スピードへの挑戦

10日ほど前、伝説の男、ウサイン・ボルトのわずか後ろを駆け抜ける精悍な顔立ちの日本人青年の勇姿に鳥肌が立った。彼だけではない、日本スプリンター陣過去最強と言われた男たちがリオでやってくれましたね。陸上短距離決勝で、世界史上最速の人類の横を日本人選手がガチンコで走るなんて、夢にも思わなかった。日本人がオリンピックの花形競技で世界に伍して戦えるチャンスがここにあったかと。速く、速く、より速く。有史以来、人はなぜ命をかけてまでスピードへの挑戦を続けるのか?そんな人類永遠のテーマについて、自動車だけでなく、世界一足の速い男のはなしも含めたスピードへの挑戦者たちのエピソードで読者を魅了する児童書がある。それが本日紹介する『スピードへの挑戦━命をかけたスリルと冒険』(久米穣・編著、謝 世輝・解説、依 光隆・絵、偕成社・少年少女世界ノンフィクション<19>)である。

本書で取り上げられる5つの物語の中で、クルマに関するものは2話。一つは、「音速に挑む自動車」のタイトルで、スピードの限界に憑りつかれた男たちのドラマが描かれる。もう一つは、「日の丸レーサーの勝利」と題した、本田宗一郎とF1優勝を目指すドライバーたちの葛藤のドラマだ。

「音速に挑む自動車」は、一人の天才技術者に深夜一本の電話がかかってくるシーンから始まる。しょっぱなから映画みたいではないか。少年少女じゃなくてもたまらんぞ、この導入部は。
「だれだ。こんな時間にかけてくるのは。」
寝ぼけ眼で受話器を取ると、キンキン声で、
「ポルシェ博士か。」
「ああっ、あなたはヒトラー総統閣下。」

T80その1
T80
出典:http://www.autoevolution.com/news/mercedes-benz-t80-the-record-car-that-never-was-25555.html

その電話は、博士に一つの依頼、いや命令を下すものだった。ポルシェ博士はその頃既に、国民車フォルクスワーゲンを作り、数々の名レーサー(競技用自動車)を作ってあらゆる名誉を獲得していた。ヒトラーも彼の功績を讃えていた。しかし、総統が唯一不満だったこと、それはスピード記録車の王座がライバル、イギリスに独占されていたことだった。当時、1935年にイギリス人のキャンベルが、ブルーバード号で時速400kmの壁を破って以来6年間、スピード記録は全てイギリス人が独占。最近になって、同じくイギリス人アイストンのサンダーボルト号が、500kmを突破したニュースを聞き、ドイツの手で、世界無敵のスピード記録を作って欲しいという依頼だったのだ。これは「世界一速い車」や「ポルシェ 自動車を愛しすぎた男」でも紹介した「T80」プロジェクト秘話である。

目を輝かせ、「必ず、時速600kmを破るスピード記録を達成します」と答えた博士に対し、ヒットラーは、
「何を遠慮しているんだ。音速の時速1,200kmを突破してしまえ。」
と、とんでもない要求をした。まだ飛行機すら音速を超えていない時代である。

何はともあれ、博士は現実的な時速600kmオーバーの自動車設計にとりかかった。流線型のボディに、空気抵抗を少なくするため操縦席は完全密閉式にした。操縦者は、小さいのぞき窓から前方を見てハンドルを動かす。4輪では1輪にかかる重量が多すぎるので3軸の6輪にした。問題はエンジンである。博士の机上計算によると、時速600kmを出すには2,200馬力以上のエンジンが必要である。そこで、戦闘機のエンジン、メルセデス-ベンツの44,700cc、3,500馬力のDB603エンジンが候補に上がる。MB側は2年後に完成予定の新型戦闘機用エンジンだと言って提供を渋ったが、ヒトラーに圧力をかけてもらって、この怪物エンジンを入手した。

スピードへの挑戦01
音速に挑む自動車(『スピードへの挑戦━命をかけたスリルと冒険』より)

台上試験も上々で、ついにロードテストまでこぎつけた。試走路は完成したばかりのアウトバーン。白銀色の軽合金ボディが、朝日を受けて眩しく輝いていた。無塗装なのは、わずかでも軽量化するためだ。スタートをし、あっという間に時速400kmを越えてカーブに差し掛かった時、その車体はまるで飛行機のように空中に浮かび上がり、山腹に激突、テストは失敗に終わった。

翌日の事故検討会議の中で、超高速で地上を走れば、どんな車でも飛行機のように浮き上がる等々あらゆる欠点が指摘された。しかし、それまで押し黙っていたポルシェ博士はポツリ、
「欠点を指摘するだけなら誰でもできる。どうしたら障害を乗り越えられるか、具体的な意見を述べられる者は、この席には一人もいないのか。」
「では博士、あなたには何か名案はあるのですか。」
「車に翼をつければよいではないか。」
逆転の発想。揚力を生む翼を逆向きにつければ、地面に車体を押し付ける力を生む。今じゃF1カーでも当たり前、世界初、ダウンフォース発生機構のアイデアである。やはり、ポルシェは天才である。

「T80」開発プロジェクトがスタートしてまもなく、第2次世界大戦が勃発、ドイツ軍の戦況も厳しくなった1943年、下向きの翼を取り付けた白銀の車体が再び、アウトバーンに勇姿を現した。きらりと光るその姿を3,000m上空から確認したのは、イギリス軍のホーカー・ハリケーン戦闘機だった。パイロットは機関銃の発射ボタンに指をかけ、急降下に移った。ところが、確かに照準器に捉えたはずの自動車の姿は、まぼろしのように消えてしまった。この頃、既に台上試験では時速644kmの記録を出し、最高速度650-660km/hの目処はついていた。そして数日後に世界記録達成のためのテスト走行を控え、ヒトラーに報告を入れた際、彼は激しく首を振った。
「今は記録などに挑戦をしている時ではない。その飛行機よりも速い自動車の先端に、ロケット弾を取り付けて、敵の戦車群めがけて突っ込ませるのだ。どうだこの戦法は。」
とその悪魔は笑った。

こうしてこの怪物は日の目を見ぬまま、工場の奥にしまわれた。ところがその日、メルセデス-ベンツ社の工場はイギリス軍の激しい空襲にあった。焼夷弾の雨が、ついに工場を猛火に包んだとき、若いテスト員が、燃え盛る工場の中に飛び込むと、火だるまになった白銀の怪物が工場から飛び出してきた。しかし、猛スピードで走り出したT80は、小回りもスピードを落とすことも出来ず、小窓からの視界も煙が遮った。そして、工場の隅に置かれたタイガー戦車に向かって突っ込んだのだった。白銀の怪物の最期だった。数か月後、ドイツは負けた。

John Cobb&The Railton Mobil Special
Railton Mobil SpecialとJohn Cobb
出典:http://www.ba-bamail.com/content.aspx?emailid=17241

このストーリーだけで、少年少女は釘づけのハズ(そう思うのは俺だけか?)。だが話はこれで終わらない。この後、2人のスピード狂が登場する。1人は1947年、スピード記録の聖地・ソルトレークにて、「レイルトン・モービル・スペシャル号」に乗り込み、世界で初めて最高時速で400マイル(644km/h)の壁を破ったジョン・コブ。戦後のイギリスのパブで、「アウトバーンを走る戦闘機よりも速い銀色の車」のことを吹聴する退役空軍中尉が、「飛行機より速い車なんてあるか」と他の客に笑い飛ばされる中で、彼一人真剣に聴き入るシーンは創作っぽい気もするが、彼は当時まだ収容所に収監されていたポルシェ博士にまで知恵を借り、この偉業を成し遂げたという。驚いたのは、家族とソルトレイクに乗り込んでいたジョン・コブの長男が、彼の記録挑戦を阻止しようとする者らにより誘拐されていたというエピソード。当時はアメリカでも、自動車のスピード記録更新が熾烈な争いとなっていたのだ。ジョンは息子が誘拐されている中で大記録を打ち立てるというありえへん行動に出るが、この偉業を成し得た後、誘拐犯による祝福と謝罪のメモとともに、彼の息子は無事解放された。まさに家族の命までかけるスピードへの挑戦って何なんだ!ただ、これが内燃機関による最後のスピード記録となった[1]。

Spirit of america&Craig Breedlove
Spirit of AmericaとCraig Breedlove(『スピードへの挑戦━命をかけたスリルと冒険』より)

その後コブの記録は10年余りの間、塗り替えられなかった。まるで400マイルの壁があるかのようだった。しかし、その記録を16年ぶりに破る男がいた。彼の名は、クレイグ・ブリードラブ。高校生の頃から少年スピード王としてモーターファンの間ではその名を轟かせていた。父親にプレゼントしてもらったぽんこつのフォードの6気筒エンジンを、父親のクライスラーの12気筒と黙って載せ替えてレースに出るほどのカーガイだった。その彼が設計製作した車が「スピリット・オブ・アメリカ号」。その頃音速の壁を突破した飛行機の登場に、これからの車にも航空機の技術が必要と、空気力学を徹底的研究した成果でもあった。’63年に樹立した記録は平均時速407マイル(657km/h)。しかし、自動車のスピード記録を管理するFIA国際自動車連盟から記録とは認められないとクレームがついた。なぜなら、そのスーパーカーがジェット噴射式のエンジンを搭載していたからだ(※1)。しかし、自動車で音速の壁を破ることがゴールだったクレイグにとっては、どうでもよいことだった。

(※1)正確にいうとエンジンの駆動力を車軸に伝えて走るクルマではなかったということ。でも翌年FIAはジェット推進を含め「なんでもアリ」に方針転換した[2]。

Spirit of americaの失敗
減速に失敗し沼に突っ込んだSpirit of America号
出典:http://www.bluebird-electric.net/spirit_of_america_1.htm

その後、九死に一生の事故も経て、改良に改良を重ねた「スピリット・オブ・アメリカ・ソニックⅠ号」は1965年、最高時速990kmの世界記録を打ち出す(平均時速894km[1])。しかし、世界最初の音速突破の夢を果たすことなく、その実現には本書初版の1967年からさらに30年を要することになる(「世界一速い車」参照)。クレイグによると、音速の壁の前に時速1,000km付近で空気の壁があるという。そのために様々な工夫がなされ、新たな知見をもたらしたクレイグの貢献は大きい。

スピードへの挑戦02
スピリット・オブ・アメリカ・ソニックⅠ号(『スピードへの挑戦━命をかけたスリルと冒険』より)

「日の丸レーサーの勝利」は、「空とぶオートバイ」で紹介したホンダのマン島TTレースへの挑戦や、「世界一速い車をつくった男 本田宗一郎」や「F・1おやじ」で紹介したホンダマンのF1挑戦を描いたものだが、特にF1挑戦編では、宗一郎をはじめとする開発スタッフではなく、実際に命をかけて闘ったレーサーに焦点を当てた内容になっている点が興味深い。

スピードへの挑戦03
デッドヒートの’67年のイタリアGP(『スピードへの挑戦━命をかけたスリルと冒険』より)
John Surtees Richie Ginther
John Surtees(左)とRichie Ginther(右)
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/1960年モナコグランプリ

1965年メキシコGPでチェッカーを受けたリッチー・ギンザーの陰で優勝に貢献した、ホンダ初のF1パイロット、ロニー・バックマン。無名の彼を引き立ててくれたホンダのGP初優勝のために、リッチー・ギンサーをエース・ドライバーに推薦した。そのリッチーも、翌年1.5ℓから3ℓへ変更となったレギュレーションに苦戦した。事故で怪我をしたリッチーは、3000ccF1での優勝を果たすため、自分の推薦したジョン・サーティーズにエース・ドライバーの座を譲った。そして’67年のイタリアGP。ゼッケン20、ジム・クラークのロータス-フォード、ゼッケン16、ジャック・ブラバムのブラバム-レプコ、そしてゼッケン14、ジョン・サーティーズのホンダによる三つ巴戦は手に汗握る。モンツァで優勝した宗一郎が社員に向かって、
「さあ、これからが勝負だ。来年のGPレースには、全部優勝するんだ。」
と激を飛ばしたところで物語は終わる。しかし翌’68年、排ガス問題でレースどころではなくなったホンダは、F1休止宣言を出すのだった。

スピードへの挑戦04
1935年のブルーバード号(『スピードへの挑戦━命をかけたスリルと冒険』より)

そして、これも実は一部自動車のスピード挑戦の話でもあるのだが、水上のスピード記録に挑んだ男の話「水上艇の悲劇」。船ってゆったり航行するイメージがあったから、水上艇のスピード記録は盲点だった。主人公はイギリス人、マルコム&ドナルド・キャンベル親子。第1次大戦中、英国陸軍で活躍したサー・マルコム・キャンベルは、戦後自動車レーサーとして名をはせる。しかし、それまで純粋に自動車とスピードを愛する者のスポーツだったレースが、メーカー対メーカー、国対国の血で血を争うような戦いに変貌していく姿に、次第にレースへの情熱を失うようになった。そんな時、息子・ドナルドの「これまで人間が一度も到達したことのない記録への挑戦という大きな目標に向かって突進してもらいたい」という言葉がきっかけとなり、1920年代から30年代にかけて数々の自動車スピード記録を打ち立てた。また彼は1939年に水上速度記録、時速142マイル (228km/h)も樹立した陸上と水上のスピード王であった[3]。

Proteus-Bluebird CN7&Donald Campbell
Proteus-Bluebird CN7とDonald Campbell
出典:http://www.bluebird-electric.net/bluebird_history/bluebird_50th_anniversary_donald_Campbell_tonia_bern_national_motor_museum_beaulieu.htm

マルコムが亡くなった後、彼の遺志を継ぎ、ドナルドもまた陸上と水上の世界記録への挑戦を始めた。キャンベル親子の代名詞とも言える、彼らのレコードブレーカーの愛称は、父親がメーテルリンクの『青い鳥』にちなんで付けた「ブルーバード号」である(日産にもかつてブルーバードがありましたが)。特に、ドナルドが世界記達成に賭けた「ブルーバードCN7(Proteus-Bluebird Campbell-Norris 7[4])」はその独創的でかつ美しいスタイリングにファンも多いようだ。パワーソースは、Bristol Aeroplane社の4,450馬力(3,320kW)ガスタービン・ターボシャフト・エンジンで、1964年7月に平均時速で初の400マイルの壁を越えた(648km/h)。前述のように、前年にクレイグ・ブリードラブがジェット推進エンジンで平均時速400マイルの壁を破っていたが、当初FIAは記録を認めていなかったものの’64年12月に公式記録として認められため、世界初の400マイル超えの栄冠はわずか5ヶ月間だけ。ただ、シャフト駆動車の記録としては世界初である[2]。このことで、ドナルドはブルーバードの技術をベースにした水上艇でのレコードブレイクに目標を絞ることになる。彼は1964年に時速276マイル(445km/h)の水上記録を達成しているため、クレイグ・ブリードラブの記録が認められるまでの間、陸上と水上スピードのレコードホルダーであった[6]。しかし、水上記録の方も新たな挑戦者が現れたため、1966年、平均時速300マイル(480km/h)超えに挑戦しようと、英国コニストン湖にCN7を彷彿させる水上艇「ブルーバードK7」を持ち込む。そして運命の‘67年1月4日、約320マイル(512km/h)を越えた瞬間、機首が持ちあがるとそのまま機体がひっくりかえり、水面にたたきつけられた。ドナルド・キャンベルの最期だった。2001年、K7の残骸と彼の遺体が引き揚げられたという[7](※2)。



(※2)本書では、父マルコムが、自身の水上記録を1952年にアメリカ人によって破られた後、無理をして世界記録に再挑戦した際の事故で怪我をし、再起できぬままその数ヶ月後に亡くなったと記されているが、[3]によると彼が亡くなったのは1948年。スピード記録に挑んだ者の多くが事故死する中で、彼は自然死(心臓病)とされている。悲劇の親子の物語にしようとしたミスリードなのだろうか。

その他、本書で取り上げるスピードへの挑戦物語は、宇宙のスピード競争にかけたロケットの父、ロバート・ゴダート博士やフォン・ブラウン博士(ここでもヒトラーが絡む)、そして冷戦時代、米ソの宇宙開発競争のお話。まさに映画『ライトスタッフ(“The Right Stuff”)』(1983・米)の世界である。大学時代、文庫本の原作も読んだし、クラスメイトと映画も観に行ったが、サム・シェパード演じる世界で初めて音速の壁を破った孤高の軍人、『正しき資質(The Right Stuff)』を持つチャック・イエーガー大尉がカッコ良すぎて、卒論テーマに「衝撃波」を選んだのもこの映画の影響があったかもしれない(そういえば、先の友人も修論テーマが衝撃波だった)。

Roger Gilbert Bannister
Roger Gilbert Bannister
出典:http://plaza.rakuten.co.jp/carlozgg/diary/201201050018/

そして本書のトリが「世界一、足の速い男」。世界で初めて10秒の壁を破ったジム・ハインズのことか。いや、彼がメキシコ五輪で9.95を記録したのは、本書初版の翌年1968年である[8]。ここで紹介されるのは1マイル、4分の壁に挑んだ男たちの話である。この難攻不落の記録に、科学的根拠から突破の可能性を確信した男がいた。オックスフォード大学の医学生、ロジャー・バニスターである。一に節制、二に努力、三に根気と根性で練習を続けたがどうしても壁が破れない。そんな時、彼の練習方法が間違っていると指摘する男がいた。もう一人の主人公、中距離走者のクリス・チャタウェイ選手だった。彼曰く、力の配分を効率的に行うため、ペースメーカーが必要だという。ペースメーカーの後ろに食いつき、最後の100mで一気に抜くことで、4分の壁はいとも簡単に破られると。そして彼が、そのペースメーカーになることを申し出たのだった。二人三脚の苦しい練習を続けた結果、1954年にその壁は破られる。その頃、オーストラリアに好敵手、ジョン・ランディが現れ、あっという間にその記録は破られた。そして、真の世界一のマイル走者を決めるための一騎打ちの対決が開催される。

スピードへの挑戦05
記録を陰で支える縁の下の力持ち(『スピードへの挑戦━命をかけたスリルと冒険』より)

スポーツの世界では、頂点を極めた選手を陰で支えるアスリートの存在を忘れてはならない。チャタウェイ選手もそういう一人だ(彼はその後、3マイルレースで世界記録を打ち立てるのだがね)。リオ五輪の番組を見ていたときに、多くのスパーリングパートナーも一緒に帯同しているということを知った。メダル獲得も記録達成も、一人の才能だけでは成し得ないということだ。「レイルトン・モービル・スペシャル号」も「スピリット・オブ・アメリカ・ソニック号」、「ブルーバード号」も、そしてホンダ・RA272も、これらの栄光のクルマは多くの人々の知恵と努力と、そして勇気の結晶である。

私の紹介は本書をベースとした単なるレポートだから、機会があれば是非古書を手に入れて、久米穣氏の達文を堪能して欲しい。年齢に関係なく、スケールの大きい人間のドラマに惹き込まれます。昭和の児童書には欠かせない依 光隆氏の挿絵も魅力の一つであることを付け加えておこう。

リオでも悲喜こもごものドラマが生まれたが、本書を読んで感じたことは、どのアスリートも国とか誰かのために闘わなくて良いのではないかということ。負けた選手の謝罪する姿が話題になっていたけど、勝つことよりもまず、純粋に自分の記録更新を追い求めた方が良い結果が得られるのではないか。計測競技であればその通りだが、チーム競技の場合はそれぞれの役割の中で記録を追求する。シュート数やアシスト数の記録を伸ばすとか、ブロック数の記録を伸ばすとかね。対戦競技であれば一つでも白星を続けることにチャレンジする。吉田選手もそれまでは連覇の記録更新を目標にしていたように思えるが、最後の最後で色々重いものを背負い過ぎた。国とか父親とか誰かとの約束とか。主将として金メダルを目標にするより、己の連覇記録を伸ばすことだけに集中していれば…。結果は同じことでも、後者のモチベーションであれば、背負うプレッシャーから一瞬でも解放されたかもしれない。ここに登場した挑戦者たちの多くは、自分のために、自分を超えるために命をかけていた。少なくとも、周りはそうでなくても国対国のような競争には辟易していた人たちのように思える。

日本リレー選手陣も、[9]の記事のように日本記録更新に拘ったが故の銀メダルだった。これからの4年間は是非個々の記録更新に挑み続けてほしい(期待してるぜ9秒台)。そうすれば、きっと東京での結果は付いてくる。彼ら以外に、今回怪我で五輪参加できなかったサニブラウン・ハキーム選手もいるし、短距離は楽しみだなあ。

記録への挑戦
出典:http://kanasoku.info/articles/87148.html

[2016.9.10追記]
この児童書の紹介のきっかけとなったのが、以下のF&F嫁さんの熱き記事である。冒頭の色鮮やかな「ブルーバードCN7」のフロントフェイスがいきなり脳裏に焼き付く。
「ブルーバード」、F&F嫁の”FFree World”
改めて少年少女期における本の影響力というものを再認識した次第である。
Fさんありがとうございました!




[参考・引用]
[1]自動車の速度記録、Wikipedia、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%BB%8A%E3%81%AE%E9%80%9F%E5%BA%A6%E8%A8%98%E9%8C%B2
[2]Bluebird-Proteus CN7 Record Breaker、Classic Photo Gallery、緑龍館別館、
http://www.geocities.jp/archives_greendragon/car_bluebird_cn7_beaulieu.html
[3]マルコム・キャンベル、Wikipedia、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%AB
[4]Proteus-Bluebird Campbell-Norris 7 (CN7)、LAND SPEED RACING HISTORY、
http://www.gregwapling.com/hotrod/land-speed-racing-history/land-speed-racing-bluebird-cn7.html
[5]Bluebird-ProteusCN7、Wikipedia、
https://en.wikipedia.org/wiki/Bluebird-Proteus_CN7
[6]Donald Campbell、Wikipedia、
https://en.wikipedia.org/wiki/Donald_Campbell#Legacy
[7]水上速度記録、Wikipedia、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E4%B8%8A%E9%80%9F%E5%BA%A6%E8%A8%98%E9%8C%B2
[8]10秒の壁、Wikipedia、
https://ja.wikipedia.org/wiki/10%E7%A7%92%E3%81%AE%E5%A3%81
[9]10秒切れていない4人がなぜ銀メダル? 「ちょっと怖かった」決断、withnews、2016年8月25日、
http://withnews.jp/article/f0160825002qq000000000000000G00110101qq000013915A
スポンサーサイト


コメント

  1. SDTM | /ZyVyp1I

    亀コメントです。

    ★ この記事を読む前に、偶然にも「ブルーバード号」に関するBLOG記事を
       読んでおりました。弊BLOGに寄られた方々の足跡(BLOG記事)で
       かなりの記載がありました。
       たぶん、ご存知ではないかと思います。(F&F、、、さんのBLOG)
       この青い車体、美しいですね。一度実物を見たいな。

    ( 12:31 [Edit] )

  2. papayoyo | -

    Re: 亀コメントです。

    SDTMさん、そのF&Fさんの記事を読んで、彼が探しておられたこの本の紹介に至りました。
    F%Fさんにもご報告をし、喜んでいただけました。
    ブルーバード号は本当に美しいですね。私も現物を拝みたくなりました。
    日産・ブルバードも青の色に拘って残せばよかったのに。

    ( 17:32 )

コメントの投稿

(コメントの編集・削除時に必要)
(管理者にだけ表示を許可する)


トラックバック

Trackback URL
Trackbacks


最近の記事