悲しみのジェット・プレーン

悲しみのジェット・プレーン
出典:http://www5.atpages.jp/koichi76/subj1_014.html

先日の夜、駐車場にドライブレコーダーのデータをダウンロードするためSDを取りに行ったときのこと。ふと空を見上げると、3機の航空灯が見えた。ここ横須賀や横浜上空は、羽田や成田からの航路の通過点になっているので、たくさんの航空機を拝むことができる[1]。またUFOが飛んでこないかなとか(実は10数年くらい前に、自宅から基地上空に浮遊・旋回する未確認飛行物体を数十機、妻と目撃したことがあるのです)、あの飛行機は故郷・福岡に向かう便なのだろうか、などと思いながら眺めていた。夜行列車、夜行バスもそうだが、夜の航空機もまた、人を切ない気分にさせる。そんなとき思い出したのが、ジョン・デンバーの『悲しみのジェットプレーン』だった。とてもふるーい曲だ。

太陽を背にうけて
初めて買った洋楽のEP盤
出典:http://www5.atpages.jp/koichi76/subj1_014.html


今の若い人、ジョン・デンバーって知らないだろうなあ。70年代に大人気だったカントリーミュージックのシンガーソングライター。小学生の時にジーンズのCMで流れていた『太陽を背にうけて(Sunshine on My Shoulders)』を聴いて大好きになった(ニッポン・ロングセラー考)。彼の代表作『故郷に帰りたい(Take Me Home, Country Roads)』の“カントリー・ロード、テイク・ミー・ホーム♪”のメロディを聴けば、多くの人が一度はどこかで聴いたことがあるはず。


オリジナルがこれ


彼のイメージといえば、コロラド、アスペン、ウェストバージニア、ワイオミング等々大自然の中でギターをつま弾く、サラサラ金髪、丸眼鏡のあか抜けない田舎のあんちゃんって感じ。でも彼の父、Henry John Deutschendorf(ジョンの本名は、Henry John Deutschendorf Jr.)は米空軍のパイロットで、世界初の超音速爆撃機、コルベア・B-58[2]の3つのスピード記録を持つ筋金入りの軍人である[3]。ジョンのLPのライナーノーツで、彼の父親のことを読んだことがあって、後年、映画『ライト・スタッフ』でも有名になった、人類で初めて音速の壁を破ったチャック・イェーガー空軍大尉がその父親だと勘違いしていたことがある。そんな英雄の父を持つジョンも当然、空軍パイロットの道を勧められたが(父の仕事の関係で日本に住んでいたこともある。ここ横須賀付近だったという噂もあるが。)、近視だったためテキサス工科大学へ進学し建築技師を目指す[3][4]。そんなバイオグラフィーを知って、建築家を目指した時期もあった影響を受けやすい僕。もちろん、彼は操縦士免許を持つ飛行機好きではあったようだ。そのことが後に悲劇を生むことになるとは誰も思わなかっただろう。

中学時代、周りの友人たちが、クラプトン派?ベイカー派?などと生意気な音楽議論をしている中で、自然派ジョン・デンバーを口に出すのはちょっと気が引けた。でも彼らの中で、僕はジョン・デンバー好きとして通っていた。当然ギターにも興味は持ったのだが、ジョンのようにギブソンのギターを買ってもらえる訳でもなく、友人に借りて練習をしてみたが、やはり才能がなくてギター少年とはならなかった(その後自分で買いましたがすぐに埃をかぶりました)。それでもギターやハードロックに狂うよりはいいだろうと、親には彼のLPを結構買ってもらっていた。NHKで全米で放映されたジョンのテレビショーを観たのも、『警部マクロード』シリーズの「コロラド大追跡」って回で、彼がゲスト出演していたのを観たのもこの頃だったと思う。とにかく、ジョン・デンバーの情報は常にチェックしていた。


NHKで見た番組の中で、ジョンがジャック=イヴ・クストー博士の調査船、カリプソ号に乗っていた場面をよく覚えている。この経験が元で後の『わが友カリプソ号(Calipso)』という素敵な曲が生まれた。

大学は資源開発工学科だったから、コロラド鉱山大学に憧れていたことがあった。どこかにジョンの影響もあったのかな。そんなコロラド、ロッキー山脈の風景が浮かぶ”Rocky Mountain High”。イントロのギターが大好き。

高校・大学と音楽の趣味が広がるにつれ、彼への興味も次第と薄れていった。時代も彼の音楽を受け付けなくなっていた。社会人になって、工場実習で一緒になった同期が、京大院の航空工学出だった。バカな俺は、クールでいかにも頭の切れそうなその男と話が合うか心配だった。で、寮の部屋で音楽の趣味の話をしたら、そいつもジョン・デンバーが大好きで、確か工場実習期間中にもコンサートに行くようなことを言っていた筋金入りのファンだった。違う音楽にどんどん浮気をしていった俺とは違い、一途にジョンを追いかけていた彼に尊敬の念すら覚えた。そのとき確認はしなかったが、彼が航空工学の道を選んだのも、ジョンのバックグラウンドに影響を受けた可能性はある。その後お互い違う職場に配属されたので、今彼がどこでどうしているかは知らないけれど、いいヤツだった。ジョン・デンバーファンに悪いヤツはいない。うん(笑)。

それから約10年後の1997年10月12日、彼が操縦する小型自家用機がモントレー沖の海上に墜落し亡くなったことをニュースで知ったときはショックだった。同期の桜はもっと落ち込んだだろうなあ。

ジョン・レノンが、1980年、米Playboy誌のインタビューで、ジョン・デンバーの作詞とギターの技術に一目置く発言をしたというのだが分かる気がする[4]。ギターも抜群にうまかった。彼の曲を一つ選べと言われると、『緑の風のアニー(Annie's Song)』かな。彼の最初の奥さん、アニーさんに捧げた、今聴くと恥ずかしいくらいのラヴ・ソングだが、曲の生まれた背景には複雑な事情があったようだ(日本語歌詞とその背景はこちらを参照)。男と女の関係は難しい。そういう意味でもこれは名曲だと思う。



ところでYahooニュースを見ていると、全日空のB787がとんでもないことになっているではないか。ANAのB787に使われているロールス-ロイス製エンジンに重大な欠陥が見つかり、それを把握しながら5ヶ月も公表しなかったという[5]。大学の友人にANAの航空整備士がいるので、飛行機は必ずANAを利用している。上半期、福岡に頻繁に帰省した際ももちろん同社便を使っていた。5ヶ月間といえば、B787にも1回は乗っていたかもしれない。点検整備の体制やディスクロージャー(情報公開)など会社のガヴァナンスにも懸念が及ぶが、彼らを敢えて擁護すると、潰れかかった(というか完全に潰れた)ライバルは税金でV字回復を図る一方、ANAは純粋に企業努力だけでこのライバルとの熾烈な競争をしなければならない不公平感は、第三者が見てもそう思う。ズルいよな、J○Lって。ギリギリの経営の中で、製造元のボーイング社との安全確認の調整、点検整備等が手薄になっているのかもしれない。もしそうであれば、これは利用者として由々しき問題だ。競争の厳しい業界でもあるので、行政は公平な競争原理に立って、安全管理の指導をしてもらいたいものだ。

ヤバイ?B787
ヤバイ?B787
出典:http://www.haneda-airport-server.com/entry/2016/08/26/093841

B787は過去にLi-ionバッテリーからの発火トラブルもあって、その原因調査もその後どうなったかわからないが、欠陥航空機だなこれは。伝統に胡坐をかくR-Rも大丈夫なのかな?ハインリッヒの法則に従えば、B787の利用は控えていた方がよさそうだね。ああ、悲しみのジェット・プレーン(ボーイング)。



ジョン・デンバーのことをもっと知りたい方は、以下に熱きサイトがありますのでご覧下さい。
始まりはいつもジョン・デンバー



[参考・引用]
[1]【連載】大船の空を見よう!〔1〕~飛行機を見よう(1)~、小野勝彦、わがまち大船ニュース、
http://o-f-n.jp/news/2014/02114/index.htm
[2]B-58 (航空機)、Wikipedia、
https://ja.wikipedia.org/wiki/B-58_(%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F)
[3]John Denver、Wikipedia、
https://en.wikipedia.org/wiki/John_Denver
[4]ジョン・デンバー、バイオグラフィー、
http://www.bekkoame.ne.jp/~nisenora/j-biography.html
[5]<全日空欠陥>乗客「非公表は怖い」 専門家は事故懸念、伊澤拓也、内橋寿明、毎日新聞、2016年8月26日、
http://news.yahoo.co.jp/pickup/6212373
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[ 2016/08/27 19:47 ] music/音楽 | TB(0) | CM(0)

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