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Maserati 300S  

1955 Maserati 300S #3056

アメリカのカーガイ親父が息子のために描いた“The Little Red Racing Car”の主人公、マセラティ300Sについて調べてみた。

イタ車のブランドといえば、スポーツカーのフェラーリ、ランボルギーニ、そしてアルファロメオと、大衆車のフィアットの名前が浮かぶが、マセラティ(Maserati)を挙げる日本人はそれほど多くないと思う。かくいう私も名前だけ知っていてもこのブランド車については詳しくは知らなかった。しかし、イタリアのエキゾチックカー(スーパーカー)といえば、フェラーリを筆頭に、ランボルギーニ、イソ、デ・トマーゾ、そしてマセラティである[1]。

トライデント・エンブレム
トライデント・エンブレム[3]

1914年にアルフィエリ・マセラティ(Alfieri Maserati)がイタリア・ボローニアで創業し、他のマセラティ兄弟とともに創り上げた今年で創立100周年を迎える伝統のスポーツカー・メーカーである。その後シトロエンやデ・トマソの傘下を経て、1993年にフィアット傘下、1997年にはさらに傘下のフェラーリに下り(ややこしい)、同じグループのアルファと統括されて今は高級車を製造・販売している[2][3]。ロゴマークはボローニアのシンボル、『ネプチューンの噴水』のネプチューンが持つ三叉の銛がモチーフになっていて、これはマセラティ兄弟(創業時は3人)の結束も表しているそうだ[3]。ちょうど毛利家の三本の矢に似ている。このロゴ(トライデント・エンブレム)は、絵本“The Little Red Racing Car”でも効果的に使われている。

マセラッティ300Sは1955~58年の間に生産され、FIA(国際自動車連盟)の2シーター耐久レース、スポーツカー世界選手権(Sportscar World Championship、以下SWC)で活躍したマセラティ史上に燦然と輝く傑作FRマシンである。計28台が生産されたが、これらはプライベートチームへも販売され、特にアメリカでは人気のクルマであったらしい[4][1]。Dwight氏が絵本のモデルにする背景がここにもあるようである。

1950年に開催されたF-1グランプリレースに遅れること3年、1953年にSWCはスタートした。当初この300Sが活躍した頃は、有名なミッレ・ミリアタルガ・フローリオ、ル・マン24時間のレースもこのSWCに組み込まれていた。SWCの優勝候補といえば、フェラーリ、ジャガーおよびアストンマーチンで、これらのメーカーは全て3L以上の大排気量を持つ高性能マシンを持っていた。事実フェラーリはSWC 第1回のタイトルを取っている。このことは、新しい選手権の中で競争力のあるメーカーはフェラーリであることをイタリアのライバル、マセラティに悟らせるには十分だった[4][5]。

Maserati 250F Maserati A6GCS Berlinetta
300Sは250F(左)とA6GCS(右)のハイブリットマシン[6]

しかしマセラティには大排気量エンジンの開発経験がほとんどなかった。その時の最大のエンジンはF-1グランプリで大活躍した250Fの2.5L直6で、それまでに市販化された最大のスポーツカーエンジンはA6 GCSの2L直6だった。そこでさらに排気量の大きい新しいマシンを開発するためにA6 GCSのシャシーに250Fのエンジンを搭載した”ハイブリット”車で実験が行われた。こうして250Fの直列6気筒エンジンをベースに、排気量を増加させるためにストローク長を延ばして設計された最高出力260 HP(=194kW)/6500rpmの3L、DOHCエンジンが開発された。高圧縮比12:1の250Fエンジンでは高出力・高トルクが得られるものの(「SKYACTIV」参照)、耐久性に難があるため2、3時間以上のレースにもたない。そこで市販のガソリンでも走行可能な9.5:1の低圧縮比に減らした。3つのウェーバー製キャブレターを搭載し、点火装置のツインプラグ化でパワーUPを図った[1][4][5]。

シャシーは3Lエンジン用に新設計。足回りはWSCのレースで走行する粗いトラックや路面に対処するためにいくつか強化された。A6 GCSシャシーからの最も大きな変更点は、リアがド・ディオン式のサスペンションになったことと、横置き4速のトランスアクスルの導入だった[5]。

CMC Maserati 300S
300Sのマルチチューブラースペースフレーム[7]

車体は250Fのチューブラースペースフレーム(鋼管を鳥かご状につなぎ合わせて作られた車体骨格)※に一部トレリスフレーム(鋼管をトラス状につなぎ合わせて作られた車体骨格)を組み込んだマルチチューブラースペースフレームの骨格にアルミ製のロードスターボディを組み合わせた[4][5]。メダルド・ファントゥッツィ(Medardo Fantuzzi)の設計によるその美しいスタイリングを越えるものは他にないというのが多くのファンの共通する意見である[7]。後期の車体は空力の効率を上げるためによりロングノーズのボディを特徴とした[5]。

300Sショートノーズ 300Sロングノーズ
300Sショートノーズボディ(#3053)とロングノーズボディ(#3069)[12]

(※)戦後50年代に入って、それまで主流であったラダーフレームに代わって登場した革新的な車体構造。モノコック構造が考案されるまで、しばらくこれが最先端の車体構造であった[8]。

300Sのレースデビューは1955年。そのパフォーマンスは期待されたが、エンジン排気量に上限のなかった当時のSWCレースにおいては、しばし不利な立場を強いられた[7]。信頼性の低さと開発上の問題によってその最初の年は下位に沈んだが[5]、伝説のレーサー、ファン・マヌエル・ファンジオ(Juan Manuel Fangio)が300S(シャシーNo.3054)で第1回ベネズエラGPに勝利したことで高い注目を得てこの年は終了した[9]。

1956 1000km Buenos Aires
1956 1000km Buenos Aires[10]
先頭を走るのはファンジオのフェラーリ410スポーツ(No.43)、続くチームメートのコリンズ(No.44)とプライベーター(No.45)のフェラーリ、最後尾にこのレースで優勝したモスの300S(No.31)が続いている。

翌1956年は300Sのポテンシャルが発揮された年だった。“The Little Red Racing Car”の中でもキーパーソンとして登場するスターリング•モス(Sir Stiring Moss)がチームリーダーとして参加し、ジュリオ・アルフィエリ(Giulio Alfieri、後のマセラティ・バードケージの設計者)が技術開発を担当した。SWC開幕戦のブエノスアイレス1000kmレースで、モスとメンディテグイ(Carlos Menditeguy)組は、ともに駆動系のトラブルでリタイアした2台の4.9Lフェラーリを猛追。最終的にジャンドビアン(Olivier Gendebien)/ヒル(Phil Hill)組の3.5Lフェラーリに2周差をつけて優勝した(シャシーNo.3054)。ベーラ(Jean Behra)/ゴンザレス(Froilan Gonzales)組のもう一台のマセラティも3位となった(シャシーNo.3055)。それはマセラティ初のSWCでの勝利だった[9]。さらにモス、ベーラ、ハリー・シェル(Harry Schell)及びピエロ・タルフィ(Piero Taruffi)組によるニュルブルクリンク1000kmレースでも優勝(シャシーNo.3059)。他にも多くのレースで勝利した。これらの戦果により、ほとんど打破不可能と思われたフェラーリ・チームに続いて、マセラティはSWCでの総合2位でシーズンを終了した[5]。

Maserati 450S
Maserati 450S[11]

1957年もブエノスアイレス1000Kmレースで、メンディテグイ/ベーラ/モス組が2位(シャシーNo.3054)、キューバGPでファンジオが優勝(シャシーNo.3071)するなど300Sの活躍が続いたが、V8エンジンの450Sがデビューしたことで開発の主力がこちらに移った。450Sは結果を残せなかったが、300Sの活躍もあって‘56年に続いてマセラティはシーズン総合2位となった。しかし皮肉なことに’58年のシーズンからはチャンピオンシップのポイントが3L車のみに与えられることになる。マセラティがレースを続けるには450SのV8エンジンを3Lに縮小するか、300Sをさらに磨くかの究極の選択を余儀なくされた[1]。結局、その後マセラッティはスポーツカーレースから身を引くことになる。

LRRC #1
”The Little Red Racing Car”より

“The Little Red Racing Car”で少年が納屋から見つけた300Sは、絵本の中ではシャシーNo.3052ということになっている(設定が細かい)。資料[12]、これは300S全車のレース履歴をデータベース化した貴重なサイトだが、これによるとNo.3052はアメリカのカニングハム(Briggs S. Cunningham)というプライベートチームに販売された‘55年製ということがわかる。しかしモスがステアリングを握ったという記録は残っていない。この車台番号とモスを結びつけた作者の意図は何なのか?さらに調べると、このNo.3052のみが、’59年9月5日のMeadowdaleのレースでの事故を最後にスクラップされているのだ。つまり現存しない300S。しかも、No.3052はこの事故前の‘58年にシェビーのV8エンジンに置き換えられていて、車体色も赤から青と白に塗り替えられたばかりだった。最後のゼッケンも実際には#46だったのに対して、絵本のそれは#73。これについても[12]を片っ端から調べてみたが、#73を付けた300Sは存在しなかった。作者の話によれば本書を作るに当たりマセラティについては徹底的に調べたそうなので、架空の物語にするために実際には存在しない、既に廃車となっていたNo.3052を絵本の主役に仕立て上げたのかもしれない。もしNo.3052が残っていたらという期待を込めて。今後機会があればDwight氏に聞いてみたいと思う。

#3052 in 1959
青と白に塗り直された1959年2月の#3052[10]
crashed #3052 at Meadowdale in 1959 scrapped #3052
1959年9月Meadowdaleレースでクラッシュした#3052(左)とスクラップとなった#3052(右)[10]

ちょっとマニアックな調査になってしまったが、50年代の半ば、花開いたのは一瞬、まさに桜の如き300S。しかし紛れもなくレース史に名を残したこの名車にちょっとハマってしまった。生産されたのはわずかだが、今なお旧車レースで勇姿を見られるほど現代に大切に引き継がれている。それだけ多くのファンを魅了する真のスポーツカーなのだろう。モス卿もインタビューの中で“the 300S was probably the nicest sports car(300Sは私が今まで運転した中で、恐らく最も素晴らしいスポーツカーだった).”と仰せだ[13]。

300Sに関する日本語で読める資料はほとんど見つけられなかった(Wikipediaでさえも!)。この点が日本では一部のエンスーにしか興味の対象ではないクルマだということを示している。今回は唯一ともいえる[1]を図書館で借りて参考にした。しかしこの本ですら300Sについてはわずかしか言及されていない。その他参考・引用した資料はほとんど海外のサイト。毎夜、遅くまで英文と睨めっこだったので寝不足である。でも大変勉強になった。資料[12]の1次資料は恐らく360頁がまるごと300S、300Sのバイブル本ともいえる“The Maserati 300s”(Walter Baeumer、Dalton Watson Fine Books)ではないかと思う。幸いにして一部がネット上でも閲覧できるので、さらに興味のある方はこちら[10]、もしくは高額な原書を購入して調べてみて下さい(そんな人いないか)。



[参考・引用]
[1]世界の自動車30、マセラーティ ランボルギーニ イソ デ・トマーソ、高島鎮雄・編、二玄社、1976
[2]THE RACING STORY BUILDING THE LEGEND、Doug Nye、越湖信一・訳、Octane日本版2014 Spring Vol.5、ボストン
[3]マセラティ、Wikipedia、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%BB%E3%83%A9%E3%83%86%E3%82%A3
[4]Maserati 300S、Wikipedia、
http://en.wikipedia.org/wiki/Maserati_300S
[5]Maserati 300S、Ultimatecarpage.com、
http://www.ultimatecarpage.com/car/292/Maserati-300S.html
[6]100周年、マセラティ・ホームページ、
http://www.maserati100.jp/iconic-cars.html
[7]CMC Maserati 300S, 1956 Rolling Chassis wood plate included、MY-MODRLCARSHOP.DE、
http://www.my-modelcarshop.de/en/CMC-News-2013/CMC-Maserati-300S-1956-Rolling-Chassis-wood-plate-included.html
[8]モーターファン別冊 図解自動車のテクノロジー基礎編、両角岳彦・編、三栄書房、1991
[9]1955 Maserati 300S Sport Competizione Coachwork by Fantuzzi、Kidstone.com、
http://www.kidston.com/kidston-cars/26/1955-Maserati-300S
[10]The Maserati 300s、Walter Baeumer、Dalton Watson Fine Books、2008
http://www.themaseraticlub.com/300S%20Press%20File.pdf
[11]落札予想価格は5億円以上! スターリング・モスが駆った幻の1956年式マセラティ「450S」、AUCTION、autoblog、2014年4月9日、
http://jp.autoblog.com/2014/04/09/stirling-moss-crashed-1956-maserati-450s-auctioned-monaco/
[12]300 S technical specifications、Barchetta、
http://www.barchetta.cc/english/all.maserati/summary/sn.300s.htm
[13]Sir Stirling Moss and Maserati-Reminiscences of a Great Driver and some Great Cars、COMMUNIQUE No.38、Maserati North America、
http://www.maseratiamerica.com/maseratimonthly/38/MM_38_CommuniqueC.aspx
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Posted on 2014/04/12 Sat. 02:04 [edit]

category: cars/車のお勉強

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