物理学とは何だろうか(朝永振一郎・著)

今年も早いものでノーベルウィークである。昨年の化学賞に日本人2人が受賞したものだから、今年もと期待するのもわからぬではないがその報道の過熱ぶりは奇異に映る。残念ながら医学・生理学賞も物理学賞も日本人受賞はならなかったが、夕方のニュース報道を聴いていて日本のニュース報道の姿勢を疑ってしまった。

会社帰りの道中、いつものようにナビで民放テレビのニュースを聴いていた。ノーベル物理学賞発表の1時間前から「今年も日本人の受賞が有力視され・・・」と煽りまくっている。まあ私も日本人だから期待していないといえば嘘になるがちょっと騒ぎすぎではと思うほど。そして財団のプレス発表を受けての第一報が「(青色発光ダイオードの実用化で知られる)中村修二さんほか何人かの日本人受賞が有力視されていたノーベル物理学賞ですが、日本人の受賞はありませんでした(了)」えっ、終わり?日本人の受賞はなかったのはわかったけれど、誰がどんな業績で受賞したの?結局、肝心のニュースは報道されることなく番組は終了した。(ラジオのAFNに切り換えて今年は天体物理学の分野で米豪出身者の受賞だということが何とか聴き取れたのだが)

Saul Perlmutter Brian P. Schmidt Adam G. Riess
2011年ノーベル物理学賞受賞者(ノーベル財団ホームページより)

日本人の受賞も大事だろうけど、科学好きの者にとって今年はどんな業績が受賞対象となったかに興味がある。学識のない一般人にとって、普段なかなか接することのできない基礎科学の分野でいったいどのような発見・発明がなされ、我々の生活にどのような影響を与えているのか、年に一度崇高な世界に触れることができるという意味で、ノーベル賞は貴重な機会である。その受賞のニュースに合わせて正しくわかりやすく報道することは、我々大衆に科学の面白さを知ってもらうためのジャーナリズムの重要な使命なのだと思う。それがこの報道のザマである。プレス発表直後なので業績の詳細は無理としても、せめて第一報として最低限の情報は流せるだろう。財団のホームページを見れば、私でも調べられる。ニュース番組として仕事放棄としか思えないお粗末さだ。(Yahoo!ニュースでも22時現在、物理学賞のニュースはUPされていない)

結局彼らにとっては、日本人が受賞するということ以外どうでもよいニュースなのだ。似たようなことは昔の報道にもあった。航空機事故(特に海外)で多数の犠牲者が出たときのニュースキャスターの常套句が「幸いにして日本人の犠牲者はいませんでした」だった。これには批判も多く、以後このような表現はされなくなったが、日本人以外どうでもいいという報道姿勢は今回と全く同じである。

ノーベル賞は誰がもらったかよりも、その業績の本質は何か、我々に何をもたらしたかが重要である。日本人の受賞だけに一喜一憂する日本のジャーナリズムの土壌が変わらぬ限り、理系離れが進むこの国に本当の科学は育たないと思うし、そのジャーナリズムが期待するほど日本人の受賞者は今後も増えないと思う。ノーベル賞報道だけではない。昨今の日本のジャーナリズムは、本当に伝えなくてはならないこと以外を熱心に報道しているようでならない。憂鬱なのは政治だけでない。

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(1979/05/21)
朝永 振一郎

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