Let's Study

Let's Study

少し前のことだが、今月の第一日曜日に久しぶりに原宿へ出かけた。ホント何年ぶりだろう。本日紹介するクルマノエホン「Let's Study」(浅井健一・著、SEXY STONES RECORDS)のリリース記念イベントとして、原宿にあるLAPNET SHIPというアートギャラリーで開催された本書の原画展を見に行くためだった。(販売されていた本書を購入したのは言うまでもない)

JR原宿駅で下りて、あまりの人の多さに圧倒される。目印としていたラフォーレ原宿の記憶も曖昧、ギャラリーも入くねった裏通りに面していたので、グルグル探し回るといった按配で、個性的な若者たちが闊歩する中、徘徊する中年のおっさんの姿は異様に映ったかもしれない。若い時分であれば、他にも面白そうな場所を探し回ったのかもしれないけれど、同潤会アパートの変容も見ることなく、若者の熱気に圧倒されてこの原画展を観ただけで、久々の原宿・青山から即退散、早々に帰宅する。ああいう最先端の街に全くついていけなくなった自分の精神的加齢にショック。小生にはやはり加齢臭のただよう神保町が似合うようである(古本の臭いと加齢臭は同じ成分なんだって)。それでもこの原画展や本書から、何かエネルギーやヒントをもらった気がする。

浅井健一
浅井健一

本書はロックアーティスト、浅井健一氏(Blankey Jet Cityの元ヴォーカリスト&ギタリストで、あのイカ天第25代目キング、6代目グランドイカ天キング)による作品。音楽方面の彼の活動は全く知らなかったけれど、「TED TEX」という大人向けのクルマ絵本作家として既にインプット済み(この絵本については別の機会に紹介しよう)、本書は彼が初めて手がけた子供のための絵本なのだそうだ。

浅井さんは色の魔術師(「Let's Study」より)
浅井さんは色の魔術師(「Let's Study」より)

主人公の少年の名はルーリー。シャーベットストリートに住むミニカーが大好きな小学生。でも最近はミニカーで遊ばなくなった(小2のうちの愚息は、まだミニカーで遊んでいる)。そんなある晩、彼はお父さんに尋ねた。「僕の持っているミニカーはかっこいいのに、どうして街にはかっこいい車が一台も走っていないの?」父さんは答えた。「昔はかっこいい車もたくさんあったんだけど。それじゃお前がかっこいいと思う車を紙に描いてごらん。」 

数日後、ルーリーは自分が描いた車の絵を父さんに見せた。世界中どこにもないヘッドライトを持つ車。猫をモチーフにしたホットロッド系の車。2階建ての車。大きな冷蔵庫の付いた車。子どもの創造力は豊かだ。ルーリーの絵に関心したお父さんは言った。「今度はこの車たちを、自分の手で造ってごらん。」やる気満々のルーリーだったが、いざ造ろうと思うと何をどうすればいいのかわからない。「車って何でできてるんだっけ?」そこで父さんは、知ること、学ぶことの大切さを彼に話し聞かせるのであった。

世界中どこにもないヘッドライトを持つ車(「Let's Study」より)
世界中どこにもないヘッドライトを持つ車(「Let's Study」より)

ルーリー少年が言うように「かっこいい」クルマが少なくなったと私も思う。何をもってCOOLかは個々人の趣味・価値感によって違うから、「個性的な」クルマと言い換えてもいいかもしれない。あれだけ個性豊かなおシャレさんたちが行き来する原宿のように、今公道を走っているクルマがどれほど”自分らしさ”に気を遣っているだろうか。スタイルはどの車も似たり寄ったり、カラーも白、黒、グレーとサラリーマンの服装のようで、見ていても楽しくないしつまらない。とは言っても、クルマのカタチや色を簡単には変えられない。法規上、経済上のハードルも高い。自分色にカスタマイズして楽しめる服や靴、アクセサリーやケータイのようなお手軽さがないから、金のない若者がクルマから離れていくのも当然か。

カッコいい?トヨタプリウスと日産リーフ
カッコいい?トヨタプリウスと日産リーフ

個性的と言っても造形的な「美しさ」はかっこよさの必要条件だろう。「個性的だね」は褒め言葉でないことが往々にあるからだ。林檎教の信者ではないけれど、Macintoshのパソコンは、他のメーカーのPCと比べて明らかにそれと分かるデザインだし美しい。ゆえにMac=COOLなのだと思う。時代の最先端を行くハイブリット車、電気自動車の雄、トヨタ・プリウスと日産・リーフ。個人的な感想をいうと、「個性的」かもしれないけれど、少なくとも「美しい」とは感じない。だから、私にとってこの2台は全然かっこよくない。もちろん、いずれもたいへん優秀なデザイナーが最先端の流行を取り入れて引いた線なのだろうが、彼らは本当に自分自身がIt’s so cool!と納得してデザインしているのだろうか。

この不景気の時代、売れ筋のものはデザインが保守的にならざるを得ないのもわかる。衝突安全や空力性能など、テクノロジーの側面からスタイリングが収斂してきているのもわかる。かっこよかった旧車をリバイバルしろといっても、自己主張の強いデザイナーがオリジナリティにこだわるのもわかる。もっとかっこいい車を作りたいんだけど上の年寄り連中がなあ、と企業デザイナーの限界を愚痴りたいのもわかる。でも、もっとなんとかならないかクルマのデザイン。日本の道路に氾濫するあの醜悪なミニバンのデザインにはうんざりだ。ワーゲンバスやHトラックのような魅力的なクルマはもう生まれないのか。60年代には溢れていた流麗なクーペのようなクルマはもう見られないのか。温故知新、復活したBMWミニの成功例もある。技術がカタチを決めるのではなく、夢のカタチを具現化するテクノロジーの進歩があってもよい。

さて本書のもう一つの主題、「人はなぜ学ぶのか、学ばなければならないのか」。こちらも誰もが一度は考え、一家言ある人生の永遠のテーマだ。勉強は自分自身による動機付け(モチベーション)がない限り、本当のやる気は起こらないだろう。つまり勉強とは自分のやりたいことを達成するための必要条件と思えば、受け入れられる。一方、その動機付けが他者から与えられたものや動機付けにすらならない曖昧なものであれば、学びに対する意味は損なわれ退屈なものになる。

「成績が上がればご褒美をあげるから」
「おバカと言われないように」
「とりあえず高校は出ておくために」
「良い大学、良い仕事に付くために」
「いかなる困難にも立ち向かえるために」・・・
勉強しなさい!

まだ人生のビジョンや目標も定まらない小学生や中学生が、こう言われて「なぜ勉強しなきゃならないの」と思うのは当然である。では、まだやりたいことがわからない子どもたちにはその疑問にどう答えたらよいのだろう。

「君のやりたいことを見つけるために勉強は必要なんだよ」

これくらいの答えがいいのかもしれない。いろんな事を学べば学ぶほど、技術を身に付ければ付けるほど、やれる事の選択枝=引き出しが多くなる。ここでいう「やりたいこと」とは「やりたい仕事」と等価ではない。「やりたい仕事」につけなかった人も「やりたい仕事」につけた人も、「やりたいこと」は常に未来形である。だから幾つになっても勉強は必要なのだ。

自分の描いたかっこいいクルマを造りたくなったルーリー少年や、最近美術の世界に興味を持ち始めた我が愚娘は、この動機付けを自ら得たことで勉強に対するハードルは少し低くなった。しかし、次に立ちはだかるは、以下の疑問である。

「サッカー選手になりたい俺が、なんで物理や化学を勉強しなきゃならないんだよ。」
「科学者になりたい僕に、音楽や美術の授業は時間の無駄です。」

高校時代もっと勉強しておけば・・・(我が学び舎の現在)
高校時代もっと勉強しておけば・・・(我が学び舎の現在)

多くの人間が学生の頃一度は思ったこと。理系だった僕は、古文と漢文がこれに当たる。当時は理解不能(理解しようとしなかった)で苦痛だけの時間だった。確かにエンジニアになるのに必要な知識ではなかったけれど(共通一次の受験には必要だったが)、この歳になって『論語』に興味を持ち、漢文をきちんと勉強しておけばよかったと後悔しきりである。長い人生の中でいつ何に興味を抱くか、何が役立つかは誰もわからない。やはり学校で準備される教科は基礎訓練として勉強する価値があると、30年以上経って初めてわかった私。

また学問とは様々な知識の重層であり関係である。一見無関係と思われる学問どおしでもどこかで繋がっているもんである。だから知のリンケージが張り巡らされたインターネットは急速に広まった。重層性だけで成り立っていた本の百科事典はWikipediaにとって変った訳である。そしてその重層性や関係性が深ければ深いほど、広ければ広いほど学問の理解も深まるし、そういう勉強をしてきた人は人間性にも深みや幅が増す。ただのサッカー選手や科学者になるだけなら、別に物理や音楽の勉強をしなくてもいいだろう。もっともっと高いゴールを目指すのであれば、やはり多くのことに興味を持って学んだ方がいい。サッカー選手がトレーニング法を学ぶとき、人間の筋肉や骨格の仕組み、つまり医学(物理や化学)の理解があった方がより効果的な練習ができるだろう。科学と芸術は相反目すると思う方は、寺田寅彦の随筆「科学者と芸術家」、新しいところでは福岡伸一・著「フェルメール 光の王国」などを読んでみるとよい。

なぜ勉強するの?(「Let's Study」より)
なぜ勉強するの?(「Let's Study」より)

私の好きな細菌学者ルイ・パスツールの名言を記しておこう。
"Chance favors the prepared mind."
この短い言葉に、勉強の本質の多くが語られている気がする。学んだり考えたりしたことが心の中の引き出しにたくさん仕舞われた人にチャンスの女神は微笑むのだ。この絵本でも膨らんでいく気球の風船がこの引き出しに例えられている。

せっかくのクルマ絵本なので、最後にルーリー少年のようにクルマを造りたい人は何を勉強すればよいのか考えてみよう。自動車はあらゆる技術が詰まった複合的な機械だから、クルマを理解し開発するには様々な知識・技術が必要になる。機械の設計製図・力学に関することやネジや歯車といった機械要素の基礎知識は当然のこととして、エンジンの設計なら熱力学や燃料、燃焼に関する勉強、足回りの設計ならクルマの挙動を理解する運動力学や、最新の電子制御技術には欠かせない自動制御の勉強も必要だ。勿論、今のクルマはほとんどコンピュータでコントロールされているからコンピュータのことがわからなくては話にならない。

さあクルマを造るぞ(「Let's Study」より)
さあクルマを造るぞ(「Let's Study」より)

クルマは人が運転操作する機械だから人間の理解も必要になる。間違わない、わかりやすい操作方法を考えるには人間工学や認知科学の勉強が必要だ。安全性を考える上では、車体の強度を設計するための構造力学や材料に関する勉強が必要だし、人が怪我をしないためには「ハッスル!エルくん!」でも紹介したように医学の知識も必要になる。それだけではない、クルマが化石燃料で動く乗り物だと思っていたら今や蓄電池や燃料電池、モーターで動く家電やプラントのようになってきた。そうなると電気工学や電気化学のような勉強が重要になってくる。

ちょっと変わったところで、自動運転の世界を実現するために「魚を模倣するクルマ」で紹介したお魚の知識や、「赤いロボット自動車」のように人間の脳の知識といったクルマとは無関係と思われそうなことまでが勉強の対象になってくる。ルーリーのお父さんが言うように、クルマが愛されるためには、植物が育つ仕組み(※)や生き物の命のはかなさも知っておく必要があるだろう。

こんなことを書いていると、クルマを造りたいと夢を抱いていた少年・少女は勉強ばかりでもういやだと思われたかもしれない。あらゆる知識や技術に精通するに越したことはないが、そんなスーパーマンに誰もがなれる訳でもない。ベンツダイムラーの時代と違って、今や一人の天才技術者がクルマを造る時代ではない。様々な分野のプロフェッショナルが協力してクルマは造られる。また何の知識や技術が役に立つか分からないのも未来の自動車開発の現場である。これはクルマに限ったことではく、あらゆる仕事がそうだ。だから、少なくとも何か一つでも興味をもったことを一生懸命勉強してみれば良いだろう。チャンスはきっと訪れる。

こんな絵も描ける浅井さん(「Let's Study」より)
こんな絵も描ける浅井さん(「Let's Study」より)

(※)つい最近、トヨタグループの豊田中央研究所が、太陽光、水、二酸化炭素(CO2)のみを使った人工光合成に世界で初めて成功したと発表した。環境問題の解決に役立ちそうな成果だが、自動車会社の研究(勉強)は植物の世界までが視野に入っている[1]。

[参考・引用]
[1]世界初の「完全」人工光合成に成功 豊田中央研究所、産経ニュース、2011年9月20日、
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110920/trd11092018350010-n1.htm

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