ホンダイノベーションの神髄

今月の14日、リチウムイオン電池の発火トラブルで1月から運行停止状態だったボーイング787の納入が再開された。これを受けてトラブルの当事者である全日空と日本航空でも明日1日からB787の営業運行が再開される[1]。

焼け焦げたB787のバッテリー
焼け焦げたB787のバッテリー[2]

私がこの判断を解せないのは、バッテリー熱暴走の原因が未だ特定されていない中での再開という点だ。私も製造業の研究開発部門で働くエンジニアの端くれ、エンジニアリングの常識として、真の原因がわからない事象に根本的な対策は打てない。対策の評価もできない。それなのに製品のトラブル、特に人命に係わる不具合の原因解明を放置したまま製品を市場に出すなど技術倫理としてあり得ないのである。[3]によれば、事業者側は洗い出された推定原因の全てに対して対策をとるとしている。洗い出されなかった原因が存在した場合はどうするのだろうか。想定しえなかった事態が発生しても封じ込める対策を講じていると説明するが、想定しえない事態がどうやって封じ込められるのだろうか。そんな運航再開に向けて訓練飛行中の全日空のB787で4日、電気系統の配電盤の一部が熱で損傷するトラブルも起きている。改修したバッテリーシステムとは無関係だと説明しているのだが…[1]。再開を急ぐ理由はただ一つ、単純に商益優先である。巨額の開発費を投じた新鋭機の営業がこのまま再開されないと、製造元であるボーイング、さらには納入先の航空会社の収益が悪化する。米連邦航空局(FAA)と国交省、あるいはもっと上層部の政治的判断があったのだろう。このニュースを聞いて、読了したばかりの『ホンダ イノベーションの神髄』(小林三郎・著、日経BP社)という本の中で語られているホンダ・エアバッグの設計思想との違いが大変興味深かった。

小林三郎
小林三郎

著者の小林三郎氏は元ホンダのエンジニアで、日本初のエアバッグの研究開発・量産・市販に携わった人物。その後同社の経営企画部長を経て、現在中央大学大学院戦略経営研究科の客員教授をされている。彼は助手席エアバッグの商品化を目指していた際、大きな課題に直面した。

開発中止の危機を何度も乗り越えながら16年間に及ぶ研究開発が実り、日本初の運転席エアバッグシステムが日本・北米向け「レジェンド」にオプション設定されたのが1987年。高い価格設定にも関わらず圧倒的な支持を受け、発売から1年で標準装備となり、今や自動車には当たり前となったこのシステムの事実上のデファクトスタンダードとなった。さらに1990年秋に発売予定の2代目「レジェンド」の助手席エアバッグがオプション装備として搭載が決定した。著者は’88年から搭載の検討を始めたが、助手席エアバッグの搭載を全く考慮していないインストパネルの金型の設計発注が既に進んでいたのである。しかし対応策がない訳ではない。インパネの助手席側に付いているグローブボックスのスペースを活用する手段である。ところがここに大きな問題が生じた。

助手席エアバッグの2つの設置方式
助手席エアバッグの2つの設置方式(「ホンダイノベーションの神髄」より)

助手席エアバッグの搭載方法としては2つの方式が考えられる。上記のグローブボックスを活用する「下部設置方式」と、インパネの上部に設置する「トップダッシュ・マウント」方式である。ところが「下部設置方式」には重大な欠陥があることがわかった。エアバッグの効果が得られるのは、座席にきちんと座ってシートベルトをしている場合である。例えば助手席で小さな子供が座席に座らずに立ち上がっている状態でエアバッグが展開した場合、下方から飛び出したエアバッグが乗員の重心に直撃し、後席にまで跳ね飛ばしてしまうことで乗員に致命傷を負わせる可能性があったのだ。エアバッグが上方の空間を通過する「トップダッシュ・マウント」方式であれば最悪な事態には至らない。現在ではシートベルトやエアバッグに対する啓蒙や理解が進んで、助手席で子供が立ち上がる状況は少ないが、それでも走行中に親が平気で子供を立たせているケースを未だに見ることがある。ましてや安全に対する意識の低かった20数年前では、このようなケースがかなりあった。著者は「三現主義」に基づき、助手席に立っている子供の割合を実地調査している。

「子供を死なせない」ためには「トップダッシュ・マウント」方式が技術的には合理的である。しかしインパネの金型変更には当時で4億円という莫大な費用がかかることがわかった。ギリギリのコスト削減に苦労している開発や営業の上層部が、簡単に「わかりました」という訳がない。確かに前回にも紹介したホンダの哲学である「3つの喜び」と「人間尊重」に照らし合わせば、倫理上の必要性を皆が理解していたのは当然であるが、倫理的価値と経済的価値のそれぞれの観点から激烈な議論が続いたという。先のB787の事例と違い、致命的な傷害につながる原因は明白だった訳だから、金型を変更せずに済む第三の方策がないのかも徹底的に議論されたと思う。しかし最終的な結論は4億をかけて金型を変更することに決まった。ホンダの企業理念に従えば、清水和夫氏の言うように「安全はコストにあらず。価値であり投資である。」という経営的価値の考えに至ったのだろう。本田宗一郎の有名な言葉『理念・哲学なき行動(技術)は凶器であり、行動(技術)なき理念は無価値である』を“おやじ”の息子たちは実践した。

ボーイング787
ボーイング787

B787の製品コンセプト自体は革新的であり挑戦的なものだと思う。しかしB787関係者の選択した行動は、航空機の安全に対する彼らの理念や哲学に基づいたものだったのだろうか。ボーイングや航空会社の技術者が技術倫理を持ち合わせないとは思わないが、今回の結論を聞く限り彼らが十分な議論や検証を尽くしたとも思えないし、納得もしていないのではないかと思う。少なくとも私はB787には当分乗らないつもりだ。“凶器”にならないことをただただ祈るのみである。

前述した『ホンダイノベーションの神髄』は、技術イノベーションを扱った従来のビジネス書とは趣が異なる。MBA出の学者や経営コンサルタントが頭の中で考えた、あるいは当事者からの調査データをまとめた経営書の類とは違い、実際のイノベーションの現場で揉まれた方の言葉なので具体的であり説得力がある。企業の研究所に身を置く者としては実にしみじみとする読後感。上から下までホンダマンのDNAに刻み込まれた技術や商品に対する執念や使命感のようなものに圧倒された。各章末には「バカヤローな人たち」という著者が腹の立つイノベーションの邪魔になる人についてのコラムが載せてある。多くの技術者が共感できる内容ではないかと思うのだが、理念を捨て商益に走ったFAA、国交省、航空各社のおまえ、バカヤローだ。

新しい価値技術を創造しようとしている人、研究開発に携わる人、特に安全工学に従事される研究者・技術者の方にはおすすめの一冊である。

[参考・引用]
[1]B787運航再開も安全は置き去り…事故原因未特定、訓練飛行中のトラブルも発覚!、Business Journal、2013年5月21日、
http://biz-journal.jp/2013/05/post_2144.html
[2]米運輸安全委、出火した787のバッテリー公開、Tadayuki YOSHIKAWA、Aviation Wire、2013年1月15日、
http://www.aviationwire.jp/archives/14284
[3]バッテリー改修の検討と概要、ボーイング787型機ANAからのお知らせ、ANA SKY WEB、
http://www.ana.co.jp/share/boeing787info/#cnt03

ホンダ イノベーションの神髄――独創的な製品はこうつくるホンダ イノベーションの神髄――独創的な製品はこうつくる
(2012/07/26)
小林 三郎(元・ホンダ経営企画部長)

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