絵本の色

最近、絵本の重要な要素の一つである「色」について考えさせられる出会いがいくつかありました。

クルマの絵本における永遠の名作、『しょうぼうじどうしゃじぷた』に関するブログ記事(「最近の絵本 #147」、絵本を読もう!)を読んで、この名作が初版から既に141刷(2015年4月時点)であること、そして2007年にデジタルリマスターによる「新規製版」(これについては後ほどの紹介します)になっていることを知りました。こんなブログを立ち上げていながら迂闊でした。すぐに仕事の帰りに本屋へ寄って、新生『じぷた』を手に取って見てみました。確かに画像は極めてクリア、色味も自宅にある蔵書(1996年第76刷)よりは彩度が高い印象を受けました。デジタルリマスターなんて音楽や映画の話だと思っていたのですが、絵本の世界でも技術は確実に進んでいたのですね。

がんばれヘラクレス
がんばれヘラクレス

ちょうど同じころ、久しぶりに高円寺の絵本古本屋「えほんやるすばんばん ばんするかいしゃ」にお邪魔する機会がありました。1階ギャラリーで「Fabulous OLD BOOK 古い絵本の旅」という企画展をやっていて(18日まで)、1940~70年代にアメリカで出版された、古き良き時代の素晴らしい絵本たちを見ることができます。もちろん、買うことも。そこで見つけた1冊の絵本。『がんばれヘラクレス』(ハーディ・グラマトキー・作、学研)の原書でした。1940年初版年の確か10刷だったかな。おっと思って、パラパラとめくっていると何だか自分の持っている翻訳本と比べて絵の印象が違うのです。こんな多色刷の挿絵あったかなあ、これほど色鮮やかだったかなあと。学研版は2色刷のみだった記憶があって、店主の荒木さんにもお話してみました。彼によると、この絵本に限らず多色刷と2色刷が混在するのはよくあることで、それも版によっては多色刷と2色刷の箇所が異なる場合もあるそうです。また、有名なレンスキーの『ちいさいじどうしゃ』(福音館書店)にも2色刷版と多色刷版があるのですが、オリジナルは2色刷のみで、多色刷の方は後年、作者だったらこんな色で着色しただろうと想像して、第3者が色付けしたものだとか。面白いですね。

「ちいさいじどうしゃ」2色刷 「ちいさいじどうしゃ」多色刷
フルカラー版と2色刷の『ちいさいじどうしゃ』

家に帰って学研版を開いてみると、ないと思っていた多色刷の挿絵もあって、その配置も原書どおりでした。人の記憶なんていい加減だなあと思いましたが、どうしてこんな印象を持ったのでしょうか。多色刷の挿絵は、間違いなく原書の方が色鮮やかでした。火事の場面なんて、今まさに燃え盛るような真っ赤な炎のイメージが残っています。私の所有する翻訳本は2005年11月の改訂新版となっています。福音館書店のようにデジタルリマスター版かはわかりませんが、比較的最近の印刷技術によるものであることは疑いようがありません。

オフセット印刷の原理
オフセット印刷の原理[4]

福音館書店「こどものとも」のホームページには、先の「新規製版」プロジェクトについての詳細が記録されています。ここでは新旧印刷技術の興味深いお話も紹介されています[1]。その前に印刷技術の基礎を勉強しておきましょう。現在の印刷技術には大きく2種類の方法があります。一般的な印刷であるオフセット印刷と、現在主流になりつつあるオンデマンド印刷(デジタル印刷)です。オフセット印刷では、原稿を元に印刷原版が作られます。この版があるかないかが、オフセットとデジタルの最大の違いです(版なしオフセットもあるそうですが)。そして印刷の過程において、オフセット印刷ではインクが用いられ、原版に付けたインクを一度ブランケットと呼ばれるものに転写(OFF)し、そのブランケットから紙に転写(SET)する間接的印刷法です。一方、デジタル印刷ではプリンターを使い、粉末状のトナーを直接紙に印刷する方法です。それぞれ良し悪しがあり、昔はきれいな印刷物=オフセット印刷という図式があったようですが、最近ではカラープリンタなどのトナー出力機の精度がかなり上がってきているため、出力結果に大差はなくなってきているそうです[2][3][4]。ちなみに、「新規製版」プロジェクトでは、データの取り込みはデジタルスキャンで製版を作り、印刷はオフセット式のようです。

CMYK・RGBのカラーモード
CMYK・RGBのカラーモード[6][7]

[1]によれば、印刷技術がオフセットからデジタルに進歩しているのと同様に、オフセット印刷における製版作成にも時代による変化があります。製版はまさに写真技術の応用で原画の色と濃淡(諧調)を再現する作業です。初期の頃は、フィルムの代わりに原画にアーク放電光を当て、湿版といわれるガラス板に乳剤を塗ったものに転写していたそうです。製版作業用フィルムが普及するのが1970年代初期なので、当然先のヘラクレスの原書は湿版による印刷と思われます。デジタルの時代になると、RGB(赤緑青)で再現されたデータを、インクの4色CMYK(Cアイ・Mアカ・Yキ・Kスミ)に変換し、網点というもので濃淡を表す印刷の版を作るのだそうです。しかし、フィルム(アナログ)でもデジタルでも、光の受光可能な範囲(ダイナミックレンジ)が限られている為、完全にコピーできる訳ではありません。その限られた狭い範囲内で、できるだけ肉眼での見た目に似せて、原画の再現をしています[5]。つまり原画の再現は、最後は人の感覚に頼ることになります。

「新規製版」プロジェクトでは、名作『ぐりとぐら』シリーズも新版化され、現在宮城県美術館に所蔵される原画と新規製版の校正刷を、原作者の中川李枝子さん、山脇百合子さん、それに当時編集を担当した松居直さんが見比べたそうです。そうやって校正された新規製版なので、原画の再現精度は間違いないと思います。ただ残念なことに、じぷたの作画家、山本忠敬さん(2003年没)は校正刷を見ることはできませんでした。また『ヘラクレス』については、私が高円寺で見た初版年の絵本であれば、校正に原画との比較もできたでしょうが、さすがに2005年の新版では‘40年代の原画を確認することは叶いませんし(そもそも原画が残っているのか?)、さらに十分な再現精度を保つことが出来なかったことが、私の印象の違いに現れたのではないかと推測されます。

「くつろいだときに吸う1本の紙巻き煙草の目方がほんの数ミリグラム違っているとしても、誰もそれに気にすることなく口にくわえているし、喫茶店で注文した1杯のコーヒーの容量がたとえ数ミリリットルくらい違っていても、誰もそれにクレームをつける人はいない。しかし色違いについて私たちは常に敏感である、というよりも時には神経質にすぎる傾向さえあるようである。しかし、色ではそのような微妙な違いもよく見えてしまうからだといっても、それですべての説明はつくわけでもない。ほんのわずかな色違いにも気付く私たちが、原画の色を恐ろしいまでに違った色で再現された美術印刷を大切に所蔵していたり、復元という名分のもとに行なわれた修復者の気紛れな彩色にもほとんど奇異感を抱かないように見えるからである。しかしこの理由はきわめて簡明である。比較すべき元の色がなければ私たちはほとんどの場合に色違いに気付かないか、あるいは気に掛けないからである。手元に原画があるわけではないし、修復された美術品の最初の色は誰も知らないのである。二つの色を並べて同じ条件で同時に比較するのでなければ色違いの程度は分からない、というのが私たちの色に対する鋭敏さの決定的な特徴の一つである。したがって色違いの知覚は同時に色を見比べるという条件に支えられたきわめて相対的な感覚であって、決して絶対的なものではないのである。それゆえ色違いの表現はそれが相対的な感覚であることを基本的な前提にしなければならないだろう。」(寺主一成・著、『おもしろい色のはなし』、日刊工業新聞社より)


優れた絵本のオリジナルの感動を読み継がせるためには、原画がどれほど重要な意味を持つかお分かりになったと思います。原画も放っておけば経年劣化もしますし、色も褪せてしまいます。松居直氏によれば、原画は絵本が出来上がった時に役目が終わるのではなく、未来のために大切に保管する必要性を訴えておられます。それに共感した宮城県美術館が、絵本の原画の収集保存に取り組むことを決めました。現在では9,000枚以上の絵本原画を収蔵しているそうです。素晴らしい活動です。これらのプロジェクト四方山話は、是非こどものとも50周年ブログでじっくり読んでいただきたいと思います。

今回取り上げた『しょうぼうじどうしゃじぷた』『がんばれヘラクレス』『ちいさいじどうしゃ』のいずれも、日本の児童文学者の第一人者、故・渡辺茂男氏が関わっています。以前、このブログを通じて知り合った彼のご長男で、自らも絵本の創作や翻訳に携われる渡辺鉄太氏に、最近この話をメールしました。彼のお話によると、このプロジェクトがスタートする際、やはり鉄太氏も福音館に呼ばれて、忠敬さんの原画をご覧になったそうです。デジタルリマスター版だと「筆の跡までくっきり出るが、その分荒い感じになるみたい」(鉄太氏)とのことですが、それだけ筆の勢いや流れも再現されるということなのでしょう。「こどものとも」の絵本は、出版されてから既に60年経つ作品もあり、フィルムの原盤も痛むので、特に重版の多い作品はデジタル化が急がれるとのことです。他の出版社も同様の課題を抱えているのでしょうし、出版業界自体、厳しい環境下におかれていますから、ヘリテージ作品のデジタルアーカイブ化、そして原画の保存・修復は文科省(出版業界の活性化という意味では経産省かな?)にも真剣に考えていただきたいと思いました。

今回の記事のきっかけとなった冒頭の「絵本を読もう!」のブログ主にコメントをしたところ、以下のレスが興味深いものでした。
「じぷたは名作ですし、この絵も大事だと思うのですが、同時に車種の古さも目立つようになってきました。他の絵本もそうなのですが、原作をそのままに、建物や車を今風にしたリニューアルバージョンみたいなのって作れないですかね。」
なかなか面白いアイデアです。版権の問題もあり、難しいでしょうが、ストーリーはそのままに、絵と文章も少し今風に改訂したリメイク版、あるいは絵を変えるなら、テーマは同じでも全く違うストーリーの『じぷた、トリビュート』みたいなリブート作品って作れないかなあ…。

再販で絵と文章が変わるといえば、以前紹介した『うちのじどうしゃ』(福音館書店)がまさにその手法を使っています。面白いのは、絵と文の作者が同一人物だということ。作者自身が自分たちでリメイクしちゃったんですね。いずれにせよ、忠敬さんの新しい挿絵を拝むことはもう無理なので、新しい作者が必要です。私は自動車絵本作画家の新旧両横綱が山本忠敬さんと、『ダットさん』のこもりまことさんだと思っているので、こもり版のリメイク、リブート作品なんて面白いと思うのですがどうでしょう?ちなみに、こもりまこと氏の絵は全てデジタルで描かれていると聞いたことがあります。じぷたは、実車でレストアされるくらい大人気の作品、キャラクターですから、もっと新しい発展形があってもよい気がします。オリジナルに敬意を払うことは、勿論です。鉄太氏にもこのアイデアを伝えておきましたので、何か新しい企画が立ち上がる?かもしれませんよ。



さて、私は何を隠そう、二十年近く前に様々な年齢層の色の見え方を調査したことがあります。政府系の公益研究機関に出向していた関係で、門外漢の若造の私がこの調査研究のコーディネーターをしていた頃の話です。プロジェクトでは、実験心理学の世界的権威、O先生をリーダーに、某有名私立大学の元副学長I教授や、最近はテレビの教養バラエティ番組に登場されることもある、当時はまだ新進の若手研究者だった神経生理学者S教授など、国研や大学の研究者、メーカーのエンジニアといった視知覚に関する第一線のスペシャリストたちと、独身時代の私の妻とで測定の方法をあーだこーだと議論していたことが懐かしく思い出されます。実際に短期間で老若男女の被験者を集め、測定して、データ解析してホント大変でした。でも、豊洲市場の技術会議とは違って、真面目な仕事師集団でしたよ(笑)。にも関わらず、私にとって未だに色の理論は難解で、今回十分に科学的な咀嚼が出来ぬまま、恥を承知で記事にしてしまいました。こんなことなら、もっと勉強しておけばよかった…。

当時の仕事と少し関連づけるなら、色の見え方もまた年齢とともに変化します。私が4歳のころに見えていた風景の色と、今の私が見ている風景の色とはずいぶん変わっているはずです。でも私はその変化にほとんど気づいていません。なぜなら加齢による視覚(色覚)機能の低下はその変化がわからないくらいゆっくりと進みますし、50年前と同じ風景はほとんど存在しないため、比較の対象が得られないのです。でもロングセラーの絵本ならば相対比較ができてしまいます。お年寄りは昔読んだ絵本ってこんな色合いだったのかなあと思うのかもしれません。技術の進歩で、歳をとっても子どものころの感動が味わえる絵本が出来るといいですね。

色弱補正のアイデア
色弱補正のアイデア:未来のスペシャリストが頑張っています[8]



[参考・引用]
[1]新規製版について、福音館こどものとも50周年ブログ、2007年3月1日~2007年4月20日、
http://fukuinkan.cocolog-nifty.com/kodomonotomo/50/index.html
[2]一般的な印刷の工程とデジタル印刷の工程の違いとは、印刷・デザイン知識、販促伝説、2015年10月20日、
http://hansoku-legend.jp/printing-process-difference/
[3]第30回 デジタル印刷とオフセット印刷、印刷DTP勉強部屋、㈱京富士印刷ホームページ、2009年2月、
http://www.kyofuji.co.jp/study/study30.html
[4]印刷の種類、知っておきたい印刷の知識、佐賀印刷社、
http://www.sagain.co.jp/know-how/part1/110/
[5]デジタル写真論 色の再現、色管理を理解する、水中デジタル一眼レフカメラへのいざない、2002年11月28日、
http://www.aquageographic.com/sato/dslr/theory_cspace.html
[6]CMYK・RGBのカラーモードについて、スプリントホームページ、
http://www.suprint.jp/guide/technical/datacaution/da001.html
[7]RGBとCMYKって?、プリントビスブログ、2012年6月11日、
http://blog.printbiz.jp/archives/306303.html
[8]「色弁別閾値に基づく個人特徴に対応できる色弱補正法の提案」、望月理香、2009、「第23回独創性を拓く 先端技術大賞」文部科学大臣賞受賞論文、
http://www.fbi-award.jp/sentan/jusyou/2009/1.pdf
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コメント

  1. つかりこ | -

    印刷って・・・

    寺主一成さんの引用文が、印刷の真髄だと思います。
    何か現物を手にして、「これと同じ色で仕上げたい」ということで
    四苦八苦してそれと同じ色が出るように印刷する。
    それがすべてです。

    インクのDIC指定やCMYK指定というのはあくまで指標であり
    実際にその指定通りに刷ってもその通りにならないし、
    紙色やインクの質、印刷の方法(オフセット?グラビア?コログラフ?)
    で色合いが異なるし、
    PCのティスプレイはカラープロファイル設定の違いや個体差によって
    印刷結果が同じではないし(RGB→CMYK)、
    人間の目も自然光や電灯の種類によって違う色に見えるし、
    見本となるものが退色していてそれを見本にしていいのかもわからないし・・・
    で印刷って誤差の生まれる要素がたくさんあるんですね。

    ですから、デジタル・リマスタリングというのも、
    「原版が劣化しにくいものになる」という特長を持っていますが、
    上記のような原因で誤差の生まれる可能性のある「工程」の一つであって、
    何をめざすかによって異なる結果になります。
    ●現在残っている本と同じ色にしたいのか
    ●発刊当時の色にしたいのか
    ●原画に忠実な色を再現したいのか
    ●原画と異なるが、作者がもっとこうしたかったという意向を汲むのか
    ●原画とも作者の意向とも異なるが、とにかく美しい色にしたいのか
    ・・・などの意思に基づいてリマスタリングするということですよね。
    ですからやはり・・・
    「どういう色にしたいのか?→いろいろやって、その通りの色に近づける」
    これが、印刷の真髄ですわー。

    ( 02:32 )

  2. papayoyo | -

    Re: 印刷って・・・

    つかりこさん、熱きコメントありがとうございます。
    そういえば、広告制作会社ご勤務でしたね。
    私よりも印刷の「色」についてはウルサイ業界の方でした。
    つくづく絵本は色々な要素を持ち、書き手・読み手の発想を引き出してくれる奥深い媒体だと感じた次第です。
    そういえば、貴兄が精力的に調査をされた神楽坂。この街も色艶に富んでおりますね。名前もまた良い。

    ( 22:01 )

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