GO!GO!ベイスターズ

ベイスターズ勝利

梅雨空が心配された6月最後の日曜日。夏らしい晴天に恵まれた昨日は家族で横浜スタジアムに出かけた。横浜vs中日戦を家族で観戦しに行ったのだ。自宅のある横須賀安針塚には、知る人ぞ知るベイスターズのファーム練習場であるDeNAベイスターズ球場がある。2軍の選手もよく近所をランニングしている。我が家は特にベイスターズファンという訳ではないのだが、最近息子がそのファームの選手からサインをもらった。横浜ベイがちょっと身近になった先日、とあるルートでDeNAの株主優待券を手に入れたのである。我々夫婦にとっては十数年ぶりのハマスタ観戦。たまにキャッチボールやバッティング練習をする程度で、野球のルールをほとんど知らない息子にとってはプロ野球どころか球場観戦が初デビュー(野球に全く興味のない姉さんは別の用事で不参加)。1塁側内野席中段のなかなか良い席で、この日はベイファンにとっても最高の試合となった。

最近の男の子のスポーツといえばサッカーが一番人気だろう。将来の夢を聞くとプロサッカー選手と答える子供たちが多い。愚息もスクールに通っているし、彼のいとこ達も、筋金入りのサッカー小僧だ。一方、我々4、50代前後の父親たちにとって、少年時代のスポーツといえば野球であった。夕食時、プロ野球のナイトゲーム(ナイター)中継を見ながらの一家団欒、これがごく普通の家庭の風景だった。今のようにプロサッカーチームもなく、サッカーワールド杯やコンフェデ杯のような世界の強豪相手に日本の試合を観るなんてあり得なかった時代、スポーツの娯楽といえば野球しかなかった。サッカーと比べて複雑な野球のルールは、友だちと草野球をして遊ぶ中で、あるいはテレビ観戦しながら親父から教わったものだ。エポック社の野球盤でもよく遊んでいたなあ。

でも時代は変わり、地域のチームに入って試合をやることはあっても、子供たちが休み時間や放課後に野球で遊ぶことがなくなり(そもそも草野球をする場所がない)、テレビで野球中継を観戦する機会もほとんどなくなった(視聴率が取れないので中継はBSに移り、テレビの視聴時間がそもそも減った)。もちろん、親子で巨人戦を観ながら、父親が子供にルールを教えるという風景は今でもあるとは思うが、少なくとも我が家では行っていなかった。息子がルールを知らないのも当然である。サッカーだけでなく、いろいろなスポーツの楽しみを教えるという父親の役割を私は十分果たしていなかったと反省。

巨人V9(1973)
憎きジャイアンツV9(1973年日本シリーズ)[1]

子供の頃、私はアンチ巨人派(今は興味ない派)だった。両親がアンチだったこともあるが、とにかく世の中の主流、全国区というものが嫌いで、常に判官びいきだった。小倉で過ごした小学生の頃、巨人がV9を達成した年だったと思うが、日本シリーズの巨人対南海戦で一人だけ南海を応援して引かれた記憶がある。私の育った福岡といえば当時はライオンズ、今はホークスファンが多い土地柄と思われるかもしれないが、九州は基本ジャイアンツ人気が根強い。巨人が宮崎をキャンプ地にしているという理由もあるかもしれないが、根本的に九州人は東京志向である。成功するとは東京で一旗あげることと思う意識が強い。だから東京で成功したプロ野球選手の集団、読売巨人軍は憧れの対象なのだ。

クラウンライターライオンズ
史上最悪のユニフォーム、クラウンライターライオンズ(前列中央は東尾、右が土井、後列右が竹之内か)

中学生になっても巨人戦ばかりのテレビ中継が気に入らない。専らラジオでライオンズ戦を聴いていたように思う。当時はクラウンライターライオンズ。巨人と覇権を争っていた黄金時代の西鉄ライオンズを私は知らないが、西鉄時代の黒い霧事件で太平洋クラブへスポンサーが変わり、成績不振からさらにクラウンライターへオーナーが代わっても万年最下位。ライオンズはまさに今のベイスターズと同じ境遇だった。東尾をはじめ、永射、真弓、立花、土井、竹之内、若菜、太田などその後西武ライオンズやその他球団で活躍をする玄人好みの仕事師が揃っていたにも関わらず、全く成績が振るわなかった。駒が良くても負け癖がつきチームや球団の雰囲気が悪ければ決して勝つことができない典型例だった。

もちろんホーム球場である平和台は毎回閑古鳥。福岡市民は完全にそっぽを向いていた。しかしたとえ負けが続いても、万年最下位であっても、どんなに罵声を浴びせようとも地元球団を愛し続ける大切さに気付いたときはもう手遅れだった。昭和53年、ライオンズが所沢へ移ることを知った時は本当にショックだった。このショックを二度と味わいたくない福岡市民は、再び地元球団として誘致されたホークスに多大な愛情を注ぐのだろう。チームも成績という結果でそれに応えてくれたし。

神奈川在住が故郷福岡よりも長くなった私は、ベイスターズにライオンズと同じ轍を踏んでもらいたくないと思うようになった。神奈川に長年住んでみて、特に横浜の人は、住んだ経験のある大阪や福岡に比べて地元愛が薄い、冷めた印象を受ける。横浜都民と揶揄されるくらい通勤や通学は東京都に偏っているせいもあるのだろう。300万都市にしては市内にコアな商業施設や名所も少なく、政令指定都市としての迫力にも欠ける。そんな横浜をホームにしているベイスターズの選手やサポーターにもまた、勝負やチームに対してクールなイメージを抱いていた。

ベイファンは意外に熱かった
ベイファンは意外に熱かった

しかし、今回横浜戦を観戦してその印象は少し変わった。これだけ弱小な球団にも関わらず、1塁側を埋め尽くしたファンの応援は力強く、末期の(福岡)ライオンズの環境とは明らかに違って見えた。チームはサポーターが強くする。彼らを見捨てずこれだけ熱心に応援してくれるファンに支えられたベイは、これに必死に応えなくてはならない。

最年長投手の投げ合い
最年長投手の投げ合い

さて肝心な試合結果。先発は中日、山本昌(47)に対して、横浜はハマの番長三浦(39)と、セ・リーグ最年長対決。2回にこれまたベテラン中村ノリ(39)が400号のメモリアルアーチで先制。三浦は3回と5回に1点ずつ奪われ逆転される。しかし粘りのピッチングで2点に押さえたまま迎えた8回、多村のソロHRで同点にし、2アウトで9番三浦の打順に。ピッチャー交代で代打かと思われたがそのまま打席に。結局三浦は打ち取られたが、右中間に飛んだライナー性の当たりは抜けて長打になってもおかしくないきわどいものだった。捕った選手のファインプレー。この強烈な一打に、今日の試合は何としても勝つという番長の強いメッセージが伝わった。彼の気迫が他の選手に届いたのか、9回裏2死1、3塁。バッターボックスは400号アーチを打った中村。1塁側の期待に応えてセンター前にサヨナラヒットでこの試合を制した。ベイはこういう粘りのある諦めない試合を続けて行って欲しい。

ブランコの一発は出なかったが…
ブランコの一発は出なかったが…
ノリがやってくれました
ノリがやってくれました

中村の400号を含む2本のアーチを見られただけでも十分なのに、サヨナラ勝ちだなんてタダチケットにしてはいいもん見させてもらった。愚息のお初がこんなにエキサイティングな試合だと、野球ファンになったりして。家族全員、とても大満足な一日でした。

息子がもらったファーム選手のサイン
息子がもらったファーム選手のサイン(左は#113古村選手、右は#114佐村選手)
大選手になるかな?

[参考・引用]
[1]【写真特集】巨人、V9の軌跡、毎日新聞jp、2012年10月2日、
http://mainichi.jp/graph/2012/10/02/20121002org00m050003000c/019.html
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[ 2013/07/01 23:22 ] sports/スポーツ | TB(0) | CM(0)

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