哀悼 小林彰太郎

2013年もあとわずか。今年も多くの著名人がお亡くなりになったが、今年は自動車関係者の、しかも大物が多く鬼籍に入られた気がする。本年最後に彼ら自動車を愛した方々(一部には本当にクルマを愛していたか怪しい方もおられますが)を紹介し、哀悼の意を表したいと思う。

塩路一郎

塩路一郎(2月7日没、享年86歳)
元自動車総連会長。‘61年日産労組組合長、’62年に日産グループの労組でつくる自動車労連の会長に就任。7‘2年に自動車メーカーの主要労組を統合した自動車総連を結成し、’86年まで会長を務めた。「塩路天皇」の異名を取るほど経営・人事に影響力を行使し、銀座での豪遊、ヨット遊びなど小説にもなった「労働貴族」と揶揄されるほどの権勢振りで、彼と蜜月関係だった川又克二元社長、彼らと激しく対立した石原俊元社長の“三天皇“による社内抗争が日産を凋落させたと言われている。(引用先

桂田勝 3代目レガシイ

桂田勝(4月24日没、享年70歳)と3代目レガシイ
スバルテクニカインターナショナル(STI)の代表取締役社長、富士重工業の元常務取締役兼スバル技術研究所所長。「スバル360と百瀬晋六」でも紹介した伝説のエンジニア、百瀬晋六の薫陶を受けた筋金入りの技術屋。「レガシィ」の開発に初代から携わり、3代目では開発責任者を務めた。WRCを始めとしたスバルのモータースポーツ活動の指揮官としても活動された。(引用先

木全巖

木全巖(7月4日没、享年71歳)
元WRC「マールボロ三菱ラリーアート」の総監督。日本のモータースポーツ黎明期からのラリードライバーの一人で海外ラリーファンの間でも超有名人。1966年から三菱自動車国内ラリーチームの一員として活躍。三菱自動車工業在籍時は開発本部に所属し、三菱自動車のモータースポーツ活動の取りまとめと出場競技車の開発を推進した。(引用先

豊田英二

豊田英二(9月17日没、享年100歳)
言わずと知れたトヨタ中興の祖、トヨタ最高顧問。トヨタ自動車工業第5代社長、トヨタ自動車初代会長を歴任。本田宗一郎とともに米国自動車殿堂入りした数少ない日本人の一人。管官房長官会見の言葉を引用すると「カイゼンの徹底、あるいは低コスト、高品質の自動車を生産するトヨタ生産方式を確立をされた方」。悲願のグローバル年間生産台数1,000万超えが確実になった今、彼の存在はますます伝説化されるのだろうなあ。(引用先

マリーア・デ・ヴィロタ

マリーア・デ・ヴィロタ(10月11日没、享年33歳)
スペインの女性F1テストドライバー。父もF1ドライバー、弟もレーシング・ドライバーというレース一家に育つ。2012年にマルシャF1チームとテストドライバー契約を結んだ。同年、空力テスト走行中に衝突事故を起こして右目を失った。モータースポーツに関わる女性の指導的存在であり、事故後も交通安全に関して精力的に活動した。2013年、滞在先のホテルで亡くなった。(引用先

小林彰太郎

小林彰太郎(10月28日没、享年83歳)
クルマ好きの方でこの名前を知らない人はいまい。自動車専門雑誌の老舗「CAR GRAPHIC」の生みの親で名誉編集長(初代編集長)。第二次世界大戦後の日本に自動車ジャーナリズムを創出したパイオニアと評される。日本カー・オブ・ザ・イヤー実行委員会委員長なども歴任。クラシックカーへの造詣も深く、日本クラシックカークラブ(CCCJ)の会長も務められた。ライオン創業者一族で、育ちの良さがわかるオシャレでダンディーな紳士。一方で常に凛とした雰囲気を持ち、こんな風に歳をとりたいなあと思わせる人。亡くなる前日にトヨタ博物館のイベントでお話しされていたというのだから、まさに最期まで見事なクルマ人生であった。(引用先

河島喜好

河島喜好(11月7日没、享年85歳)
ホンダ技研第2代社長。「世界一速い車をつくった男 本田宗一郎」でも紹介したように、ホンダ黎明期を知る数少ない人。「ホンダのモーターサイクル史」でも紹介したマン島レースに初参戦したホンダの監督としてチームを率い、‘61年には125cc、250ccの両クラスで上位を独占した。日本の自動車メーカーで初めて米国(オハイオ州)での現地生産を開始。ホンダが世界に進出するきっかけをつくった。こちらも世界のホンダ中興の祖と言っても良いかもしれない。(引用先

難波靖治

難波靖治(11月28日没、享年84歳)
ニッサン・モータースポーツ・インターナショナルの初代代表取締役社長。ラリーと言えば難波さん。溝呂木陽さんから教えていただいたエンスーなクルマ絵本「せかいのれーす」も彼が監修されたものである。日産入社後、1958年にオーストラリア一周ラリー、モービルガス・トライアルに自らドライバーとしてダットサン210『富士号』で出場、クラス優勝を果たす。その後も日産の追浜ワークスを率いサファリラリーで多くの栄光を獲得。日産車だけでなく、日本のモータースポーツの発展の礎を築いた。(引用先

富士号(日産本社前)
愚息が富士号(右)の前で記念撮影(2013.12.23日産本社にて)

ポール・ウォーカー

ポール・ウォーカー(12月1日没、享年40歳)
愚息も大好きな違法路上レースムービー(先が不安だ)「ワイルド・スピード」シリーズの主役としても知られる米国俳優。米ロサンゼルス近郊で車の衝突事故(彼は助手席)で死亡した。ハードなクラッシュシーンは、映画だけの話にして欲しかった。シリーズは6作まで製作されているが、彼の出演しないワイルド・スピードはないだろうね。(引用先

この記事を書いていて、ミハエル・シューマッハのスキー大事故を知った。危うくこの鬼籍リストに入るかもしれなかったほどの重篤な状態だったようだが、何とか手術も成功した模様。カムバックしてくれ、ミハエル!
以上、皆様のご冥福とご無事をお祈り申し上げます。

来年もこのブログに立ち寄られた皆様が、健康でよいお年をお迎えになりますよう。
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