おおきな はし

おおきな はし

6月の出張帰りに神田神保町にある絵本の古本屋「みわ書房」で年代物の「おおきな はし」(大橋昭光・指導、河村忠男、こわせたまみ・文、塩田みつを・絵、キンダーブック第29集第12編3月号、フレーベル館)という絵本を見つけた。中身をめくると北九州市と下関市を結ぶ関門橋ができるまでを紹介したもので、私はあまりの懐かしさに迷わず購入を決めた。

橋ものは、トンネルものと同様、クルマ絵本のスピンオフ版として外せない。特に関門橋は自動車専用橋なので間違いなくクルマノエホン蔵書に加えるべき一冊である。しかしそんな趣味の対象以上に、この巨大建造物は私の今と少年時代の記憶をつなぐ“架け橋”となる特別な存在なのだ。

少年時代、夏のお盆の季節になると、自宅の北九州市小倉から父の実家のある山口県防府市へクルマで帰省をしていた。関門橋が完成した1973年までは渋滞の酷い関門トンネルを通っていたが、翌年の夏からはこの巨大橋を渡って往復をしていたと思う。橋長1,068mは同じく北九州市に存在した若戸大橋(橋長627m)をしのぎ、当時の東洋最長の吊橋だった。

おおきな はし その3
工事中の関門橋(「おおきな はし」より)

この絵本に描かれているようなまだ建設途中の関門橋をわりと近場から臨んだ記憶が私にはある。一つは今では関門橋が望める絶景スポットとして有名な和布刈(めかり)公園(北九州市門司区)に遠足へ行ったときのこと。まだケーブルも架かっていない、主塔だけが2本立った頃の映像が脳裏に残っている。もう一つは実際の建設現場で見た風景。現在関門橋は九州自動車道と接続しているが、完成当初はまだ開通していなかった九州自動車道ではなく、自動車専用道路である北九州道路と接続する計画であった。旧道路公団の技師だった父は、その直結する北九州道路門司工事事務所に当時勤務していた。一度父の職場に連れて行ってもらったことがあって、本書にも登場するヘルメットと作業着姿の公団職員が働く“男臭い”イメージが今でも忘れられない。その時に工事事務所から見たのか橋の近くまで行ったのか北九州道路の建設現場から関門橋を拝んだ思い出があるのだ。

大橋昭光
大橋昭光[2]

本書の指導・監修を務めた大橋昭光氏は、本書発行の昭和50年(1975)時点の肩書で日本道路公団関門架橋工事事務所長となっている。彼は建設省土木研究所出身で、後に本州四国連絡橋公団企画開発部長を経て同公団理事も歴任された日本の吊橋建設のスペシャリスト[1][2]。既に故人となられている。関門架橋工事事務所長ということは、父の職場だった門司工事事務所のお隣の現場責任者。当然仕事は連携していたはずだから父も知っているにちがいないと先日電話で確認をしてみた。父も覚えていて直接一緒に仕事をしたことはなかったけれど、会議などで同席したことはあったらしい。京大出の工学博士らしく「学究肌って感じだったなあ」と言っていた。

おおきな はし その1
タコマ橋崩落事故を検証する道路公団スタッフたち(「おおきな はし」より)

関門橋は第2関門トンネル案も含め既に飽和状態であった関門トンネルのバイパス案の一つであった。関門橋の本格的調査以前の昭和38年(1963)から本州四国連絡橋調査が行われていたため、この調査結果で得られた設計や材料のソリューションがそのまま関門橋の検討に転用できたという[3]。本書には大橋氏がモデルと思われる工事関係者が、吊橋の落下事例として有名なアメリカのタコマ橋について調べている様子が登場する。タコマ橋崩壊の原因は強い横風によって発生した自励振動(※)によるものとされている。大橋氏が直接アメリカまで行ってこの橋梁事故を調査していることは、彼の大学の同期の方のブログ[4]にも紹介されているが、出張調査は本四連絡橋調査が開始された’63、4年頃に行われている。絵本には当時世界一の吊橋、アメリカ・ベラザノナロウズ橋の完成前の建設現場にも調査へ行ったことが描かれているが、本橋の完成が関門橋の調査が開始された昭和39年(1964)なので、これら事前調査の様子が関門橋も含めたその後の日本の長大橋建設計画のための準備だったことがわかる。様々な検討の結果、昭和40年(1965)に関門橋案が採択された[3]。

(※)自励振動は流体力学の基本現象の一つとしてよく紹介される。私も学生時代、数値計算の演習問題の題材として使われたことを覚えている。ある条件下で柱状物体を風のような流体が横切ると物体後方に互い違いに規則的な渦が発生する。これをカルマン渦列といい、渦列の発生によって生じる振動が自励振動である。電線が時折ブーンと唸るのもこの自励振動によるものだ。

明石海峡大橋ができるまで
長大吊橋ができるまで(明石海峡大橋の例)[5]

ここで関門橋を例に吊橋の作り方を勉強してみよう。まず橋の両端にメインケーブルを繋ぎ止める碇(いかり)、アンカレイジ(橋台)を作る。関門橋では約2万3000トンにも及ぶケーブルの引張力をコンクリートの自重で耐えるため、橋台に5万m3ものコンクリートを打設しているのだそうだ[3]。次にメインケーブルを支える主塔を建てなければならないのだが、そのための基礎(橋脚)を作る必要がある。主塔の位置は両岸からだいたい全長の1/4の地点に設けられるそうで[6]、航行船舶が多く(1日1,000隻以上)、幅も狭い関門海峡の特殊性から港湾関係者は橋脚を海の中に入れないで欲しいと要望していたらしいが、結果的には海上に設置せざるを得なかった[3]。ちなみに主塔の高さは橋脚の上面から133.8m[7]。

関門橋パイロットロープの渡海
関門橋パイロットロープの渡海(文献[3]の口絵より)

主塔が建てられると次は吊橋建設で重要なメインケーブルの架設となるのだが、その前に主塔間にケーブルを渡す足場となるパイロットロープを架設する工程がある。架設するにはロープを渡海させる必要があり、船舶を止めずに渡す方法としてヘリやバルーンを使う手段が検討された(ちなみに明石海峡大橋ではヘリが使われた[5])。しかし気象条件に左右される問題もあり、関門橋ではオーソドックスに海上を曳船で引いていく方法が採用された。本工事の最大のヤマ場の一つであったこの工事は、海上保安庁との折衝で関門海峡を閉鎖して4時間以内に完了させることになったが、結局2時間半で作業は終了したのだそうだ[3]。

関門橋のメインケーブル断面
関門橋のメインケーブル断面:ストランド154本を束ねている[9]

専門的な話になるが、メインケーブルの架設方法にはエアスピニング(AS)工法(以下AS工法)とプレハブストランド工法(以下PS工法)とがある。AS工法は現場でワイヤーを数本ずつ連続して架設し、それを束ねてケーブルとする方法。PS工法はあらかじめ工場で製作したストランドと呼ばれるワイヤーを正六角形に束ねたものを架設し、それを束ねてワイヤーとする方法。関門橋ではそれまで一般的であったAS工法に代えて、力学的有利性から日本で初めてPS工法を採用した[6][8]。このケーブルは1万本以上のワイヤを束ねて、これを1か所に所定の長さで正確に固定する訳だから相当の精度を要する。若戸大橋では1本だけ1m短く作ってしまったことがあったらしく、工事関係者もこのようなミスを一番恐れた。そこで何と1,200mの測長場を大分の製鉄所に作り、そこで測って作ったゲージワイヤを物差しにして精度の高いストランドを作ったという[3]。

さてメインケーブルが張られたら自動車が実際に走行する補剛桁(橋桁)を支えるためのハンガーロープを垂直に垂らしていく。これだけの巨大建造物になると当然誤差は無視できなくなる訳で、そのまま桁を吊るすと歪んでしまう。そこでメインケーブルを架け終わった無荷重の状態で厳密な測量を行いハンガーロープの長さを調整することで補剛桁が水平に保たれる。最終的には東西のケーブル下で5-6cmの差があったのだそうだ[3]。

おおきな はし その2
関門橋模型による風洞実験(「おおきな はし」より)

いよいよ最終工程である補剛桁の連結である。補剛桁には箱型とトラス型があるが[6]、当時の技術では、耐風安定性の問題と架設上の問題から関門橋にはトラス型が採用された[3]。本書では大学の研究室で行われたとされる橋の模型を使った風洞実験の様子が描かれているが、[3]によれば建設省土木研で様々な風洞実験が行われ、桁高9m、幅29mの桁形状が決まったと記されている。クレーンを使って橋桁をハンガーロープにどんどんぶら下げていけば仕事は比較的楽になるのだが、関門海峡は潮流も速く風も強い。台風が来ることも考えて、関門橋では橋桁を一つ一つ張り出しながら連結していった[3]。実際には主塔部分から中央部と両岸へ向かって伸ばす工法をとっている[10]。こうした大工事を経て、昭和43年6月の起工から5年5ヶ月の歳月をかけて関門橋は完成した。このときの経験や技術が生かされて、後の世界最大の吊橋である明石海峡大橋(橋長3,911m)建設の成功に繋がっている。

日本の吊橋の変遷
日本の吊橋の変遷[5]:明石海峡大橋の巨大さが群を抜く

今回この絵本と出会って改めて関門橋のことを調べてみたが、特に[3]の文献は大橋氏を含む当時の工事関係者の貴重な証言を知ることができて、橋梁技術が専門でない私でも非常に興味深く拝読させていただいた。まさに“プロジェクトX”的な資料の一つである。私は未読だが、この座談会にも参加している村上己里氏[11]が上梓された『関門橋-世紀の工事に桃んだ橋男たちの記録』(山海堂)は関門橋ができるまでを内側から描いた唯一の書らしいので是非機会があれば読んでみたい。

おおきな はし その4
淡いグリーンが心和ませる関門橋(「おおきな はし」より)

淡いグリーンで塗装された関門橋は、大人になってからも私の思い出に刻まれている。社会人2年目の夏休み、初めて自分で買ったクルマ(初代日産テラノ)に乗って同じ関東に就職した大学の友人と後輩の4人で九州に帰省した。途中何度も大渋滞につかまり、神奈川を出てから足かけ3日目の深夜、関門橋を渡りきったところで眠気と疲れで朦朧とする4人が九州到着に歓喜の雄叫びを上げたときのこと。今の嫁さんを実家の両親に初めて紹介するため、やはり夏休みに当時住んでいた大阪からクルマで彼女を九州に連れて帰った。九州に入る前、門司側のサービスエリアで関門橋を背景に記念撮影したときのこと。こんな風に私にとっては故郷九州へ帰るための特別なゲートが関門橋なのである。

最後に本書の著者情報を記す。作画の塩田みつを(みつお)氏は1941年、東京に生まれる。お茶の水美術学校卒業。自動車、飛行機、機関車など、乗り物の絵を中心に活躍。また油絵では、自然美を追求した作品が多い。主な絵本作品に『じょうようしゃ』『自動車のはなし』『飛行機のはなし』(ポプラ社)、『でぃーぜるきかんしゃ』(偕成社)などがある。文章担当のこわせたまみ氏は1934年埼玉県生まれ。早稲田大学卒業。主に幼児の歌のための詩や絵本・童話を創作。絵本に『そばのはなさいたひ』('86年工ルパ賞受賞、佼成出版社)、『ようちえんがまってるよ』他《ゆうちやんシリーズ》(PHP研究所)、『きつねいろのくつした』(ひかりのくに)、詩集『風薫る季節の歌』(リーブル)、編纂「季節の詩の絵本」全5巻(あすなろ書房)など多数。下総睨一音楽賞、田本童謡賞、サトウハチロー賞、埼玉文化賞など受賞。埼玉県在住[13]。

もう一人の文責、河村忠男氏は元・土木学会事務局企画広報室長(現・中央復建コンサルタンツ理事)で土木業界の人だった。11月18日は「土木の日」ということをご存じだろうか。1989年に制定されたのだが、土木学会の前身、日本工学会の源流である工学会が1879年11月18日に設立されたというのがその理由。学会の広報委員からの「土木の日」提案がまとまらなかった時、GOサインを出したのが河村氏だったのだそうだ[14]。

熱き土木魂みなぎる児童図書の紹介でした。

[参考・引用]
[1]特集:橋梁の見えない部分 特集にあたって、大橋昭光、土木技術 35(12)、p45、1980-12、土木技術社
[2]座談会 鋼橋技術の変遷、虹橋、No.72、p4-16、2008-5、日本橋梁建設協会、
http://www.jasbc.or.jp/technique/nijihashi72/files/nijihashi72.pdf
[3]座談会 関門橋の完成を迎えて、道路、1973-9、p13-30、日本道路協会、
http://www.road.or.jp/road_newsite/member_area/magazine/1973/1973-09.pdf
[4]5月5日大橋昭光、隻眼先生の環境曼荼羅、2012年5月9日、
http://blog.zaq.ne.jp/sekigan/article/509/
[5]明石海峡大橋ができるまで、未来にかけたものづくりの夢本州四国連絡橋、伊藤學、季刊新日鉄住金 特集「橋-鉄が架けるロマン」、Vol.5、p14、2014年2月、新日鐵住金
[6]吊り橋、Wikipedia、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8A%E3%82%8A%E6%A9%8B#.E6.A1.81
[7]関門橋塔工事の概要、乙藤憲一他、土木技術26巻6号、p61-71
[8]土木遺産特集第6回 北九州市エリア-その① 近代日本を築いた技術の証、一般社団法人九州地域づくり協会ホームページ、
http://www.qscpua.or.jp/feature/vol6_kitakyu1.html
[9]関門橋、技術のわくわく探検記、2001年8月6日、
http://www.gijyutu.com/ooki/tanken/tanken2001/kanmon/kanmon.htm
[10]吊橋補剛桁の架設方法、高橋幸雄、川田技報Vol.1、1978-10、p170-173、
http://www.kawada.co.jp/technology/gihou/pdf/vol01/01_gijyutu03.pdf
[11]自然と共存する美しい吊り橋~関門橋、北九州メモリアルストーリー vol.32、北九州市政ラジオ番組北九州トークウィズユー、2013年11月8日、
http://www.kitakyushu-museum.jp/ext/twu/?page=story&EntryID=298
[12]吊橋はどうやって作るの?、橋のはなし、ものしり博士のドボク教室、社団法人土木学会ホームページ、
http://www.jsce.or.jp/what/hakase/bridge/12/index.html
[13]こわせたまみ、人名辞典、PHPホームページ、
http://www.php.co.jp/fun/people/person.php?name=%A4%B3%A4%EF%A4%BB%A1%A1%A4%BF%A4%DE%A4%DF
[14]秋は「土木の日」、“脱”月光仮面を目指せ、ケンセツ的視点、2008年10月14日、ケンプラッツ、日経BPネット、
http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/knp/column/20081007/526891/
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