牛への道

仕事柄、メールとか日本語の文書を英文翻訳して職場内に通達しなければいけないことが多い。パパッと右から左に英訳できるスキルと時間的余裕もないので、その実力値はわかっていながら、まずは単語の変換が早いGoogle翻訳にかけ、(私の英語知識の範疇で)明らかにおかしな部分を添削しながら何となくそれっぽい文章に仕上げていく毎日だ。先日も、とりあえずある文章をまるごとコピぺして自動翻訳にかけると、「KY(日本の製造業の世界では常識の、最近は海外でも通じる『危険予知』の略語)」という単語を「ケンタッキー州」とそいつは”提案”してきた。どこをどう読めばこうなるんだと半笑いでいると、北米駐在経験のある上司が、アメリカの一般常識としては正しいと仰せられた。そんな些末なハプニングから、以前読んだあるエッセイを思い出した。劇作家、宮沢章夫さんの「彼がそれとして、彼の困難に横たわって」という一文。

宮沢章夫
宮沢章夫[1]

これは彼のエッセイ集『牛への道』(新潮社)に収録されている。この本は1994年初版の結構古い単行本だ。岸田戯曲賞受賞作家が、何気ない日常の出来事を彼独特の視点で笑いの人生に変えてくれるエッセイの数々。私が独身か結婚後間もない頃に手に入れたもので、妻と一緒にどれも腹を抱えて笑った本。変な人と思われるので、電車など衆人の中で読むことをお薦めしない。

「彼がそれとして、彼の困難に横たわって」は、ある女性の『発見』にまつわる話だ。彼女は友人からプレゼントされたロンドン土産の毛染めに書かれた説明文を解読するのに、当時始めたパソコン通信(死語だね)のサービス機能の一つである翻訳サービスを使ってみようと思い立ったことが事の発端だ。ほどなくして翻訳の結果が送信されてきた(瞬時じゃないところが時代を示す)。しかし、彼女にはそこに何が書いてあるのかよく理解できなかった。以下本文より引用する。

『「翻訳サービス」は、送られてきた「英文」を翻訳用のコンピューターに入力し、機械が自動的に翻訳するもので、断り書きには、「最新の人工知能の研究成果が取り入れられておりますが、その多くは発展途上の技術です」とある。そんなことはわざわざ言われなくても、結果を見れば明らかだ。けれど、彼女が知ったのは、「最新の人工知能の研究成果」はこの程度かという当たり前の結論ではなかった。彼女はむしろ、その「日本語」に魅力を感じ、「機械翻訳は使える」とすら思った。問題は何に使えるかだが、彼女にとって、そんなことはどうでもよいことだ。』(『牛への道』より)

そして彼女は手当り次第に文章を翻訳して気分の昂揚を覚えるのだった。その一つが、有名なカフカの『変身』、冒頭の一節の英語版翻訳(原文はドイツ語なので)。

"One morning, when Gregor Samsa woke from troubled dreams, he found himself transformed in his bed into a horrible vermin. He lay on his armour-like back, and if he lifted his head a little he could see his brown belly, slightly domed and divided by arches into stiff sections. The bedding was hardly able to cover it and seemed ready to slide off any moment. His many legs, pitifully thin compared with the size of the rest of him, waved about helplessly as he looked."[2]

エッセイで紹介されていた当時の人工知能の成果がこれ。(多少、元の英語翻訳者が違うかもしれない)

『As Gregor Samsaは不安な夢からのある朝、彼を目覚めさせて、見つかした。彼がそれとして彼の困難に横たわっていて、装甲であり後部であり、少し彼のベッドを持ち上げたとき、彼は、彼のドーム同様褐色の内部がベットキルトが位置にほとんど保つことはできずだっ、すっかり滑ろうとしたかたい弓型のセグメントに分割されるのを見ることができた。』(『牛への道』より)

宮沢氏の言葉を借りれば、これは言葉を解体しようとする機械の挑戦。たとえ人が出鱈目な言葉を書こうと試みたところで、ここまで出鱈目になれるものではないという一種のリスペクトすら覚える所業。

ちなみに上記の英文を最新のGoogle翻訳にかけると、瞬時に以下のような結論を導き出した。
『グレゴール・ザムザは、問題を抱えた夢から目覚めたときある朝、彼は彼自身が恐ろしい害虫に彼のベッドで変換見つかりました。彼は鎧のような背中に横たわって、彼は彼の頭を持ち上げた場合、ほとんど彼がわずかにドーム状と硬いセクションにアーチで割った、彼の茶色の腹を見ることができました。寝具はほとんどそれをカバーすることができませんでしたし、任意の瞬間をオフにスライドする準備ができて見えました。彼が見えたとして彼の残りの部分の大きさと比較して哀れなほど薄い彼の多くの脚は、約どうしようもなく手を振りました。』

90年代の機械翻訳ほどの感動はない。「問題を抱えた夢から目覚めたときある朝」より「不安な夢からのある朝、彼を目覚めさせて、見つかした」の表現の方がむしろ芸術性すら感じる。「できずだっ、」といったシュールな表現描写も見当たらない。しかし、意味不明なのは20年たったディープラーニング流行りの2016年現在でも変わらない。仕事にも使えない、20年前に一人の女性が抱いた新しい言語の可能性すらも見い出せない人工知能って何なのだろう?

言葉を操るって、相手の不確かな情報を前後の文脈、あるいはその人の文化的背景や生活習慣から読み取って理解する、極めて人間らしい高度な知的作業だ。それをさらに異なる言語間で行おうというのが翻訳だ。自動車の運転も周辺の不確かな情報を前後左右の車両や周囲の環境変化から読み取って操作判断する、これも言葉によるコミュニケーションと同様に高次元で複雑な知的作業である。それを複雑に入り組んだ道路の中で、ポケGoに興じる歩行者や音楽聴きながらの自転車も交錯する一般道で行うなんて至難の業だ。ゆえに自動翻訳も2020年に一般道走行なんて言っている自動運転も、利用者が期待するレベルを実現するには、恐ろしく高い技術の壁が立ちはだかるだろうと思う。ここ横須賀特有の谷戸の街を自由自在に自動運転できる世界なんて未だ想像もできないし、そんなバラ色のロードマップ(これな)なんてまだまだ描けないよ。

今の自動運転や人工知能のブームって、原発が商業利用を開始した時代と似ているんだよね。あの時も経済優先で、事故を起こしたときのことや自然災害列島で運用するリスク、廃炉の困難さに目をつぶって、夢のエネルギーともてはやされた。私は、少なくとも戸田奈津子さん並みのパフォーマンスを示す自動翻訳機が生まれない限り、完全自動運転は実現できないだろうと思っている。そう、私は日々、自動翻訳機の性能で未来を推し量っている。

翻訳デバイス「ili」
どれほどの実力?翻訳デバイス「ili」[3]

冒頭のエッセイを読んだ頃には、インターネットや携帯電話の世界がこれほど当たり前になるとは想像できなかったから、私の予想に反して、これらの夢の実現が、ひょっとすると簡単に、あるいは想像を超えた別のカタチで実現してしまうかもしれない(Google翻訳の現状を見る限り難しそうだ)。人間にしかできなかった翻訳や自動車運転どころか、それこそ芸術や創造的なアイデアすらも人工知能によって生み出せるとなった時には、人間の存在意義って何だろう?と、今度は人類の種の存続に関わる最大の難問が待ち受けることになる。機械は多少ボケをかましてくれた方がホッとする。

[参考・引用]
[1]合理は捨てろ、それが早稲田だ 宮沢章夫、早稲田大学ホームページ、
https://www.waseda.jp/top/news/30867
[2]The Metamorphosis、epubBooksm、
https://www.epubbooks.com/book/475-metamorphosis
[3]言葉の壁さようなら!同時翻訳できるウェラブル翻訳機「ili」が凄い、Hatena Blog、2016年1月16日、
http://zerotsuku.hatenablog.com/entry/2016/01/06/120703

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コメント

  1. つかりこ | -

    こんにちは

    僕も仕事でGoogle翻訳をちょくちょく使うんですよ。
    分詞構文や、前置詞や冠詞の違いはうまく訳してくれないですよね。
    おっしゃる通り、近年はプログラムが複雑化しているせいか、
    「なんでそういうふうに間違えたのかわかりにくい」ケースが
    けっこうありますよね?
    昔の自動翻訳は、同じ間違えるにしてもわかりやすかった。
    だから“参考提案” として直しやすかったですよね?
    機械にできない柔軟な部分を人が補って共存してた気がします。

    でも、人工知能が量子的に発達してしまうと人間が不必要になるので、
    誤訳がなくなるんですね。人間にわかるように伝える必要がなくなる。
    自動運転も乗って運転してる人間に危険を伝える必要がなくなりますよね。
    行きつくところ、人間が乗らなくなるのですから。

    「人は、人によって間違いがさまざまだし、
    同じ人でもその時の感情や好みの違いで
    いろいろな答えを出すところがいいのだ、
    機械もように一本やりだと、何か重大な危機に襲われると全滅するのだ」、
    なんて昔は言っていましたが、人工知能はその多様性まで持つものに
    なるのではないかと言われているようです。
    そうなると、「人間は何をやるのか?」ということを、
    本気で考えている科学者が世界中にいるようですね。

    誤訳といえば、僕のブログの直近の記事タイトル、自信がないですわー。
    ●Walk for love!
    ・・・としていますが。
    ●Walk for the love!
    ・・・なのか?
    ●Walk to the love!
    ・・・なのか?
    ●Walk to love one!
    ・・・のほうが文章的には正しそうかな?とか
    そもそも・・・
    「愛の “ために” 歩く」とか、
    「愛に “向かって” 歩く」とかのような
    日本文学的な言い方が英語の「語法」で成立するのか?
    ・・・これも、Google翻訳は教えてくれませんよねぇ。

    ( 16:20 )

  2. papayoyo | -

    Re: こんにちは

    つかりこさん

    考えさせられるコメントありがとうございます。
    私も冠詞や前置詞の使い方は相変わらず迷います。日本人の一番不得手なところでしょうね。

    >人工知能は人間にわかるように伝える必要がなくなる。
    これは重要なことを示唆しています。機械学習の課題として、開発者はアルゴリズムを理解できていても、コンピューターがその結果を導いた理由が明確にはわからないということはよく言われています。
    http://aitimes.info/articles/315

    機械学習以前に、最近のシミュレーション技術への依存や、開発プロセスの分業化の問題も似ています。課題を解くのに、昔のエンジニアは自分で数値モデルを作ってプログラミングを書いて解いてきましたし、自分で一からメカや回路を組んだりしてものづくりをしてきました。だから問題が生じても、その原因を探しだして修正するのは比較的容易だった訳です。ところが今は既存の汎用シミュレーターで仕事をするので、初期条件を設定すればそれっぽい結果を出してくれますから、何となく現実もそうなんだろうと思ってしまいます。でもそれはあくまで単純化されたモデル上の解なのでリアルワールドを再現したものではありません。

    また、自動車もそうだと思いますが、完成品メーカーは、サプライヤーから要求に見合った部品を納めさせ、組み立てるだけの存在になりつつありますから、肝になる部分がブラックボックス化しています。そうなってくると、アウトプットの根拠を求められても、重大な欠陥の改善策を求められても、エンジニアやメーカーは答えられないんですね。タカタのエアバッグ誤作動問題の解決が遅れている理由の技術的な本質はそこにあると思います。そこに人工知能のブラックボックス化となれば、コトはより深刻となります。

    私の職場で働く外国人社員の多くは、普通外国人どおしでも日本語で会話します。でも以前、聞かれて困るのか、ある社員らがとっさにお互いが理解できるフランス語で会話をし始めたことがあります。英語だと日本人にわかってしまうと思ったのですかね。人工知能もいずれ、人間には解読できない言語アルゴリズムを生み出し、機械どおしでしかわからない会話をし始めるのかもしれません。恐ろしいことですが。

    ( 19:39 )

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