    あんなに大豆の香りと味の濃い豆腐も
    それ以来出会っていません。

    うどんは、「河口屋」といううどん屋の味が忘れられません。
    (もう店がない?)
    ラーメンで一番好きだったのは、境町公園の横にある「力ラーメン」。
    特別な個性はないのですが、東京のトンコツラーメンとは明らかに違って
    トンコツラーメンの見本というようなラーメンでした。
    (博多のような細い麺ではない。スープは熊本ラーメンに近いかも。でも臭い)
    9か月の間に10回以上は行きました。

    小倉で映画館といえば、確かリバーウォークから道を挟んで
    向いのほうにあった映画館でハリソン・フォードの『逃亡者』を観ましたねー。
    「小倉昭和館」は幾度か前の通りを通りましたが、映画は見ませんでした。
    それよりも驚愕したのは、小倉駅のすぐそばにある「名画館」ですねー。
    1・2と2館あるのですが、その片方は堂々と「薔薇族専門」と書いてありました。

    『グッバイエレジー』、へー、映画になるんですねー!
    楽しみです。

    博多の屋台も1度だけ行きました。
    小倉にもちょこちょこありましたよね。
    ずっと残してほしいものですが、衛生面ほか、
    ヤクザ屋さんと関係していたりして、
    いろいろと問題があるんでしょうね。

    入魂の記事、ありがとうございました!

    ( 00:46 )

  2. papayoyo | -

    Re: おー、懐かしい!

    つかりこさん、コメントありがとうございます。
    あれっ、こっちでも放送しているのでしたっけ?
    プロフィールに北海道生まれとあったので、まさか小倉にこれほど食いつかれるとは(笑
    小倉に住んでおられましたか、しかも奥方が八幡出身とは。
    福澤徹三氏は勉強不足でよく存じていないのですが、’62年と同い年で徳力に住んでいる?!
    その徳力に今でもあるマンモス団地に私は住んでおりました。
    親父が道路公団の技師で、ずっと北九州道路の担当でした。あまりいい仕事の思い出はないみたいですけど。
    北九は変わった奴が多いのですよ(奥様が変な人という訳ではなく、ただ福澤氏は…)。
    小学生なのに子供らしくなく、男女とも背伸びした同級生が多かった気がします。
    購読雑誌はジャンプよりロードショーでドミニク・サンダやナタリー・ドロンに憧れ、マガジンで「男おいどん」を貪り読む。
    映画や漫画で西部劇が流行っていたので、友だちの兄貴が持っていた黒塗りのコルトのモデルガン(違法)に憧れ、
    月曜日は女友だちと深夜番組『ダンディ2華麗な冒険』の広川太一郎節で盛り上がる。
    詩人もいたし、ミニ小説を書くヤツ、クルマ運転するヤツもいた(当然MTです)。
    小学6年生の思い出話じゃないですね。でも楽しかった。

    ( 22:06 )

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