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楽しいクルマ絵本の世界/エンスーのためのクルマ絵本ライブラリー

日本の道を最初に走ったクルマ  

日本の道を最初に走ったクルマの写真1

息子の夏休みも今日が最終日。自由研究も先週までには無事終了していたが、彼の考えた最初のテーマは『自動車の歴史』という、あまりに広範すぎて大人がまとめるにも難しい課題だったので、世界と日本で最初のクルマたちを調べたらとアドバイス。我が家にあるクルマノエホンの中から数冊の図鑑絵本をピックアップし、日本あるいは世界で“最初の”とか“はじめての”といった解説が付いたクルマを抜き出す。これを年代順に整理してみるのだ。それでも探すとこれが結構ある。最初のクルマなので、当然古い時代に偏りが出てしまう。新しい時代とのバランスや最近のトレンドも考慮して、最初の電気自動車やハイブリット車、最初の量産電気自動車や量産ハイブリット車についてお父さんの入れ知恵も加える(子供の自由研究になっとるのか?)。そんな中で日本の道を最初に走ったクルマは何かということになった。これが私自身も非常に勉強になったのである。

日本の自動車の歴史」(福音館書店)によると、明治時代の日本で活躍した有名なフランス人風刺画家ビゴーが描いた絵とともに、1898年に築地~上野間を走ったクルマが日本で最初に公道を走った自動車と記されている。ガソリン自動車が誕生してからわずか12年後のことである。本書にはこのクルマが何だったのかは記載されていないので、息子の調査結果は車種不明ということになった。ところが拙ブログの「日本の自動車の歴史」の紹介記事では、そのクルマが“パナール・ルバッソール”だと書いたのだが出典が明記されていない。参考・引用元にリストアップした「日本自動車百年史」のサイトが恐らくその情報ソースだと思われたがすでにリンクが切れているし、やはり出典はきちんとわかるようにしないとダメだな、そう思っていたときに、この記事を書いた後に古本屋で手に入れた「自動車伝来物語」(中部博・著、集英社)の存在を思い出した。

自動車伝来物語
自動車伝来物語

書棚から探し出して再読してみる。著者の中部氏はある文献で、1900年に当時の皇太子(後の大正天皇)のご成婚祝いとして米国サンフランシスコ日本人会から献上された電気自動車が、赤坂付近を走行したエピソードに出会う。ところが日本自動車史の文献を調べてみても、そのような記録が残ってない。さらに調査を続けると日本の自動車伝来史は諸説紛々、正確な自動車史年表もない。そこからアメリカや欧州に飛んで、日本の道を最初に走った自動車は何かの謎解きが始まる。皇太子の電気自動車か、あるいはその後辿り着くビゴーが描いたガソリン自動車なのか、クルマ大国日本創世の謎を追う、痛快歴史サスペンス。個人的には非常に興味深い一冊だった。

ロコモビル蒸気自動車
ロコモビル蒸気自動車(「明治時代のスーパーカー・自動車」より)

世界で初めての量産ハイブリット車、トヨタ・プリウスが発表された10数年くらい前までは、日本で最初に自動車が伝来したのは、1900年(明治33年)に輸入された米国製のロコモビル蒸気自動車だというのが定説になっていた。以前に紹介した「明治時代のスーパーカー・自動車」(国際情報社、1984)や「小学館の学習百科図鑑24 自動車」(小学館、1979)にもそのように記述されている。

デフネのデモ走行(ビゴーの風刺画)
ビゴーの風刺画「東京に初めて出現した自動車」

実はこのロコモビル説に疑問が呈されたのは、今から40年くらい前に遡る。近代漫画の研究家、清水勲氏が古い報道漫画「東京に初めて出現した自動車」(上図)を見つけたのは1975年。作画は在日フランス人画家、ジョルジュ・ビゴー(Georges Ferdinand Bigot)。1898年に東京で発行した雑誌風画集「極東にて」に掲載された1枚である。ビゴーの風刺画は私が小学生の頃の社会の教科書にも載っていた記憶があるくらい、近代日本文化史における重要な人物の一人である。この風刺画の存在については1978年に彼が上梓した「明治の風刺画家・ビゴー」(新潮新書)で公に紹介され、自動車業界で話題になる。

清水氏がビゴーの絵を発見した同じ年、サラリーマンの傍ら近代交通史を研究する一人の男が、重大な発見をする。NHK放送センターに勤める齋藤俊彦氏は、国立国会図書館で閲覧した明治時代の「東京朝日新聞」、1898年(明治31年)1月11日付の記事に目が留まった。

≪自動車の初輸入 仏国ブイ機械製作所テブネ技師は仏国に於いて馬車の代わりに発明されしトモビルと稍する石油の発動にて自由自在に運転する自動車一輌を見本として携え来りしが、その最高速力は一時間三〇キロメートル駛(は)する由≫

彼も清水氏の「明治の風刺画家・ビゴー」を読んでいた。ビゴーの描いた漫画は、「東京朝日新聞」で紹介されたテブネ技師の運転するクルマと考えると辻褄が合う。齋藤氏はさらに詳細な調査を続け、その成果を「ベールを脱いだ幻の第一号車」という論文にまとめ、トヨタ自動車が発行している雑誌「自動車とその世界」(1987 年 No.222)の誌上で発表する。ここで初めて、このクルマが“パナール・エ・ルヴァッソール”であることが言及された。ところが、この日本自動車史を覆す成果は自動車業界から黙殺される。それどころか、当のトヨタ自動車が新設したばかりのトヨタ博物館で開催された第1回特別展において、「日本初渡来」として紹介し、展示したクルマは定説どおり「スタンレー・ロコモビル・スチーマー」であった。その辺の経緯については前述の「自動車伝来物語」を補完する[1]のシリーズに詳しい。要は学会等にありがちな権威至上主義による過ちである。しかし、齋藤氏は当時の業界の反応など全く意に介さない。『研究の成果や意見には、いろいろなものがあります。そうしたものが合わさって、全体が進歩していくものですからね。ほかの人の研究を頭から否定して、反対する考えなど私にはありません。[2]』 

齋藤氏はもともとNHKの資料部で時代考証を担当していたサラリーマン。友人から映画『無法松の一生』の時代考証を頼まれたのがきっかけで人力車の研究を始め、その研究の集大成「人力車」(産業技術センター)で1979年度交通図書賞を受賞している。人力車の研究の流れから自動車や自転車、オートバイなどクルマ全般への興味も広がり、その中での「東京朝日新聞」の記事発見であった。NHK退職後は「近代における道路交通地理ー人力車から自動車へー」という論文で文学博士の学位を取得されている。大学の講師もされ、人力車の研究では、国内で唯一無二の第一人者である。彼の略歴によると、私の母校熊大の大先輩だということがわかった。地味ではあるが一つのテーマを執拗に追い求め、まさに渉猟して狙った獲物を捕える。こういうプロフェッショナルな仕事の流儀は大好きだ。後輩の一人としても非常に誇らしい。

日本の道を最初に走ったクルマの写真2
フランスで発見された日本最初の自動車の写真[3]

その後の齋藤氏及び、自動車史研究家・佐々木烈氏による綿密な発掘調査により「東京朝日新聞」のパナール・エ・ルヴァッソールに関する公開記録はあらかた検証しつくされた。しかし1996年に決定打となる資料が、トヨタ博物館学芸員の鈴木忠道氏によって発見される。フランスの自動車博物館で見つけたフランスで最古の自動車雑誌である“LA FRANCE AUTOMOBILE”の 1898 年 4 月 16 日号の表紙を飾っていた写真がそれである(上写真)。瓦屋根の建物を背景に外国人とおぼしき髭をたくわえた人物(まさにビゴーの絵)の乗ったパナール・エ・ルヴァッソールM4型が写っていた。しかも、着物を着た日本人男性 7 名も一緒におさまっている。写真のキャプションには以下のように書かれていた。

“日本最初の自動車-写真はパナール・エ・ルヴァッソール社の重役ピエロン氏の提供”

齋藤氏の協力も得て、さらなる調査を行った結果、1897年11月に日本向けに輸出されていた記録も見つかった。これらの確実な証拠が見つかったことで、齋藤氏らが発表していた「日本初渡来のクルマはパナール・エ・ルヴァッソール」がようやく常識となっていった[1][3]。

日本に初めて自動車を持ち込んだ、ビゴーの風刺画に登場する謎の髭の男、フランス人テブネとは何者なのか。齋藤氏も彼については執拗に調査をしているが、来日時期、素性ははっきりしていない。当時の新聞・雑誌によると、彼はフランスのブイ機械製作所技師。来日の目的は、同社の支店を東京に開設し、武器(大砲)、工業機械、鉄道機関車の製造工場を建設するため、その資金を日本で調達することにあったらしい。共同経営に参加する日本人実業家とも接触していたようだ。資金調達の宣伝広告の材料として、当時の最新工業製品であるガソリンエンジン自動車を持ち込んだと思われる。新聞の取材も受けている。パナール・エ・ルヴァッソールは最初から売り出される予定で、販売方法はホール商会が仕切る公開競売であった。結局は販価の折り合いがつかず売れなかったそうだ[4]。

報知新聞に掲載されたパナール・エ・ルヴァッソールのイラスト
報知新聞に掲載されたパナール・エ・ルヴァッソールのイラスト(ハンドルがティラー型)[4]

さて、ここで一つの疑問が生じる。写真のパナールのハンドルはティラー型と呼ばれる一本棒のハンドル形式。齋藤氏が発掘した「報知新聞」の競売広告のイラストもティラー型となっている。一方、ビゴーの描いた絵では、現在のクルマと同じ円形ハンドルになっている。前述の清水氏は、「自動車を初めて見るビゴーがデフォルメはあっても嘘を描く訳がない。見たままを描いたと考えるのが自然。イラスト画の方はカタログから模写したものだろう。」と推測したが[4]、写真の発見によりティラー型が最初のクルマだとされた。本当にそうなのだろうか。

システム・パナール
システム・パナール[8]

パナール・エ・ルヴァッソール社は、1868年にエミール・ルヴァッソールとルネ・パナールが創立した世界で最初の自動車生産・販売メーカーとされる(フランスの自動車関係者の主張)。前身は木工機械の製作会社ペラン社で、工作機械を自動化するためにダイムラーからガソリンエンジンの製造権利を買って内燃機関の製造を始めた。1891年、“システム・パナール”と呼ばれるエンジン、クラッチ、ギアボックス、ファイナルドライブと前から後ろに一列に原動機と駆動系を並べる現代の自動車の基本であるフロントエンジン・後輪駆動レイアウトを発明した[3][4]。世界で最初の自動車メーカーの議論は兎も角、近代自動車メーカーの形を最初に確立した会社であることは間違いない。

世界初の自動車レース優勝車としてのパナール・エ・ルヴァッソール
世界初の自動車レース優勝車としてのパナール・エ・ルヴァッソール(「じどうしゃ博物館」より)

この会社を有名にしたのは、世界最初のモータースポーツ・レースである1894年のパリ・ルーアン・トライアルでの優勝だ。この”世界初”は息子が調べた「じどうしゃ博物館」(福音館書店)でも紹介されている。しかし自由研究の模造紙には、”世界初”の自動車レース優勝車としてではなく、”日本初渡来”の自動車としてのパナール・エ・ルヴァッソールの名前が書き込まれた。自動車レースでの優勝は宣伝効果が大きい。1895年には1.3L直列2気筒のMシリーズを開発して、年間生産台数100台ほどの世界最大の自動車メーカーとなった。その後1897年にはティラー型ハンドルを止め、両手で操作する回転ハンドルを経て円形ハンドルを採用した。一方、同社は空気入りタイヤ(ニューマチック・タイヤ)の導入が遅れ、標準装備されたのは1898年の4気筒モデルからであった[4]。

ここで改めて写真及びビゴーの絵を眺めると、日本初渡来とされるパナール・エ・ルヴァッソールは、ラジエーターグリルのない2気筒モデルであることがわかる。ところが、1898年3月7日付The Japan Timesの競売広告には、テブネ技師の自動車は「素晴らしく乗り心地の良いゴム・タイヤ仕様」とある[4]。前述のように空気入りタイヤが標準装備されたのは4気筒モデルからなのでここにも矛盾が生じる。

「自動車伝来物語」の中で中部氏が取材したパナール社(現在はプジョー・シトロエングループの軍用装甲車を生産する会社)の担当者によれば、当時のパナール・エ・ルヴァッソールは、新しい機構を新車に搭載する度に、すでにオーナーになっている方から自動車を預かって改造していたのだそうだ。だからM4に空気入りタイヤが装備されても、ハンドルが円形になっていても不思議ではない。テブネ技師の来日目的からすれば、最新技術で装備された自動車をお披露目する方が宣伝効果大である。テブネ技師もしくはブイ機械製作所がパナール・エ・ルヴァッソールを購入した記録がないということだから、パナール社から日本在住の第三者(テブネが接触していたと言われる日本人実業家?)に渡り、そこで最初に撮影されたのが前述の写真、その後改造されたクルマ(技師であったテブネ自らが改造したとも考えられる)がデモ走行に使われてビゴーの絵になった。そうは考えられないだろうか。

1880年代の銀座通り
1880年代の銀座通り[4]:東京に路面電車が走る明治36年(1903年)以前、日本初の自動車はこんな風景の中を走った。

そして日本最初の自動車試走は、築地~上野間で1898年2月7日に行われたとされている[3][4]。ところが齋藤氏の調査研究によれば、1月31日に試運転が実施された可能性があるというのだ[2]。テブネ技師の目的からすれば、失敗は許されない。事前のアナウンスで新聞記者などを呼んで(実際には東京朝日新聞の記者しか来なかったようだが[4])公式のデモ走行を行う前に、試運転を実施するのは当然とも言える。齋藤氏の推測によると、この1月の試運転中のパナールをビゴーが描いたのではないかというのだ(ちなみに「日本の自動車の歴史」はこちらの説の方を採用している)。日本の道を最初に走ったクルマにはまだ謎が多いのだ。

さて、息子の自由研究をサポートする中で、未来のクルマの象徴として電気自動車の世界初についても調べてみたが、こちらも諸説ある[5]。日産のホームページでは1873年、イギリス人のロバート・ダビッドソンによるEVの完成を人類初の電気自動車として紹介している[6]。プロトタイプ的なものはそれ以前から存在するようだが、実用的な電動式4輪トラックを開発したという意味で世界初として一般的に取り上げられる[3]。但し、1次電池である鉛亜鉛電池を使っていたので現在のように充電はできない[7]。初めての電気自動車については、まだまだ新情報が眠っている気がするし、骨のある方は新しい真実の発見に是非挑戦されてみてはどうだろうか。

息子の自由研究(2013夏)
息子の自由研究(2013夏)

[参考・引用]
[1]輸入車事始めVol.7、前屋 毅、VividCar、2002年4月16日、
http://www.vividcar.com/cgi-bin/WebObjects/f1b8d82887.woa/wa/read/f1bb2a4b4f/
[2]輸入車事始めVol.6、前屋 毅、VividCar、2002年4月9日、
http://www.vividcar.com/cgi-bin/WebObjects/f1b8d82887.woa/wa/read/f1bb2a4b49/
[3]改訂版自動車クロニクル、自動車文化検定委員会・編、p39、二玄社、2009
[4]自動車伝来物語、中部 博、集英社、1992
[5]最初の電気自動車についての考察、森本雅之、電気学会半導体電力変換研究会資料、SPC-11、193-208号、p.1-6、2011年12月15日
[6]026 EVolution EV進化論(第一部)-電気自動車はエンジン車より古い、NISSAN TECHNOLOGY MAGAZINE、2013年4月13日、
http://www.nissan-global.com/JP/TECHNOLOGY/MAGAZINE/EVolution.html
[7]EVヒストリー、一般社団法人次世代自動車振興センター、
http://www.cev-pc.or.jp/kiso/history.html
[8]日本車のデザインと外国車のデザインの違い、森江健二、JAMAGAZINE、1999年7月号、p8、
http://www.jama.or.jp/lib/jamagazine/199907/08.html

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Posted on 2013/08/29 Thu. 23:16 [edit]

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