空とぶオートバイ-本田宗一郎物語

空とぶオートバイ

先週は“圭佑”の話題で持ち切りだったが、本日は世界のHONDAの本家、本田宗一郎絵本の第2弾『空とぶオートバイ-本田宗一郎物語』(那須田稔・作、阿部 肇・絵、ひくまの出版)の紹介である。本田宗一郎を語る上で、二輪を避けて通る訳にはいくまい。オートバイをメインに扱ったクルマノエホン紹介は今回が初めてだ。クルマ絵本の定義を別に四輪に限定している訳ではないが、バイクに関する絵本や児童書は、自動車ものに比べれば数が少ない。本書は私の所有するその何冊かのうちの一つである。ハーレーが主人公のワイルドな洋書絵本もあるので、これもそのうち紹介しよう。

空とぶオートバイ その2
マン島TTレースでの戦い(『空とぶオートバイ』より)

私はバイク乗りではない。むしろ四輪ドライバーの立場から二輪を結構煙たく思っている。特に小型自動二輪、いわゆる原付に対して。朝や夕方の通勤時、渋滞の車列の間を縦横無尽に走り抜ける二輪車。通れやしねえだろうと思うような狭い路側帯を車体スレスレにすり抜けていくスクーター。並走する、あるいは停止している車両の間を高速で通り抜けていくバイクの隊列。右へ左へと車線を目まぐるしく変更しながら、四輪の間をすり抜けていく単車。左右の車が急に車線変更したらと思うとぞっとする。私も原付でドアミラーに当て逃げされたり、自車や他車とバイクがぶつかりそうになった場面にヒヤリとした経験が幾度とある。相対的に車幅が狭い二輪車は死角に入りやすいし、その上速度もかなり速いので、彼らの認知には非常に気を使う。多分自動車の運転者のほとんどが経験していることだと思うが、その度に、ホンダやスズキは余計な乗り物を作りやがって!と思うのである。両方に乗る方はどのように感じているのだろう。四輪の立場も十分わかっていると思うのだが。こういう運転をするバイク乗りは、四輪に乗らない人達なのだろうか。

「大脱走」の名シーン
『大脱走』の名シーン:McQeenとTRIUMPH

嫌っているといっても二輪の魅力は多少なりともわかるつもりだ。私だって子供の頃はオートバイに感化された口である。最初の洗礼を受けたのは、小3のときにテレビで観た映画『大脱走』。脱走シーンでドイツ軍から奪ったバイクで逃げるスティーヴ・マックイーン。彼の操るトライアンフ(※1)の見事なハンドル捌きに見とれてしまった。有名な鉄条網をバイクでジャンプする圧巻のシーンは、映画の楽しさを初めて覚えた瞬間であった。それ以来マックイーンのファンだ。

(※1)独軍車両のはずだが何故英国製バイク?そこはそれ米国映画ですから。

ワイルド7
ワイルド7:望月三起也の絵がカッケー
出典:http://yaplog.jp/yapcinemage/archive/842

ちょうど同じ頃、少年キングに連載されていた『ワイルド7』という漫画が、テレビで実写化された。悪人からスカウトした「バイクに乗った七人のアウトロー警察官」が、超法規的存在として悪人を問答無用で裁くアクションドラマである。最近映画化もされたので若い人もご存じだと思うが、小学生ながら私はこの漫画とドラマに嵌(はま)った。“♭なにか ありそーな ワイルドセブン♪”懐かしー。主人公飛葉大陸が乗るのはHONDA CB750FOUR(TV実写版はスポンサーの関係でスズキGT750)[1][2]。あの頃多くの若者が憧れた“ナナハン”である。当時はかっこいいナナハンの絵をよく描いていた。

学生時代は熊本に住んでいたが、熊本にはホンダ二輪の生産拠点、本田技研熊本製作所がある。またその頃の80年代後半は第二次バイクブームの真っただ中。そんな地域性、時代性もあって、機械好きが集まる工学部のクラスメイト達は、かなりの割合で単車を所有していたと思う。限定解除(※2)に受かったヤツも結構いた。にも関わらず、私は二輪免許(中型)を取らなかった。そもそもバイクを買う金がなかったが、親父がバイクを乗ることに厳しかったことが大きい。ガキの頃からほとんどああせい、こうせいと言わない父だったが、何故か「バイクにだけは絶対に乗るな」と言われ続けていた。大学生なので、乗るか乗らないかは自分の意志に従えばよいのだが、当時はそれほどバイクに興味がなかったこともあって父の教えを素直に聞いていた(バイトの関係で原チャリに乗ることはあったけれど)。ドライバーを保護するものがヘルメット以外何もない二輪車は、ほとんど死と隣り合わせのリスクの高い乗り物である。事実四輪以上に事故の犠牲になる確率は高い([3]によれば二輪車の死亡率は自動車の19.7倍!)。クルマに乗ると少々アグレッシブになることもある小生なので、もしバイク乗りになっていたら寿命を縮めていたかもしれない。

(※)当時の単車免許は普通自動二輪車の1本だけだった。四輪免許で運転できる50cc超125cc以下の免許を「小型」、125cc超400cc以下の免許を「中型」として区別していた。従ってナナハンのような大型排気量のバイクに乗る場合、試験場での技能試験か小型限定および中型限定を解く限定解除審査に合格しなければならなかった。これら試験の合格率は非常に低かったので、排気量400cc超えの単車に乗ることはライダーの憧れだった。現在は大型自動二輪免許も普通自動二輪免許と独立して存在し、教習所でも教えるし1000cc超えのバイクも普通に走るようになった[4][5]。

HONDA CB750FOUR
HONDA CB750FOUR:小学生のころ、このタミヤのキットが欲しかった

それでも友人のバイクの後ろに乗せてもらった時などは、「風を切りながら走るバイクって気持ちいいなあ」と思ったこともある。先日、愛車の故障で部品の交換をお願いした際、代車に日産クリッパー(三菱ミニキャブのOEM)を借用した。エクストレイルに比べれば小型商用車ならではのチープな乗り心地であったが、エンジン床下の影響で尻下からダイレクトに響くエンジン音と振動が意外なほど楽しかった。エンジン(マシン)を肌身に感じる感覚は、人馬一体ならぬ人車一体感。この感覚こそバイクで味わえる醍醐味ではないかと感じたのである。五十路を過ぎた今になって、二輪の免許を取っておけばよかったと後悔している。

空とぶオートバイ その1
金魚事件(「空とぶオートバイ」より)

前置きが非常に長くなってしまったが、本書は宗一郎の幼少時代から、マン島TTレースで優勝するまでの彼の人生の前半部分を描いた児童向けの伝記である。内容は一般によく知られるエピソードの数々だが、児童書なので本田宗一郎のわんぱくで好奇心旺盛だった子供の頃の武勇伝などが多く語られる。特に金魚のエピソードはいろいろと考えさせられた。彼は尋常小学校の校長室で飼われていた金魚を見て「赤いのばかりじゃ、つまらん」と、青や黄、紫のエナメルで色を塗って、校長に大目玉を食らった。校長は「自分が悪いことをしたと思うまで、このひげを拭いてはいかん」と宗一郎の鼻の下に黒々と八の字を書いた。「何も悪いことなんかせん。」とひげを拭こうともせずうそぶく宗一郎。この頃から頑固一徹だったようだ。ところがその日の放課後に金魚はみな死んでしまう。魚は皮膚呼吸も行っていて、このように体表面を染料で塗られたことで呼吸困難を起こしてしまったのだ。宗一郎は校長先生の手から死んだ金魚を受け取ると走り出し、小さな石塔の前に金魚を埋めて、おいおいと泣き続けた。自分の好奇心が小さな金魚の命を奪ったことに気付いたのだった。背中に暖かい手を感じて振り向くと、校長先生が「ようし、宗一郎、ひげをとってもよろしい。」とほほ笑んだ。粋な先生だねえ。愚息の小学校の校長に欲しいくらいだ。後半は作者の創作かもしれないが、常識に囚われない子供時代の豊かな感性をそのまま持ち続けたのが本田宗一郎という男だったのだろう。

逆境をバネにする宗一郎
逆境をバネにする宗一郎(「F・1おやじ」より)

また彼が最初に働いた自動車修理会社、アート商会でのこと。関東大震災のときに工場からクルマを避難させるために初めて彼は自動車を運転した(当時宗一郎は17歳)。会社は震災で焼失してしまうのだが、茫然自失の社長と同僚をよそに、かろうじて残ったサイドカー付きのオートバイに被災者を乗せて料金を取り、そのお金で食料調達などのために都内を走りまわった。この震災を契機に、アート商会はタダ同然で買い込んだ焼けた自動車の修理をして売ることで再建を果たす。この経験が、その後どんな自動車でも修理できるという彼の自信になったようだ。当時から逆境で逞しさを見せるこのような逸話に、常に諦めずポジティブ思考で、その後何度も訪れたホンダの危機から会社を立ち直らせた、宗一郎や彼のDNAを受け継いだホンダマンのしぶとさの源泉が垣間見られる。那須田稔氏の筆は、伝記にありがちな堅苦しいものではなく、我々大人にも何かがスーッと心に届くような非常に素直で良い文章だ。

那須田稔
那須田稔[7]

児童文学作家の那須田稔氏は、昭和6年(1931)浜松市生まれ。満州で成長する。東洋大学国文科を経て愛知大学中国文学科中退。‘62年『ぼくらの出航』に中国大陸での異民族の少年少女との交流を描く。‘65年には同じテーマを追求した『シラカバと少女』で日本児童文学者協会賞、サンケイ児童出版文化賞、『おとぎばなしシリーズ』で毎日出版文化賞を受賞。’53年郷里の静岡県浜松市に本書の出版元である「ひくまの出版」を創業。現在同出版社顧問。妻敏子、次男那須田淳も児童文学作家である。ひくまの出版はモンゴルとの交流も深く、本書はモンゴルでも翻訳出版されている[7][8]。

空とぶオートバイ その3
迫力ある挿絵(「空とぶオートバイ」より)

阿部 肇氏の描く挿絵もいいね。上図はこのままマン島TTレースのポスターにでも使えそうな素敵な作品。阿部氏は1951年群馬県館林市出身。邑楽郡邑楽町在住。新聞社のデザイナー・イラストレーターを経て絵本作家に。型にはまらず、ファンタジックな作風のなかに、家族愛をテーマに描いている。‘94年から関東学園短大講師、’96年から大泉福祉専門学校講師を勤め、現在に至る。主作品に絵本『ぼくのひこうき』ポプラ社)、『かげろう』『ひつじがいっぴき』『はるがきた』(以上講談社)、『まぼろしの4番バッター』『ぼくは野鳥のレインジャーだ』(以上ひくまの出版)、『スーパーキューピーSOS』『くすくす森のなかまたち全5巻』(以上くもん出版)がNHKより放映され、以後海外5カ国で放映される。その他『ちいさいターちゃん全5巻』(ポプラ社)、『あしたへキックオフ』(文研出版)など挿し絵も含め約150冊余の著作がある[9]。

絵もよし文もよし。本田宗一郎の伝記に相応しい質の高い良書だ。愚息は『学習まんが人物館 本田宗一郎 世界一速い車を作った男』の方を読んで面白いと言っていたが、是非こちらも読ませてみようと思う。次回は本書での後半の主題でもある、本田宗一郎とオートバイの歴史について触れてみる。

[参考・引用]
[1]ワイルド7、Wikipedia、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%897
[2]Wild7 World on WEB、
http://movie.geocities.jp/wild7_world_web/index.html
[3]脱スピード社会 まちと生命を守るソフトカー戦略、小栗幸夫、p92-93、清文社
[4]限定解除審査、Wikipedia、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%90%E5%AE%9A%E8%A7%A3%E9%99%A4%E5%AF%A9%E6%9F%BB
[5]大型自動二輪、Wikipedia、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%9E%8B%E8%87%AA%E5%8B%95%E4%BA%8C%E8%BC%AA%E8%BB%8A
[6]那須田稔、Wikipedia、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%82%A3%E9%A0%88%E7%94%B0%E7%A8%94
[7]地域の人々との出会いから生まれた児童書が、小さな地方出版社を世界に羽ばたかせた。那須田稔、さくや姫プロジェクト、
http://sakuyahime.jp/archives/sakuyaindividual/%E9%82%A3%E9%A0%88%E7%94%B0%E7%A8%94%EF%BC%88%E3%81%AA%E3%81%99%E3%81%A0%E3%83%BB%E3%81%BF%E3%81%AE%E3%82%8B%EF%BC%89
[8]第6章「独創に生きる」 いつも少年のまなざし、西山台に立つ 浜松西高青春群像、
http://www3.shizushin.com/anniversary/hamanishi/hamanisi51.html
[9]こどものよみもの原画展「みんなおいでよ 絵本のくにへ」、群馬県立土屋文明記念文学館、
http://www.bungaku.pref.gunma.jp/event2000/tokubetu12.html


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