カツオが磯野家を片づける日

カツオが磯野家を片付ける日

1月に実家で倒れて入院していた父が、連休明けに退院した。本当は先月末の予定だったので、先月後半から福岡に帰省して準備をしていたのだが、直前に体調を崩し、結局私が横須賀に戻ってからの帰宅となった。実家はゴミ屋敷だったし、九州で地震も頻発したため、入院直後から少なくとも一時避難場所として近所の介護サービス付高齢者住宅に生活の場を移すことを提案してきた。しかし、人の心配をよそに自宅の生活を続けることで押し切られた。『老いても子に従わない』頑固な父。帰省中も揺れが収まらない学生時代を過ごした熊本のことも気になりながら、実家の片づけと介護サービスの申請など退院後の準備でイライラとクタクタの連続だった。まあ被災地の苦労を考えれば、罰当たりのボヤキなんだけどね。退院後は、ご近所や親戚、行政から多大なるご支援を頂いたお陰で、今はだいぶすっきりとした環境の中で、これまでの生活スタイルも変えて新たな一歩を踏み出している。それでも片づけの進捗は道半ばかな。今後もたまに帰って一緒に実家の整理を続けていくことになるだろう。今回の話のネタにする『カツオが磯野家を片づける日』(渡部亜矢・著、SB新書)は、その帰省中に購入した本で、まさに今私が直面する問題を扱ったものだ。現在、超少子高齢社会の日本各地でリアルタイムに起こっている『実家の片づけ』に焦点を当て、あの国民的家族、サザエさんでお馴染みの磯野家その後のシミュレーションを題材に、この悩ましい問題の解決方法について解説した本だ。納得する点、突っ込みたくなる点色々あったが、なかなか考えさせられる一冊。

41歳(!)独身のカツオが突然、世田谷の実家の片づけをしなければならなくなった理由は、同じ著者による『なぜ大半の実家は「ゴミ屋敷化」するのか?』の記事でも紹介されている(※)。私の場合もこのシミュレーションどおりの経緯を辿っていた。両親が高齢になると、だんだんと掃除が行き届かなくなり、母が亡くなってから男寡の父一人で暮らす実家がどうなるかは、容易に想像はついた。にも関わらず、実家はゴミ屋敷化したのである。

(※)ワカメちゃんがグローバルに活躍するキャリアウーマンの設定には少々驚いたが、実はワカメのモデルとなった作者・長谷川町子の姪御さん、長谷川隆子氏が現在パリ在住ということを初めて知った[1]。意外にもワールドワイドなサザエさんファミリーなのだ。

20年後のサザエさん一家
20年後のサザエさん一家。カツオ、結婚してるやん。ワカメ、キャリアウーマンっぽい。本書の設定に近い、30年後のサザエさん一家も描かれているよ。
出典:http://芸能エンタメ.net/twentyyearsafter-sazaesan-3102/

「部屋のあちこちに殺虫剤がころがっている。棚の上には木彫りの熊の置物や人形、こけしなど、こまごまとしたものが所狭しと並び、埃を被っている。花瓶の花はドライフラワーと化し、花弁が散っている。新聞や雑誌が積み上げられ、崖のように立ちはだかっている。居間も物だらけで床が見えない。台所には、食品や生活用品などが入ったレジ袋が、買ってきたままの状態でいくつも置かれている。ダイニングテーブルには、未開封のダイレクトメールや回覧板、爪切りや飲みかけの薬が数袋、汚れた急須と湯呑茶碗のセットが置かれたまま…。」主の不在となった実家は、本書に書かれた”実家あるある”の情景そのまま、いやそれ以上の酷さだった。

弟妹もいて、近所にサザエさんが住む磯野家の想定はまだマシな方で、一人っ子で実家からはるか遠方に住む私の場合、仕事や育児の負担が大きくなるにつれ、故郷への帰省は年々おっくうになっていた。たまに帰ると、年老いた親の住む家が徐々に散らかってきていることに薄々気づいてはいた。でも滞在期間は短いし、まだ親は元気だと片づけを先延ばしにしてきたことが、実家のゴミ屋敷化のメカニズムだ。そして親が病気で倒れたり、亡くなったときに、その厳しい現実を思い知らされることになる。特に、一見外からは見えにくい台所の戸棚や冷蔵庫、押入れの中は要注意。カビ、埃、害虫の温床になっている可能性が高い。これから実家の片づけを経験される方は、生活者の、特に健康・衛生面に重篤な影響を及ぼし兼ねないこの辺りからチェックすることをお薦めする(食品や医薬品は賞味・消費期限切れにも注意)。

どうしたらいい?実家の片づけ。
実家あるある
出典:どうしたらいい?実家の片づけ。、シリーズ介護を考える第19回、通販生活、2015秋冬号、No.255

真夜中に散らかった部屋で呆然と立ち尽くすカツオの場面は、数ヶ月前の自分の姿と重なった。いざ片づけ始めようとすると、「捨てていいよね。」「いつか使うから捨てるな。」「いつかっていつだよ。」と親子げんかが始まるストレスの連鎖。このような精神的に追い込まれた状況で、親に言ってはいけないNGフレーズというものが紹介されている。

①捨てない価値観を否定しない
NGフレーズ:「いつか使うって、いつよ」「どうせ使わないんでしょ」
②親を主体にして話す
NGフレーズ:「荷物を遺されて困るのは、私なんだよね」「片づけをしてあげてるのに」
③いきなり財産の話をしない
NGフレーズ:「通帳どこ?」「権利証は?」

俺、全部言ってた。実家の片づけといっても主役は『親』であり、彼らに敬意を払い、相手の気持ちを慮(おもんばか)ると本書は語る。確かにそれも一つの道理ではあるが、現実はそんなに甘くはない。

実家の片づけ1
台所の片づけで大量に出てきたお盆の数々。あとタッパーも食器棚一杯に。

本書が示す片づけ極意七ヶ条の第一ヶ条には、ゴールは「親が安心・安全・健康に暮らせる家」とある。そう、これが実家の片づけの基本方針、最終目標である。私が帰った後も、ご近所や親戚に入ってもらい、かなり強引に不要・不衛生なモノを捨てたと聞く。親が主人公とはいえ、コミュニティの中で暮らす一員でもある。実家のゴミ屋敷化を放置していれば、もちろん自宅内での転倒や疾病などのリスクも生じるが、埃のトラッキング現象による火災やカビや害虫の繁殖など、周辺住民や環境に多大な迷惑を及ぼす要因にもなる。個を重視する本書の視点に欠けているのは、実家の社会との関係性だ。親の人権も大事だが、公共の福祉が優先されるべき、と私は思うのだ。人権を過剰に保護すると単なるエゴになる。第一ヶ条を私なりに加筆するなら、「親と近隣のコミュニティが共に安心・安全・健康に暮らせる家」となる。この視点でもなかなかモノを捨てようとしない父とかなり議論したが、“エゴ”を通された。(黙って捨てたものも結構あるけどね。絶対に気づかねえ程度のものだし。)

もちろんただ感情的に言うだけではなく、理詰めで話をしても(相手も元エンジニアだから)、まあ自分の考えを曲げない昭和ヒトケタ世代。元東京都知事・石原慎太郎氏(83)、ジャニーズ事務所副社長・メリー喜多川氏(89)、三菱グループの“天皇”、三菱重工相談役・相川賢太郎氏(88)らの言動を見れば、一筋縄で行かぬ難敵だということがおわかりになるだろう[2]。自己主張が強い、悪く言えば、自分勝手、自己中心的で己の立場を客観視できない困った人たち。父も全くそうで、自分のワガママだけ主張し、身内のことよりも周りのコミュニティにどれだけ心配と負担をかけ、不安にさせているのかを理解しようとしない。「人格を形成する10代に、戦中の軍事教育を叩き込まれ、戦後混乱期の矛盾のなかに生きてきた特殊な人種」という、とある識者の分析も納得できる[3]。

実家の片づけ2
箪笥の引き出しからこんなもんが。
俺「何なん?これ」
父「クリーニング屋に返してやろうと思って」
俺「・・・」
もう理解不能、昭和ヒトケタ

本書は子ども側(カツオ)の苦労よりも、親側(フネ)の気持ちに極力配慮した印象を受ける。子の苦労は花沢さん(不動産会社社長で「空き家ビジネス」事業も請け負う実業家)や早川さん(実家片づけアドバイザー←著者の肩書)、中島君(ファイナンシャルプランナー)など何やら怪しげな横文字職業が請け負いますというシナリオに、この社会問題で金儲けを企む業界の宣伝本だったかと一瞬嵌められた気もしたが、日本や東洋では親や年長者には盲従すべきと曲解された儒教的考えが根強いし、戦争経験で苦労をした彼らへの遠慮もあるのだろう。でもハンディや苦労を背負う人への過度な気遣いが、おかしなことに対してもモノ申せない空気を作り出し、時にお互いを不幸にしてしまうことを、我々は佐村河内守氏や乙武洋匡氏の件で悟った。親主体の片づけに終始して、子が自己犠牲に走り過ぎると、共倒れになる危険性もある。不満は絶対にため込んではいけない。戦後の復興と経済成長をがむしゃらに牽引してきた彼らの功は認めるし、我々を育ててくれた恩義や敬意を失ってはならないだろう。それはそれとして、大げさに言えば、彼らが国民として軍国主義を煽ったことへの総括を封印し、問題を先延ばしにして戦後米国から与えられた物質主義・金満主義へひたすら邁進したツケが、バブル崩壊であり、超少子高齢化と、それを支えられないくらい膨らんだ財政赤字であり、名門企業の崩壊、東京五輪誘致に関する一連のグダグダに繋がっているのではないか。実家の片づけ問題も広い意味で、これらのツケの一つだという私の理解だ。本書では親世代はモノを捨てることに罪悪感があるので実家がゴミ屋敷化すると分析するが、これもモノがなかった(モノは贅沢といわれた)戦争時代から一転、モノが豊さの象徴だった高度経済成長期を謳歌した自己矛盾によって屈折した彼ら独特の価値観から来るものだと思う。本当にモノを捨てることを罪と思うのなら、最初からモノを所有しなければよいからだ。

その親世代に育てられた子や孫の世代(私)もアホになり、崩壊寸前の日本の尻拭いも結局、我々以降の世代が被ることはもはや避けられない現実。「荷物(負債)を遺されて困るのは、私なんだよね」「片づけ(尻拭い)をしてあげてるのに」と親世代に文句の一つも言って何が悪いというのだ。父曰く、「遠慮なくズケズケと言う」私の気苦労も多少は功を奏してか、健全なる未来のため生活の質(QOL)の改善も徐々に受け入れてくれるようになった。今回実家の片づけの際には、近隣の協力を仰ぐのも効果的だと思った。厳しいことを言っても、一緒に実家で暮らした身内だと、モノによっては捨てることにどうしても躊躇や抵抗感が生まれることはある。第三者であれば、「安心・安全・健康」の判断で容赦なく、合理的に捨てられる。もちろん父の同意の上だけれども、意外と他人が言えば素直に応じるもので、片づけが予想以上に進んだのは結果オーライだった。三菱に乗り込むゴーンさんのように、時に過去のしがらみを排除した強引な改革は必要である。

今回の私や周囲の処し方には、親御さんへの配慮が足らない、冷徹だとのご批判もあるだろう。私がもうちょっと頻繁に帰省をし、もっと早くアクションを起こしていれば、父が入院することも実家がここまでゴミ屋敷化することもなかったのでは?そういうご指摘も当然あると思う。批判は真摯に受けるが、一人っ子にも関わらず十代で実家を捨てた親不孝もんなので、今さら優等生になる気はさらさらない。放蕩息子なりの恩の返し方を貫き通したい。もちろん私が取った言動は、永年培った父と私の親子関係で成り立つもので、全ての人に当てはまる答えではないし、正解か不正解かどうかもわからない。親の世代によっても異なるだろうし、もし相手が母だったら、また違ったコミュニケーション方法を取っていたと思う。要は抱える問題は人や家族それぞれなので、対応の仕方も個々に違って当然だ。本書についても、こういうマニュアル本、入門書の読み方によくありがちな、文面どおりに実践するのではなく、個々の事情に合わせて参考にする程度で良いと思う。いつも喧嘩腰、言いたい放題の私だけど、本書を参考に心のどこかでは父親の価値観も気にはしているのだよ、これでも。

そうそう、預金通帳と印鑑の保管場所、暗証番号は必ず元気なうちに聞いておくように。退院日、父が暗証番号を忘れ、入力し間違えて口座がロックされ、どえらい騒動となった。私は事前に聞いていたので最悪の事態は避けられたが、認知症でなくても年相応にボケ、物忘れは進むことをリスク要因として常に頭に入れておくべきだ。

第15回ももち浜古本まつり

実家の片づけに疲れ果てた4月の末、病院に父を見舞った後、リフレッシュをしようとこのブログでも最近よく登場する古本屋「徘徊堂」別府店へ出かけた。今回は雑誌を購入し、帳場で支払いをしていると福岡市古書籍商組合が主催する「ももち浜古本まつり」のチラシを見つけた。この徘徊堂も出店し、連休中開催されているとのこと。ももち浜(百道浜)といえば母校のある周辺だ。今の実家に暮らしていたのが、この高校と市内の予備校に通っていた4年間だけ。卒業後一回も訪問していないし、共学になってから場所も移転した後、学校がどう変わったのかも気になっていた。古本まつりのついでに寄ってみるかと思いつきで店を出た。バスで西新を目指す。

母校1
母校正門に通じる路地。
母校2
高校は大学になっとる。

西新で下車し、母校正門に通じる細い路地を探す。あったあった。ここからチャペル(講堂)の赤レンガが遠くに見えるハズ。40年近く前の風景が蘇った。学生の頃、校門から反対方向にこの道を眺めていると、同級生が「あの向こうからやって来る3人組、ヤクザじゃなかっちゃろうか?(ヤクザじゃね?)」と呟いた。よーく見ると、グラサンして肩で風切るうちの体育教師だったことを思い出す。正門に近づくと、そこには我々が過ごした高校の校舎はなく、今年創立100周年を迎える母校のシンボルだった蔦の絡まるチャペルだけを残し、同じ系列大学の新しいキャンパスの一部になっていた。校内にはただの古びた石垣にしかみえなかった元寇防塁跡が佇んでいたが、今でも残っているのだろうか。

母校3
今年創立100周年
母校4
現在の母校。といっても全然違う学校になっちまったけどね。

キャンパスのレンガ壁沿いに海の方へと歩くと、大きな通りの向こうには新しく立派になった母校があった。母校と呼ぶには何もかも変わりすぎてしまったが、グラウンドからはラグビー部の練習の声が聞こえる。私の時代には存在しなかった女子高生もいる。青春だねえ。高校時代、旧グラウンドを抜け出すとすぐそこは百道の浜だったので、この辺りは全て博多湾だった。今は埋め立てられ、新校舎の周囲には高層マンションやビジネスビルが立ち並ぶ。SBホークスの本拠地、福岡ドームもすぐ傍にあり、学び舎も含め、私が高校生の頃には想像もつかなかった変わり様だ。

シーサイドももち海浜公園

さらに新しい海岸線に進み、福岡都市高速道を超えると、そこにはまるで南カリフォルニアのような人工ビーチ(シーサイドももち海浜公園)が姿を現した。多くの市民(といっても関東のように人ごみで埋め尽くされない所が良い)がスタートしたばかりの大型連休を楽しんでいる。色々な問題を抱える私は、心の底からは楽しめなかったが、イイ感じに都会になった故郷を羨ましく思った。傍には新しい福岡の名所、福岡タワーがそびえ立ち、その横の地元テレビ局のビルが目的の古本まつり会場。そこで、このブログスタートのきっかけとなった「ブンブンどらいぶ」のハードカバー版を発見。持っていなかったのでついつい物欲が。しかもさっき寄ったばかりの徘徊堂さんの出品だ。やはりこの店で出会う運命だったのだ。

百道1
古本まつりの会場となったTNC放送会館と福岡タワー(右)

百道地区を歩いていて、旧母校のご近所には、かつて「サザエさん」の作者、初代国民栄誉賞にも輝いた長谷川町子さんが住んでおられたことを思い出した。ご存じの方も多いと思うが、「サザエさん」は1946年(昭和21年)、ここ福岡の地方新聞『夕刊フクニチ』誌上で連載が始まった。長谷川は佐賀出身だが、父親の仕事の関係で福岡へ転居した後、父の死後、一家で上京している。戦時中の‘44年に再び百道へ疎開をした際にサザエさんは誕生した。そのすぐ後に、一家は再度上京している[4]。ここがサザエさんゆかりの地であることは、長谷川をモデルにしたNHK朝の連ドラ「マー姉ちゃん」(’79)やその原作漫画「サザエさんうちあけ話」でも紹介され、我が母校も登場する。そんな関係で、かつての通学路は今では『サザエさん通り』となっていた(知らんかった)[5]。

母校とのエピソード
長谷川町子さんと母校のエピソード(「サザエさんうちあけ話」より)[5]
百道2
当時の通学路は「サザエさん通り」に

百道3
母校の目と鼻の先には私が入学を拒否された県立の伝統校がある。当校のシンボルであるダビデの紋章に、エスタブリッシュメント感が滲み出る。ふられた女の子と毎日顔を合わせているような3年間だったなあ。

帰りは久しぶりに地元の西新商店街~藤崎商店街を歩き、途中の中華料理屋に寄って晩飯を食らう。店はずいぶん入れ替わったようだが、西新名物リヤカー部隊のおばちゃんたちも健在だったし、学生街ならではの賑わいを見せていた。

以上、サザエさんで繋がる故郷福岡での連休のお話でした。

[余談]
サザエさんを調べていたら、磯野波平さんは福岡出身で、舟さんは沼津出身[6]。うちの夫婦と同じだったことにちょっと驚き。

“Remembering that you are going to die is the best way I know to avoid the trap of thinking you have something to lose.”
「自分もいつかは死ぬ。それを思い出すことは、失うものなど何もないということを気づかせてくれる最善の方法です。」
-スティーブ・ジョブズー

[参考・引用]
[1]ワカメちゃんは今パリに住んでいる、ダ・ヴィンチニュース、
http://ddnavi.com/review/84822/a/
[2]10万人が路頭に迷う…!?三菱自動車不正問題とSMAP解散騒動に共通する“世間とのズレ”、TOCANA、2016年5月3日、
http://tocana.jp/2016/05/post_9637.html
[3]昭和ヒトケタ生まれ、加藤康二、
http://www.katoiin.jp/filea_z/syouwa.html
[4]長谷川町子、Wikipedia、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E8%B0%B7%E5%B7%9D%E7%94%BA%E5%AD%90
[5]サザエさん通り、早良区彩食健美の玉手箱、福岡市ホームページ、
http://www.city.fukuoka.lg.jp/sawaraku/sawaraku-tamatebako/miryoku/sazaesan/
[6]サザエさん 家族集合(年齢・学歴・家系図・都市伝説)、イソラボ、
http://iso-labo.com/labo/sazae-san.html



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[ 2016/05/23 23:20 ] bookshelves/本棚 | TB(0) | CM(0)

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