設計美学

設計美学

前々回取り上げたように著名なカー・デザイナーによるクルマ論、「ミニバンに乗るの、やめませんか?」が物議を醸しているが(インタビューの続きもあるよ)、クルマのデザイン論・考はそれこそ星の数ほどある。私も最近、プロダクトデザインなど改めてエンジニアリングとデザインの関係性が関心事の一つとなっている。そんな時に書棚から引っ張り出したのが、フレッド・アシュフォードの「設計美学―エンジニアリングデザインのための意匠設計入門」(高梨隆雄・訳、ダビッド社)。アシュフォードは名門英国王立芸術大学(※)にインダストリアルデザイン科を創設し、その初代学科長を務めた。訳者の高梨隆雄氏とは、私がまだ若い頃、あるフォーラム企画のコーディネーターをお願いした関係で、仕事をご一緒させていただいたことがある。本書は彼が私に読むよう薦めてくれた本である。

(※)世界に2つだけの美術系大学院大学。あの竜巻掃除機のジェームズ・ダイソンも卒業生であり、現在は学長も務める。ミニバン発言で物議を醸した和田智氏も卒業生[1]。

高梨隆雄
高梨隆雄氏[2]

高梨氏は早稲田の機械を卒業後、桑野デザイン研究所でデザインを学びソニーへ入社。ソニーではデザイン室などに在籍された。ソニー時代は数々のデザイン賞を受賞され、ソニー退職後は大学で研究者、教育者として活躍された[2]。私が出会ったのは東京工芸大学教授の頃で、「いつでも研究室に遊びにいらっしゃい」とお声をかけて下さった。しばらく賀状の交換は続いていたが、大学にお邪魔する機会を果たせぬまま、私も仕事が変わったのでそのまま音信不通となった。先生のテーマはデザイナーの立場から工業製品の美しさを求める美的設計方法論。まさに今の関心事そのものなので、再び前述の本と高梨先生の名前を思い出した。そして調べてみると、一昨年、ご病気の為お亡くなりになっていることを知る。あの頃、もっとちゃんと教えを乞うていれば…。

マドリッド手稿Ⅱfol.76r
ダ・ヴィンチの思考法は現代のデザイナー、エンジニアにも価値をもたらす
鞴(ふいご)のためのアイデアスケッチ(マドリッド手稿Ⅱfol.76r)[3]:彼は音楽にも造詣が深かった

デザインと設計、皆さんご存知のように英語ではどちらも“design”。英語圏では両者の概念に区別はない。彼らの中ではモノを工学的に設計する上で美的なセンスが求められるのは当然という感覚なのであろう。つまり設計(デザイン)とは美しくカタチを創る行為であり、それはボルト一本にまでも及ぶ。アシュフォードもまたエンジニアリングは総合的芸術であり、自分たちの仕事の美学的考察をしたがっているエンジニアにとって、アーチストエンジニア、レオナルド・ダ・ヴィンチの原理、方法は最大の価値を持つと「設計美学」で述べている。しかし欧州においても質から量に移行した産業革命以降、ダ・ヴィンチの時代では当たり前だったそのような考え方が重要ではなくなった。エンジニアリングが創造的芸術であることを再認識する必要性を説いたアシュフォードは、単なるスペシャリストとしてのデザイナーは不要とみなした。そして商品に美学的、人間工学的価値を求めることこそ、エンジニアの責務だと断言している。

一方、日本の工学教育(建築学を除く)はまだ遅れていて、設計とは性能や機能要件を満たす造形のスキルであり、そこに美的センスが求められることはない。私が大学時代に学んだ設計学の講義で用いられた教科書は「図学」。授業で学ぶのは図面の引き方であり、構造計算の仕方であり、材料の選択方法であり、美学的考察が語られた記憶はない(もっとも山師を養成する資源開発工学科の学生に芸術的感性が必要とも思えないのだが)。

機能的に作られたものは見た目も美しい(機能美)とはよく言われる。日本建築とか家屋とか、禅の影響を受けたと言われる故・スティーブ・ジョブズ氏が手がけたApple製品など無駄を省いたデザインの美しさとしてよく用いられる。進化の過程で機能的なカタチに収斂された自然界の持つ形態の美しさからそのように喩えられるのだろう。それならば機能的に設計されていれば、その製品に対して人は皆、直感的に美しいと感じるのであろうか。それもまた違うと思う。

カングー1
私のイメージする美的設計の一例:ルノー・カング-1

使い手の存在するプロダクトには、求められる性能があり、使うための機能があり、社会的に存在価値(アイデンティティ)が認められる必要がある。それら全ての要素が人間の立場に立った(「品質」という言葉に置き換えてもよい)カタチに反映されて初めて、そのプロダクトは美しいと感じるのだと思う。自然の形態が美しいのはそこに命や歴史の重みが宿るからであって、プロダクトのそれに相当するのがこれらの設計「品質」だ。個人的な事例で恐縮だが、私が以前に乗っていたルノー・カングー1はこれらがうまくカタチに表現されていた自動車製品だったと思う。このクルマを最初に目にしたとき、スポーツカーでもないのに素直にカッコいいと思えた(見た目によらず、走りはけっこうスポーティだったが)のは、カングーのコンセプトが上手にデザインとして記号化されていたからだ。生産「品質」は最悪だったが、これは製品のデザイン価値とはまた次元の異なる話である。

逆もまた同じで、高梨先生が『製品の商品化設計において、形態設計の美的特性が、その品質に対して機能することがなければ、未熟な技術による設計と同じである』[2]と主張されてきたように、どんなに見た目が美しかろうとも、カッコ良かろうとも、品質を伴うデザイン表現でなければプロダクトとしては十分とはいえない。プロダクトデザインというのは実に奥が深い。だからエンジニアは芸術を、デザイナーはエンジニアリングをもっと勉強する必要がある。「ミニバン乗るの、やめませんか?」への異論・反論は置いといて、現在のミニバン、あるいは今どきのクルマたちが、アシュフォードや高梨先生が提唱する美的設計にどれだけ拘ってデザインされているのかを検証する必要はありそうだ。

[参考・引用]
[1]ロイヤル・カレッジ・オブ・アート、Wikipedia、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%83%A4%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%96%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88
[2]美的設計方法論への熱意、牧田和久、日本デザイン学会報、No.204、2013年3月31日、
http://jssd.jp/files/kaihou_204.pdf
[3]デザイン工学における美的創造設計論、高梨隆雄、東京工芸大学工学部紀要Vol. 27 No.1(2004)、p74-93、
http://www.t-kougei.ac.jp/research/pdf/vol1-27-07.pdf
スポンサーサイト
[ 2014/09/20 10:57 ] bookshelves/本棚 | TB(0) | CM(0)

コメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://ehonkuruma.blog59.fc2.com/tb.php/553-72b88d56