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楽しいクルマ絵本の世界/エンスーのためのクルマ絵本ライブラリー

ロードムービー  

ロードムービー

男の足元に捨てられた煙草の吸い殻。最近の風潮だと批判の対象になりそうなこの表紙のクルマ絵本を紹介する。「ロードムービー」(絵・つくし、アリアドーネ企画)、ことばのない絵本。久々のクルマ絵本紹介だが、途中で大きく脱線します。ご容赦。

ロードムービー その1

絵本を開く。アメリカの荒涼たる風景の中を西へまっすぐ伸びる一本の道。ルート80とある。アメリカのルート80は、大陸を東西に横断する幹線道路、Interstate Highways(州間高速道路)の一つ、サンフランシスコからニューヨークまで走る。末尾が0は東西に走る幹線道路、末尾が5は南北に走る幹線道路に付けられている[1]。

ロードムービー その2

route 89
Route 89[9]

次のシーンは砂漠地帯のルート89。金髪のおねえちゃんがヒッチハイクをしている。ドライバーはウィスキー瓶を片手に運転(これまた教育委員会からお叱りを受けそう)。ルート89は南北2つの部分に分かれたハイウェイ。南側はアリゾナ州フラッグスタッフからイエローストン国立公園の南口まで。北側はイエローストン国立公園の北口からカナダとの国境モンタナまで続く。この道は国立公園ハイウェイと呼ばれ、6つの国立公園を通過することで知られる。最もアメリカらしい壮大な大自然の風景が続く美しい道である[2]。

ロードムービー その3

そんな大自然の風景から一変してネオンサインの輝く都会の道を走るクルマ。男は煙草にライターで火を付ける。

ロードムービー その4

しばらく走り続けたのだろう。くゆらせた煙草もほとんど灰になった頃、目の前に突然UFOが現れる驚きの展開!。ロズウェル事件で有名なニューメキシコだろうか。するとバックミラーにUFOの光を見届けながら、突如クルマはニューヨークのブルックリン橋を渡っている。

ロードムービー その5

こんな風に男のクルマはアメリカの様々な風景に登場し、挙句の果ては南米やモンゴルの大平原らしき場所へもトリップするのである。そして最後に、場所もわからない白い大地にまっすぐと続く道でクルマを止め、外で煙草を吸う男。再び運転を始めるのか、吸いかけの煙草を道路へポイッと投げ捨てる。この道をたどっていけば、どこにでも行けるのだ、と…。

つくし
つくし[4]

作者のつくしさん、1961年高知県生まれ。嵯峨美術短期大学ビジュアルデザイン科卒業。1988年よりフリーランスとなり、おもに紙を使ったイラストとコンピューターを使ったイラストで広告、雑誌等で活動。1995年、アリアドネ企画/三修社から「ことばのない絵本シリーズ」を立ち上げ、著書としての本書の他に「センチメンタル・ジャーニー」「鈴木さんの具合」がある。1996年NYに渡り、アメリカの出版社でロマンスやミステリーなどの本の表紙、絵本などを制作後、2004年に帰国[3][4]。

それにしても煙草のシーンが多い絵本だ。メディアにおける喫煙の表現については、ある映画がきっかけでちょっとした論争になっている。その映画とは現在も上映中の宮崎駿監督・作『風立ちぬ』である。作中に多くの喫煙シーンが登場することから、日本禁煙学会が「メディアによるたばこの宣伝を禁じた国際条約に違反する」と嚙みついた。これに対して愛煙家らも「表現の自由を阻害する禁煙ファシズム」と反論。インターネット上でも賛否二分した大論争に発展しているのだそうだ[5]。

おじいちゃんのカラクリ江戸ものがたり
「おじいちゃんのカラクリ江戸ものがたり」より

絵本の世界でも以前に同様な騒ぎがあった。クルマノエホンでもお世話になることがある月刊「たくさんのふしぎ」2010年2月号に掲載された「おじいちゃんのカラクリ江戸ものがたり」(文・絵:太田大輔)に問題の喫煙シーンは描かれていた。発明家のおじいちゃんが孫たちの前で喫煙したまま江戸時代の暮らしを解説するというお話だったため、一読者である小児科医のブログ批判記事が発端になり、禁煙団体などからも「たばこを礼賛している」「たばこ規制条約に違反する」とクレームをつけられた。批判を受けた出版元の福音館書店は同書を自主回収、販売中止とした。表現の自由を自ら葬った出版社に対しても批判の声が上がった[6]。

いずれの映画や絵本も私は見ていないので、問題となったシーンを客観的に論評は出来ない。しかし、双方の批判記事を読んでいると「ちびくろサンボ」や「タンタン」論争にも似た違和感、嫌悪感を覚えるのだ。

私は煙草を吸わない。正確に言うと社会人になって一時的に喫煙者になった時期もあったが、身体に合わなかったので長くは続かなかった。今はむしろ嫌煙者である。父はハイライトを嗜好したヘビースモーカーだった(彼も心臓病を患い完全に止めた)。そのため、私は幼少の頃から紫煙に晒されてきた。完全に受動喫煙者である。そういう環境もあって、子供の頃から煙草の煙や臭いは嫌いだった。しかしこの論争については、若干愛煙家団体の肩を持ちたい。

[5]によれば、『風立ちぬ』においてやり玉に上がったシーンとは、主人公が結核で闘病する妻の病室で煙草を吸うというもの。勿論、病人の前で平然と吸うのであれば非常識と捉えられるかもしれないが、主人公は妻に気遣い、一旦は外で吸おうとする。しかし、妻の「ここで吸って下さい」という言葉に思い直すという夫婦間の心の描写である。「夫婦の絆を表現する方法は別にあったはず」と猛反発を受けたそうだが、第三者に作品の表現方法をとやかく言われる筋合いはない。どう表現するかは作者次第である。

日本禁煙学会は『「表現の自由の侵害」とは、強制権力を持った政府が市民の言論を抑圧することを指すものであり、強制権力のないNPO法人である日本禁煙学会が行う批判活動は、正当な市民的権利の行使に過ぎない。』と反論するが[7]、全くその通りである。従って、一市民である映像作家の「表現」もまた、正当な権利の行使に過ぎない。批判は自由であるが、著作物の公開や販売を差し止める権利は少なくともNPO法人にはない。しかし前述した出版社の愚かな対応が、圧力をかければ喫煙表現を成敗できるという悪しき前例を作ってしまった。

サンジ
サンジ(「ONE PIECE」より)

同じく日本禁煙学会によれば、『喫煙シーンを多く見た子どもほどタバコに手を出すようになることが証明されている』と主張する[7]。『風立ちぬ』は子供向けのアニメというよりは、大人向けの作品内容と聞く。であれば、咥え煙草の次元大介やサンジといった煙草を愛飲するキャラクターが登場し、我が家の愚娘・愚息も含めて子供たちにも人気のある『ルパン三世』や『ワンピース』はさらに大問題であるはず(※)。しかし日本禁煙学会は両作品に対しては、『風立ちぬ』と同様の要望書は提出していないという。宮崎委員長によると「架空のキャラクターであれば煙草を吸ってもゴムの体が伸びても(つーか、サンジは伸びないし)仕方ないという面はある」とのコメント[5]。何という一貫性のなさ。これには笑うしかない。

(※)アメリカではサンジの煙草はキャンディにすり替えられているらしい。銃の規制はできず、こういう重箱の隅を突っつくような規制を行っているアメリカって国も良くわからんなあ。

愛煙家の宮崎駿
この論争に関して宮崎氏はオフィシャルなコメントは発信していない

要するに『風立ちぬ』の主人公のモデルは実在する人物だから問題があるのだそうだ(『紅の豚』でもバカスカ吸っとったが、ありゃ豚だからええのか)。しかも、主人公のモデルである堀越二郎氏は煙草を吸わない人だった、だから歴史をねじ曲げていると批判するのだが、この作品は堀越二郎や堀辰雄がモチーフにはなってはいるが、二人をごちゃまぜにした”二郎”という架空の人物が主人公の完全なフィクションだと紹介されている。それどころか堀越二郎のご子息は、宮崎駿監督に感謝までされている[8]。私は取り立ててジブリの作品や宮崎駿のファンという訳ではないが、結局この団体は愛煙家として知られる宮崎駿氏個人の人格否定をしたいだけなのではないか。もしそうであれば、まさにファシズム。

子供に悪影響を及ぼすというのなら、安易に大量破壊や殺戮のシーンが登場するアニメやゲームの方がもっと問題だろう。しかし子供は大人が思っているほど愚かではなく、喫煙が健康に良くないことくらいわかっている。一時的に興味本位で煙草を吸うマネをするのは今も昔も変わりはない(うちの愚息も『ワンピース』のスモーカー中将のマネをして偽葉巻を作って遊んでたよ)し、そんな目くじらを立てる程、子供たちは気にもしていないと思う。また大人が喫煙シーンを禁じたところで、最終的に煙草を吸う奴は吸う、吸わない奴は吸わない。何でもかんでも駄目だ駄目だと臭い物に蓋する行動よりも、真っ黒になった肺や汚くなった歯の映像を見せた方が何倍も効果があるだろうに。

煙草が健康にもたらす悪影響は十分理解するし、禁煙を勧める啓蒙活動も重要だと思う。煙草を吸う「行為」に対して衛生医学上の“警告”を出すことはなんら否定しないけれど、煙草を吸う「文化」が存在することは認めても良いと思うのだ。生物資源保護の議論から外れて、鯨を食する「文化」まで否定する捕鯨禁止運動に対しても同じ思いだ(こちらも鯨は駄目で牛豚は良いという主張に一貫性がない)。「坊主憎くけりゃ、袈裟まで憎い」ヒステリックな水掛け論はやめて、いずれも科学的な話と文化的な話とは分けて冷静に議論すべきである。

煮詰まる会議
昭和の煮詰まった会議風景を描けば、だいたいこうなる(「本田宗一郎本伝」より)

私の好きなJAZZも煙草抜きには語れない音楽だ。煙草の煙が立ち上らないジャズ喫茶や煙草を咥えないビル・エヴァンスなんて全く絵にならない。映画の世界でも紫煙をくゆらせないハンフリー・ボガードはあり得ないだろうし、チャーチル首相やマッカーサー元帥の伝記映画を作ったら、葉巻やパイプのシーンは全てカットしろと言うのだろうか。それこそ歴史をねじ曲げかねない。煙草のシーンが一切NGなら、もう昭和のドラマは作れない。煙草は、少なくとも昭和時代までの風俗文化を語る上で欠くことのできない小道具、名脇役なのだから。

私が30代前半の頃までは喫煙は当たり前の風景だったから、1995年が初版の本書に煙草のシーンがいくつも登場するのはなんら不思議ではない。時間の経過を表現する上でも煙草は役に立つ。休憩が終わってさあ出発というシーンで煙草を道端にポイ捨てするのはよくある表現手段。例えばこういう場面で、男が携帯用灰皿を手にしているとか、クルマに乗車してから律儀に灰皿に戻すなんて野暮な表現はフツーとらないだろう。登場人物の心理や行動の切り換え表現にも煙草は便利な道具となる。こちらもモラルの話と芸術表現は分けて考えるべきだ。

何年も前の朝の通勤時に見た光景。信号待ちしていた前方のクルマが突然運転席のドアを開け放った。何をするのかと見ていると、灰皿に詰まった煙草の吸殻をどっさり路上に捨てているではないか。あまりの出来事に私は開いた口が塞がらなかった。私はクルマの窓から煙草のポイ捨てを見かけると(ホント多いです)、いつもそれを拾って、火のついたまま運転席に投げ返してやろうと思うのだが、良い子の皆さん、勿論ポイ捨ては物語の中だけのお話。絶対にやめましょうね。喫煙者への感情的な批判をかわすにも、最低限のモラルが必要だ。

[参考・引用]
[1]アメリカのハイウエイ、アメリカ大陸横断記録、
http://www.asahina.net/kiyotaka/highway.html
[2]美観の国道89号線、アリゾナブログ、2011年1月14日、
http://wag-arizona-tour.com/blog/?p=11
[3]Profile、Tsukushi Works.com、
http://www.tsukushiworks.com/profile.htm
[4]第46回クリエイター特別インタビュー つくしさん、クリエイターデザイナー発掘・支援サイトLASO、
http://laso.jp/createrlist/special/46.php
[5]「風立ちぬ」めぐり喫煙論争過熱 「サンジ」や「次元」はOKなのか、産経新聞、2013年9月20日、
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130920-00000576-san-soci
[6]『おじいちゃんのカラクリ江戸ものがたり』販売中止についてのメモ、情報の海の漂浪者、2009年12月29日、
http://hatena.fut573.com/entry/20091229/1262095252
[7]映画「風立ちぬ」でのタバコの扱いについて(要望と見解)、日本禁煙学会ホームページ、
http://www.nosmoke55.jp/action/1308kazetatinu.html
[8]『風立ちぬ』のモデルになった堀越二郎さんの子息、宮崎駿に感謝、シネマトゥデイ、2013年8月25日、
http://www.cinematoday.jp/page/N0055745
[9]U.S. Route 89、Wikipedia、
http://en.wikipedia.org/wiki/U.S._Route_89
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Posted on 2013/10/16 Wed. 20:28 [edit]

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