福岡発、ホワイトデー~石村萬盛堂

石村萬盛堂

福岡に帰省中、3月14日のホワイトデーが重なった。毎年バレンタインには、会社の同僚から義理チョコを頂くので、お返しにいつも嫁と娘が焼くクッキーを渡していて、これを楽しみにしてくれていた。しかし、今年はその頼みの綱がない。福岡でも在宅業務のフォローで彼女にお世話になっていたし、“出張不在中”の身とはいえ不義理をする訳にもいかぬ。なかなか難儀な日本の風習である。ネットで博多のスイーツを検索していると、「ホワイトデーはここからはじまった/石村萬盛堂」とある。これだ!今回のコンセプトが決まった。

石村萬盛堂は福岡では老舗のお菓子屋さん。地元では『鶴乃子』の萬盛堂として有名だ。『鶴乃子』は、黄味餡をマシュマロ生地で包んだシンプルな和菓子だ(美味しいよ)。福岡には激甘すぎて私が苦手な『鶏卵素麺』という伝統和菓子があるが(博多は辛党のイメージがあるが、“鶏卵”や“川端ぜんざい”のように高血糖値になって気絶しそうな劇物が多い)、これを作る際に余る卵白を見て、このマシュマロ菓子が生まれたという[1]。もちろん萬盛堂でも「劇物」は販売されている。

さて、ホワイトデーの誕生秘話はここに詳しいが、当店がマシュマロ菓子を扱っていたことから、バレンタインの翌月14日に男性からお返しする「マシュマロデー」を企画してひと儲けを企んだ。これが昭和53年、私が高校生の頃だ。それから「マシュマロデー」は大した流行語にもならないまま7-8年が過ぎた頃、マシュマロの白のイメージから「ホワイトデー」に名称を変えて新しい文化として定着させようと出店先の百貨店から再提案があった。ここからホワイトデーが全国的に定着したのだという。商魂たくましい博多商人はしぶとい。そういえば、私の学生時代に3月14日をマシュマロデーと言っていたことを思い出した。地元にだけしか通じなかったのね(博多弁かい!)。

同僚はこんな古いトリビア情報なんて知らない世代だから、話のネタを付加価値に石村萬盛堂、それも本店でお返しの品を選ぶことにした。幸いなことに、おばあちゃん世代が大好きな『鶴乃子』だけでなく、最近は“BON'CINQ(ボンサンク)”なる小じゃれた仏語ブランドの洋菓子も販売しているので、若い女性にはちょうど良い。ただお返しだけを神奈川の勤務先へ配達してもらうのももったいないので、グループのオッサンたちにも王道の『鶴乃子』を一緒に送ることにした。

ホワイトデーにはまだ間に合う土曜日の12日に地下鉄で中洲川端下車。昼時だったので、博多ラーメン『一蘭』の総本店へ立ち寄る。すっかり観光名所の様相を呈していて、国内外からの観光客と思われる方々が並んでいた。感想も含め、“うろん”と並ぶもう一つのソウルフード、博多豚骨ラーメンについては別の機会で語りたいと思う。

石村萬盛堂本店
石村萬盛堂本店

この日のメインはラーメンではない。早々と店を後にして、博多座や福岡アジア美術館、ショッピングモールなどが集まる複合施設、博多リバレインの裏手にある石村萬盛堂本店へ向かう。この辺は須崎町といって古い問屋さん街だが、巨大なモールの誕生でこの下町エリアはすっかり雰囲気が変わっていた。本店は遠目からすぐにわかるほど派手なホワイトデーののぼりが何本も旗めいていて、風情のある建物に似つかわしくないなあと思いながら店へと入る。こじんまりとした店内には販売エリアと座って休憩もできる展示コーナーもある。須崎らしい和服姿のご婦人やホワイトデー目当てと思われる男性も含め、客人が何人かいた。販売エリアには、『鶴乃子』や『鶏卵』などの真打ちをよそに、ホワイトデー向けの洋菓子が売り場を占領している。いろいろ物色した結果、チョコ菓子をお返しに、グループ全体へは季節限定のさくら餡入り鶴乃子にした。ところでご家族用は?我が家の女性陣からは義理チョコすらもらえない冷めた関係なのでスルーです。

石村萬盛堂歴史4
『鶴乃子』パッケージングデザインの変遷
石村萬盛堂歴史2 石村萬盛堂歴史3
落雁の木型の数々。自動車の型が面白い。

支払と配達の手続きを終えた後、気になっていた横の展示コーナーを見学する。そこでは萬盛堂や鶴乃子の歴史を紹介する貴重な資料が展示されていた。「いつ頃創業されたとですか?」と店の人に質問すると、「川上音二郎の時代ですから、明治38年(1905)、もう100年以上になります。」と。音二郎!、あのオッペケペーかいな。資料を読むと、創業者の初代、石村善太郎が日本新劇の祖、川上音二郎に気に入られて、彼の自宅1階を間借りして店を始めたとか。鶏卵素麺はもちろんのこと、落雁も主要な商品だったようで、大量の木型がディスプレイされていた。その中には自動車の型もあってとても興味深かった。ちなみに鶴乃子の誕生は創業から5年後の1910年である。

釜掛の松
釜掛の松

展示品の中には茶会を表した博多人形も飾られていて、何だろうと覗いていると、常連さんと思われる先の和服のごりょんさん(関西や博多でいう、おかみさん、ご婦人の意味)が声をかけてきた。博多もんは見知らぬ人にも気さくに声をかける。ごりょんさん曰く、これは九州平定の折に博多に来ていた秀吉と利休(もう一人は黒田如水の叔父・小寺休夢)の姿で、利休が箱崎松原で松葉を掻き集め火を起こし、松の枝に釜をかけて秀吉に茶を点(た)てたと言い伝えられる「釜掛の松」という場面なのだそうだ。いわゆる野点(のだて)の起源。これをモチーフにした八女の抹茶餡の饅頭も商品ラインナップに並ぶ。なるほど。この「釜掛の松」は今でも箱崎にある九大医学部キャンパス内に存在するという[2]。高校の歴史授業で聞いた気もするが、「へえーっ、そうなんですか。初めて聞きました。」と相槌を打った。五十にして故郷の歴史の再認識。

この後、「ぴかくんめをまわす(馬場のぼる版)」でも紹介した古書店「徘徊堂」六本松店に寄ってから帰宅したのであった。

[参考・引用]
[1]鶏卵素麺、Wikipedia、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B6%8F%E5%8D%B5%E7%B4%A0%E9%BA%BA
[2]「野点発祥の地」福岡市東区 利休釜掛けの松、福岡よかとこ.com、
http://www.fukuokayokatoko.com/?MN_disp_report=1;g=11;a=1;i=38
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[ 2016/03/26 16:28 ] Fukuoka/福岡 | TB(0) | CM(0)

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