殺人ドライバー

事故を起こす人間は、何度も事故を起こす。そのようなドライバーが野放しになっている。これは『殺人ドライバー くるま社会ニッポンのタブー』(沼沢章・著、WAVE出版)というノンフィクション本のテーマである。

先月京都府亀岡市で発生した集団登校の列に軽乗用車が突っ込み、児童ら10人が死傷した事故に対し、京都地検は、運転していた加害者少年(もう18歳を“少年”と呼ぶのはやめにしよう)について、危険運転致死傷罪の適用を断念し、自動車運転過失致死傷などの非行内容で家裁送致する方針を固めたとのニュースが報道された[1]。被害者(家族)も含め、私や一般市民の多くは、この不条理な判断に対して納得しがたいと思ったことだろう。誰のための法律?もし私の妻、子供たちが同じ被害を被り、法が厳格に裁いてくれないのであれば・・・。ふと映画「狼よさらば」が頭の隅をよぎり、あらぬ想像すらしてしまった。

危険運転致死傷罪は、①飲酒・アルコール、②制御困難な高速度、③未熟な運転技能、④あおり、割り込み、⑤信号無視、の5要件のうち一つでも該当する場合に適用されるそうだ。今回の主な争点は③であろう。加害者は無免許運転、しかもその常習者であったにも関わらず運転の技能を満たしていると判断された。長時間運転したことが逆に、技能が「未熟」とは言えないことを示すとの解釈らしいが、そんなバカなロジックがあるだろうか。この「無免許でも運転技能がある」という判断は道路交通法自体を反故にしているのではないか。そもそも運転技能を満たすという証明が免許証なのであって、無免許運転者の運転技能を認めるということは、免許制度そのものの否定となる。

もちろんペーパードライバーのように、免許証があっても運転技能の乏しい場合もあるのだが、少なくとも無免許運転は“法律上”運転技能を満たさない状態とはいえないのだろうか。だいたい過失の根拠となった「居眠り運転状態」をどう証明するのだろうか。一方、無免許という事実は明明白白である。加害者は故意に無免許運転を繰り返していた。この重大かつ悪質な違反行為を危険運転と言わずに何と言うのだろう。京都地検の言う法律的解釈が私には全く理解できない。私は法律に関しては門外漢なので、是非どなたか専門の方から私を含めた多くの方の疑問に対する“納得のいく”答えを伺いたいものだ。

一罰百戒、法律は犯罪の抑止力という側面も持つ(轢き逃げの増加など厳罰化は逆効果という意見もある)。今回の事例が危険運転致死傷罪に問われないことになれば、今後恐らく無免許による危険運転が増加するだろう。無免許で人を轢き殺しても、「居眠りしていた」と証言すれば、自動車運転過失致死傷と道路交通法違反(無免許運転)だけで10年も経たぬうちに娑婆に戻れるのだから。今回の判断は「無免許運転は大した罪ではない」という印象を社会に植え付けたという意味でも交通犯罪に対して極めて大きな禍根を残すことになるだろう。

ちなみに無免許運転の罰則は1年以下の懲役又は30万円以下の罰金。警察行政が運転免許というものを軽く考えているようにしか思えない。

[参考・引用]
[1]<亀岡暴走>危険運転致死傷罪の適用断念 京都地検が方針、毎日新聞、2012年5月12日、
http://mainichi.jp/select/news/20120512k0000m040145000c.html
[2]危険運転致死傷罪、Wikipedia、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%B1%E9%99%BA%E9%81%8B%E8%BB%A2%E8%87%B4%E6%AD%BB%E5%82%B7%E7%BD%AA

殺人ドライバー―くるま社会ニッポンのタブー殺人ドライバー―くるま社会ニッポンのタブー
(2001/08)
沼沢 章

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