MERCEDES-BENZ GRAND PRIX CARS 1934-1955

前回のクルマ絵本“THE RACECAR ALPHABET”の表紙に描かれていたメルセデス・ベンツ戦前のシルバー・アロー(※1)、1938年W154をもう少し調べてみたくて「MERCEDES-BENZ GRAND PRIX CARS 1934-1955」(菅原留意・著・作図、二玄社)という中古本を手に入れた。200ページを超える豪華本で、メルセデス・ベンツの1934年から55年までのGPレーシングカーを詳しく紹介した貴重な資料である。絵本に描かれたレースナンバー26のドライバーが忠実に再現されていることもわかった。著者自身が『技術やメカニズムを語る専門書ではなく、(著者自らが描いた)外観側面図や写真を眺め、記事を読んで楽しむ趣味の本、大人の絵本』と評している。

1938年W154にも1章を割いて解説している。本書によれば、著者・菅原留意氏は少年時代より陸海空の乗り物マニアだった。戦後の1956年前後に社会人になった頃、今回の主人公1938年W154の模型制作を友人に頼まれて、必要からその図面を描いた。このとき描いた図面が、少年時代に強烈に刷り込まれたメルセデス・ベンツGPレーシングカーだったので、それへの興味が再び目覚める。考証から図面作成を他のメルセデスGPレーシングカー全てでやってみようと思ったのが、本書誕生のきっかけであったのだそうだ。

1938年M154 by 菅原留意
1938年M154:ドイツGPに優勝した7号車(菅原留意・画、「MERCEDES-BENZ GRAND PRIX CARS 1934-1955」より)

今のようにインターネットで世界中から資料やデータが容易に探せる時代でもない。情報収集には限られた輸入洋書に頼るしかなく、図面入手など論外であった。こうして集めた資料から側面図を描き溜めていった。側面図を描いたのは、航空機の書籍では良く見られる試作から改造を重ねた過程を、側面図を並べることで、その外観変化を説明するという手法に習ったものである。乗り物マニアであった氏らしい着想である。こうして描かれた側面外観図は図面を基に起こしたものではないので、正確なのはホイールベース長とタイヤ径のみ(タイヤのトレッドパターン、ワイヤースポークの数などは実車と同じ)、後は全て写真の観察によって描かれたものだという。氏が「大人の絵本」という所以なのだが、この図版が素晴らしい。線の太さや陰影などで、図面とは異なる立体的表現法を用いているのがまた味わい深い。

この作成資料が、創刊間もない『CARグラフィック』の小林彰太郎氏、「じどうしゃ博物館」でも紹介した高島鎮雄氏の目に留まり、誌上での連載を慫慂(しょうよう)され、昭和38年(1963)から不定期連載が始まった。10年をかけて一応の完結を見たと同時に単行本化の話もあったそうなのだが、この時は見送られた。さらに20年近く経って出版の話が再燃、メルセデス・ベンツ日本の協力も得て、話は具体化する。その後、リライトや新資料・新事実による加筆も加えて、1997年にようやく出版されたのが本書である。

驚くべきは、著者が自動車のジャーナリストでも画家でもなく、全くのプライベート活動として本書を上梓されたことだ。しかも、彼は関東自動車工業㈱の技術系役員も歴任された業務繁多の中でである。こんな駄文ブログごときでクルマ絵本の世界を語るなど彼のワークスに比べれば足元にも及ばない。本書を書き上げた取材プロセス、内容の詳細さ、完璧さに小生は感服した。趣味としてやるにせよ、ここまで徹底的に楽しみたいものだ。

1938 W154 FRONT
鯰のような独特のフロントフェース、1938年W154[1]

さて1938年W154とはどういうクルマだったのか本書を中心に勉強してみよう。1938年W154の誕生経緯についてはモーターレースの国際機関AIACR(Association Internationale des Automobile Clubs Reconnus:国際自動車連盟FIAの前身、国際自動車公認クラブ協会)が定めるGPレースカーのフォーミュラ(規定)の変更が深く関係している。1934年から適用された750kgフォーミュラ(※2)によるGPレースは1936年で終わり1937年から新フォーミュラで実施されることになっていた。このフォーミュラの重要な部分は、最大排気量を過給機付(スーパーチャージャー)エンジンで3L、自然吸気のエンジンで4.5Lとしたことと、エンジンの排気量に応じて最低重量を400kgから850kgまでにしたことである[1]。この規定を750kgフォーミュラに対して3Lフォーミュラと呼ぶ。この変更を見込んで、メルセデス・ベンツは新フォーミュラを満たす新たなレースカーW154の設計試作を1936年初頭から開始していた。技術開発陣のリーダーは、マックス・ヴァグナーとルドルフ・ルドルフ・ウーレンハウト(※3)。しかし、新フォーミュラの細則が最終的に決定したのが1936年9月。これでは’37年シーズンには間に合わないということで750kgフォーミュラが急遽1年延長されることになった。だからW154が登場するのは1938年シーズンからなのだ。

1938年M154エンジン
1938年W154のM154エンジン(V12)、中心線からやや傾いているのがわかる[2]

この750kgフォーミュラ延長に伴う計画変更でエンジンを5.66Lに載せ替えたのが、750kgフォーミュラの最高傑作と言われるW125である。W154の開発は1937年3月から実働し、このW125のサスペンションやシャシー構成を踏襲した。排気量が制限される新フォーミュラでは馬力減になるのは明白なので、空気抵抗が大きいオープン・ボディのGPカーでは不利になる。M154エンジンはバンク角60°のV型12気筒で車高は約730mmに抑えた。エンジンを車体中心線よりやや傾けて配置、プロペラシャフトを左にずらして、ドライバーをその右側に着座させることで、シートをほとんどボディ下面にまで下げることができた。このことにより車体の前面投影面積を減らして空気抵抗を抑えるとともに、重心位置を下げることにも成功した。ホイールベースもW125より50mm短い2,730mmとし、コンパクト・軽量化を図った。また、このW154でメルセデス・ベンツ・レーシングカーが初めて5速の変速機を持つことになる。

W125
W125(「MERCEDES-BENZ GRAND PRIX CARS 1934-1955」より)

1938年1月に、M154エンジンの最初の試作機がテストベンチで試運転を行った。このときのエンジン性能は8000rpm で出力427hp(314kW)[1]。1938年シーズンの初戦は4月10日の南仏ポーGP。W154は加速も速度も圧倒的に優れていたが、過給器無し自然吸気4.5Lエンジンのドライエ(フランスの自動車メーカー)に優勝をさらわれてしまった。致命的な弱点はリッター1kmというその燃費の悪さであった。

saddle tank
サドルタンク:確かに目の前に燃料タンクを抱えて高速走行するのは恐ろしい[引用元]

燃料の補給回数を減らすには、ガソリンタンクの容量を増やすしかない。そのためにタンクの一部を運転席前方に置いたものの、大部分はボディ後方に配置。W154の特徴であるロングテールのボディ形状になっているのはこの結果による。しかし、この配置では燃料の消費によって前後輪荷重が極端に変わるので走行安定性能に悪影響を及ぼす。このため、前後に複動式の油圧ダンパーを備え、その効き目を走行中にコックピットからも調整できるようにした[2]。最も大胆な改造は、運転席前の“サドルタンク”と呼ばれるタンクの容量を大幅に増量したことで燃料消費に伴う前後輪荷重の変動を図ったことだ。ボディ後方のタンク容量も若干増えたものの、オイルタンクをエンジンルームに移すことでロングテールは大幅に短縮された。“サドルタンク”は「運転席前方の上部と側部をトンネルのように囲み、その外側がボディ外板を兼ねる構造」を取る。つまりドライバーの脚部周囲を燃料タンクが取り囲み、左右には前後方タンクを繋ぐ太いパイプが配置された、いわば燃料の中に身を置く状態で、安全性の面からもドライバーには不評だったようだ。

Rudolf Caraciola
Rudolf Caraciola[4]

上記も含めたレーシングカーの改良を重ねることで、メルセデスチームのドライバー、ドイツ人のルドルフ・カラチオラ(Caracciola)、ヘルマン・ラング(Lang)、マンフレート・フォン・ブラウヒッチュ(von Brauchitsch)、唯一のイギリス人ディック・シーマン(Seaman)は数々の戦歴を残した[3]。シーズン終盤には、468hp(344kW)を超える性能を出していて、ランスで行われたフランスGPでは、474hp(349kW)の最強マシンに乗ったラングが、Champagneサーキットの直線路を283km/hで駆け抜けた。3Lフォーミュラで最高速度を抑えようとしたAIACRの目論見は失敗に終わった[1]。シーズンを終わり、W154は参加9レースで優勝6回、2位6回、3位5回。エースドライバーのカラチオラは、1938年のヨーロッパチャンピオンのタイトルも勝ち取った(彼は1935、37、38と3度欧州チャンプになった名ドライバーなのだ)[4][5]。

1938年M154改良の変遷
(上)7月3日にランスで行われたフランスGPで優勝した4号車。ドライバーはブラウヒッチュ。このレース以後、各GPで活躍した1938年W154のほとんどはこれと同型、標準型といってもよい。レースナンバー26は“THE RACECAR ALPHABET”の表紙に描かれたものと同じ。高速でピット前を通過する各ドライバーを素早く認識するために、カラチオラが白か無地、ブラウヒッチュが赤、ラングが青、シーマンが緑のレースキャップを被ることになっていたそうだが、この挿絵のドライバーは赤いレースキャップ。ブラウヒッチュの4号車で間違いなさそうである。
(中)7月24日開催のドイツGPに先立ち、同じニュルブリクリングのサーキットでテスト走行した14号車。“サドルタンクの大改造”により、標準型に対してショートテールになっている。ドイツGP本戦には出走せず。
(下)8月17日イタリアのコッパ・チアノのレースに参戦した14号車。ドライバーはカラチオラ。優勝は標準型に乗ったラング。
(以上図版は「MERCEDES-BENZ GRAND PRIX CARS 1934-1955」より)

本書によれば、1938~39年に製作されたW154は14台とも15台とも言われている。1939年型W154は1938年W154を改造したボディスタイルが全く違うクルマなので、現存する1938年W154は資料上1台も残っていないらしい。現在ミュンヘン国立博物館にあるW154は、レストアの際に1938年ボディを選定しているので、ここでのみ1938年W154の貴重な姿カタチを見られるとのこと。

菅原留意
菅原留意

著者・菅原氏は1924年生まれ。早稲田大学理工学部機械工学科卒業後、関東自動車工業㈱に入社。以後一貫して企画開発業務に従事。トヨペット・スーパー、マスター他トヨタ創世期の乗用車ボディの多くを手掛けた。初代マークⅡワゴン開発完了を機に、モーターボートやヨットの開発に転身。同社退任後はチルトウィング式垂直離着陸機(VTOL)開発もマネジメントされた。少年時代の夢であった陸海空の乗り物全ての開発に携われることのできた幸運の人である。趣味は模型製作も含め多趣味、ヨットマンとしても著名であった。著書に『ステーションワゴンの世界』『X car of the ‘80s』などがある。既に故人となられているようだ。

関東自動車工業といえばもともと横須賀市に本社のあったトヨタ系自動車会社で、セントラル自動車とトヨタ自動車東北を吸収し、現在は「トヨタ自動車東日本株式会社」になっている[6]。現トヨタ自動車東日本㈱の横須賀事業所である旧本社社屋は私の自宅から車で5~10分くらいの所にある。菅原氏は実はご近所に住んでおられたのかもしれないのだ。同じ横須賀、エンジニアつながりということで、僭越ながら菅原氏を心の師と仰ぎ、私のクルマ絵本蒐集癖も日本のクルマ文化発展にわずかでも貢献できるよう精進したいと思う。資料本のつもりで購入した本書は、小生の趣味世界に大きな影響を与えてくれそうなクルマノエホンの一冊となった。

(※1)W154もそうであるが、何故メルセデスの銀色のスポーツカーが「シルバーアロー」と呼ばれるのか今回調べてみるまで知らなかった。750kgフォーミュラ(※2参照)であった1934年のニュルブルクリンクでのドイツGPで、メルセデスチームのレースカーが車両重量規定をわずか1kg超過してしまった。チームは苦肉の策として、ボディーの純白の塗装をすべて剥がし、アルミ剥き出しの車体に直接ゼッケンを貼り付けて参戦する。そして、この車が優勝した。以後、モータースポーツにおけるドイツのナショナルカラーも白から銀色になったのだそうだ[7][8]。
(※2)燃料、オイル、水、タイヤ無しでマシン総重量750kg以下というのが主な規定。このことから750kgフォーミュラと呼ばれた。この規定を決定したAIACRの狙いは、GPレースの最高速度が上昇してきたことによる安全性確保の観点から、当時の大型スポーツカーの約半分の重量750kgにすることで、排気量を2.5L以下に抑えられると考えたのである。
(※3)ルドルフ・ウーレンハウト(Rudolf Uhlenhaut)は、「レーサーよりも速く走ることができる」とまで言われた伝説の天才エンジニア[9]。


Rudolf Uhlenhaut
Rudolf Uhlenhaut[12]

[参考・引用]
[1]1938 Mercedes-Benz W154、Supercars.net、
http://www.supercars.net/cars/2069.html
[2] CAR GRAPHIC選書メルセデス・ベンツ、小林彰太郎・編、p418-419、二玄社、1992
[3]メルセデスAMG、Wikipedia、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%82%BB%E3%83%87%E3%82%B9AMG
[4]Rudolf Caraciola、Racing Nostalgie、
http://racing53.at.webry.info/200609/article_10.html
[5]ルドルフ・カラツィオラ、Wikipedia、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%84%E3%82%A3%E3%82%AA%E3%83%A9
[6]関東自動車工業、Wikipedia、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E6%9D%B1%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%BB%8A%E5%B7%A5%E6%A5%AD
[7]メルセデス・ベンツ、Wikipedia、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%82%BB%E3%83%87%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%84
[8]シルバー・アロー席巻す、河内コレクション、
http://kawachi.hobby-web.net/mercedes/silver_arrow.html
[9]メルセデス・ベンツ 300SEL 6.3、ボクらの憧れの名車~VintageEDGE、CarSensorEDGE.net、2011年9月27日、
http://magazine.carsensor-edge.net/vintageedge/category_775/_8373.html
[10]Mercedes-Benz W154、Wikipedia、
http://en.wikipedia.org/wiki/Mercedes-Benz_W154
[11]Mercedes W154、Grand Prix History、DENNIS DAVID & FAMILY
http://www.grandprixhistory.org/merc154.htm
[12]Rudolf Uhlenhaut、MercedesClass.net、
http://www.mercedesclass.net/heritage/founders-and-people/rudolf-uhlenhaut/
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コメント

  1. またまた面白い情報をありがとうございます。
    パブリカスポーツ企画展・図録にも菅原さんは出てきます。
    簡単な略歴紹介程度ですが、若き日の菅原さんの写真も。
    しかしこのような本の存在は知りませんでした。いい絵ですね〜。
    それにしてもpapayoyoさんはいろいろ深く調べていますね〜。
    クルマ関係の本、どれくらい所有されているんですか?
    小さな図書館・博物館並みなんじゃないか?とそこにも興味津々です。

    ( 10:17 )

  2. papayoyo | -

    Re: タイトルなし

    図面から起こした絵でないところが、菅原さんのスゴイところです。
    絵本から数珠つなぎのように興味が広がってしまって。
    クルマの絵本は最近数えていないですが、300-400冊はあるでしょうか。
    あと資料としてクルマ関連書籍も最近増えています。
    本は場所をとりますからねえ。庶民の住宅事情ではなかなか片付きません。
    スロットカーでも遊べるクルマ絵本の図書館、夢ですねえ。BOOOON!CITYも並べて…。
    宝くじ、当たりたいです。

    ( 20:59 )

  3. クルマに特化しての300〜400冊は、すごいですねーー!!
    papayoyoさんのブログや例のトラクター・ブログにも刺激を受けて
    「マニアックだからな〜」と遠慮していたHOスロットカー・ネタも
    ブログでももっと出していこうという気になりました(笑)

    菅原さんの書籍、自分は知らなかったんですが
    トヨタ博物館の担当さんに話したら、やはり当然知っていましたね。
    生前の菅原さんとも面識もあったようですし、大のベンツ好きだった菅原さんの
    ミニカーやら書籍やらいろんなものをご家族が保管されているそうです。

    ( 21:40 )

  4. Re: タイトルなし

    アソラボは今でもけっこうマニアックだと思いますが(笑)
    お二方の遊び心はいつも非常に勉強になります。
    マニアックって、結局遊び心なんですよね。
    菅原さんも相当な趣味人だったようです。
    私はトヨタ車はあまり好きではないのですが(汗)、
    トヨタ博物館のようなアーカイブをきちんと作られるトヨタの企業姿勢は非常に評価しています。
    まだ行ったことないのですが、是非そのうち足を運びたいと思っています。
    日本自動車殿堂者にもなった五十嵐平達氏の蒐集物を集めた「五十嵐文庫」を見たいのです。
    この方もスゴイ人ですよ。
    http://ehonkuruma.blog59.fc2.com/blog-entry-52.html

    ( 22:32 )

  5. 自分もトヨタ車乗っていないです。親はトヨタ車を乗り継いでいたので、それを乗り回したりしていましたが、自分で買う車は他社ばかり。
    そんな話しを正直にトヨタ博物館の担当さんに話したら、自分と同じクルマを乗っていたりしました(笑)

    自分はここ数年、仕事で関わっていますが、それ以前から関わっている方達は五十嵐さんや小林さんと仕事をしていて、直接いろいろなことを教わったそうです。

    ( 11:36 )

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