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ゴットリープ・ダイムラー  

マルコーニ ダイムラー ライト兄弟

前回の続き「じどうしゃのはつめい」と今回紹介する「マルコーニ ダイムラー ライト兄弟―飛躍する電信・輸送技術」(熊谷聡・絵、草川昭・シナリオ、山崎正勝、木本忠昭・監修、ほるぷ出版、漫画人物科学の歴史 世界編)をベースにもう一人の自動車の父、ゴットリープ・ダイムラーの生涯を辿りながらガソリン自動車の黎明期について学んでみたい。

通信、自動車、航空機、これらは現代社会において不可欠なものである。我々が日々「時間」というものに追われるようになり、世界がこれだけ狭く感じるようになったのは、これらの技術の進歩によるものといっても過言ではないだろう。19世紀末に次々と発明されたこれら時空間の概念を覆す技術の立役者の一人が、ダイムラーである。

“Das Beste oder nichts(最善か無か)“
これはダイムラーの口癖と言われ、メルセデス・ベンツ社の企業スローガンにもなっているのだが、最高水準の車を作るためには最善を尽くし、決して安易な妥協はしないという意味。妥協をするくらいなら何もしないのと同じ、私は全ての職業人に向けられた言葉と捉えているがこれを実践するのはなかなか難しい。
http://das-beste-oder-nichts.jp/

ゴットリーブ・ダイムラー ウィルヘルム・マイバッハ
(左)ゴットリーブ・ダイムラー(右)ウィルヘルム・マイバッハ

そんな名言を残したプロ中のプロ、ゴットリープ・ダイムラー(Gottlieb Wilhelm Daimler)は、1834年、ドイツ西部のショルンドルフに生まれた。パン屋兼居酒屋を経営していたゴットリーブの父は、彼を役人にしたかったようだが、測量士だった従兄弟の影響もあって、モノづくりに興味を抱いていた。彼は鉄砲鍛冶屋や工場で働きながら、技術を習得するためにシュトゥットガルトの補習工業学校や工業専門学校で学んだ。彼もベンツと同様、蒸気機関ではなく未来のエンジンの開発を夢見て、働いていた工場を辞めてフランスやイギリスへ当時の最先端技術を視察に行く。とにかく彼はとことん勉強した。帰国後、友人の機械工場で働くがやはり彼の目指すものとは違うことを悟る。その頃、キリスト教系の「友の家・ロイトリンゲン機械製作所」の立て直しの依頼を受け、そこで終生のパートナー、メルセデス・ベンツのブランド車名にもその名を残す天才設計技術者ヴィルヘルム・マイバッハ(Wilhelm Maybach)と出会う。

その後、友の家機械製作所を辞め、1869年にベンツも在籍していたカールスルーエ機械製作所に工場総支配人として入社、マイバッハも一緒に連れてきた。ベンツが同社を退社した3年後のことである。もしベンツが同社に残っていたら、この天才3人が出会っていたかもしれない。

4ストロークエンジンの発明者であるN.A.オットー(Nikolaus August Otto)が設立したドイツ・ガス・エンジン製作所(以下ドイツ社、Deutz AG)にダイムラーが技師長としてスカウトされたのは1875年(もちろんマイバッハも転籍)。その開発にはダイムラーらも十分絡んでいたであろう1876年の4ストロークエンジン完成以降、会社の好業績とこれら新エンジンの開発に対する貢献を主張するダイムラーとオットーとの間に争いが激しくなり、1881年ダイムラーはドイツ社を退社する。

N.A.オットー Beau de Rochas
(左)N.A.オットー(右)ボー・ドゥ・ロシャ

「オットーサイクル」と呼ばれる4ストロークエンジンだが、オットーにとって2ストか4ストかはそれほど重要でなかったようである。ゆえに1877年に取得されたオットーの特許は、第1請求項が4スト方式についてではない。これが4ストロークエンジンの特許に対してオットーに優先権が与えられなかった理由である。そもそも4ストロークの原理はフランス人技師、ボー・ドゥ・ロシャ(Beau de Rochas)が既に1861年に言及しており公知だった。フランスではシクル(サイクル)ボー・ドゥ・ロシャ=ロシャサイクルと呼んでいるそうだ。オットーサイクルとして学んできた私としては新しい知識。日本の工学はドイツの影響を多分に受けているからね。4ストの発明者としての名誉は得られたけれど、彼はエンジンの本質的な特徴を理解していなかった故、実利を得ることができなかった[3]。小生もしょぼいなりにも何件か登録特許の発明者になっているけれど、この請求項の書き方は広すぎても取れないし実に難しい。きちんと技術の本質を理解して書かないと良いアイデアであっても、努力は水泡に帰する。

さてドイツ社を去ったダイムラーは、1882年にカンスタットに新居を購入し、ここを彼の研究工場にした。マイバッハもドイツ社を退社し、ここで2人の小型で軽量、高回転のエンジン開発が始まった。エンジンの基本はオットーが完成させていたが低効率で定置用の域を出ていない。まだまだ改良しなければ乗り物のエンジンとしては実用化にほど遠い。特にベンツと同様、高速回転でも着実に燃料に着火できる点火装置が必要と考えていた。ベンツのそれが現在のような電気式なのに対して、彼らは熱による混合気の自然着火を利用した。片方を塞いだパイプの開いた方をシリンダーヘッドに差し込み、閉じた方を外部から火で熱して、パイプに流入するガスに着火させる方法で赤熱管点火装置と呼ばれる。

赤熱管点火装置の特許図面
上図:赤熱管点火装置の特許図面、パイプfを外部から熱することで混合気に着火[9]

他にキャブレター(気化器)の原型を発明したのも彼らだった(現在と同じ原理の燃料噴射式は1892年にマイバッハが発明)。それまでの定置式の内燃機関では石炭ガスが使用されていたが、自動車用エンジンとなると可搬性に優れた液体燃料が必要になる。しかし、燃焼に必要な空気との混合気を作るには、燃料の気化装置が必要になる訳だ。吸入弁の自動化も彼らの手によるもの。

世界初のオートバイ(「マルコーニ ダイムラー ライト兄弟」より) ダイムラーの2輪車(1885)
(左)世界初のオートバイ(「マルコーニ ダイムラー ライト兄弟」より)(右)ダイムラーの2輪車(1885)

これらの革新的な技術を組み合わせたオットー式のダイムラーエンジン1号が1883年に完成。翌‘84年に特許を取得する。これが実用型4ストロークエンジンのオリジンとされる。これをベースにさらにコンパクト化されたエンジンを2輪車に搭載したものが、1885年に完成した世界初のオートバイである。この特許の取得日が1885年8月29日、これはベンツの「ガスエンジン駆動の乗り物」の特許取得よりも5ヶ月早い。しかし、ダイムラー・ベンツ社自体がこれは2輪車であって、自動車の起源とは認めていない[4]。3輪車は自動車であって、2輪車は自動車にあらず。微妙。

馬車の注文(「じどうしゃのはつめい」より)
馬車の注文(「じどうしゃのはつめい」より)

ベンツの3輪自動車の公開走行に遅れること1年、1887年(’88年かも)に世界初の4輪自動車「モトール・クッチェ」を完成させる(※)。ダイムラーは、ベンツと違って車両トータルのコンセプトをあまり持っていなかった。だから車体やシャシーは馬車を改造した。自動車を製作中であることが外部に漏れないように「妻への誕生日プレゼント」といって馬車を注文したというエピソードも残っている[5]。2段の変速機は搭載されたが、ベンツの3輪車に搭載されていたデファレンシャルギア(デフ)もなかった。エンジンは2輪車用を発展改修、462cc、出力は1.1PS(0.8kW)で最高速度は16km/hといわれる。当初はラジエータもなく冷却装置は空冷式(後に水冷式に変え追加)。自動車の起源はベンツの特許とされるように、自動車としての完成度はベンツの方が高かった。

世界初の4輪自動車(「マルコーニ ダイムラー ライト兄弟」より) ダイムラーのモトール・クッチェ
(左)世界初の4輪自動車(「マルコーニ ダイムラー ライト兄弟」より)(右)ダイムラーのモトール・クッチェ

(※)ベンツと同様、古い話なので「完成」の定義は難しいのだが、一般にダイムラーの4輪自動車の完成は1886年ということになっている(今回取り上げた2冊の児童書も‘86年で記載)。しかし、近年ダイムラー社から公表された資料によれば、改造に使った馬車が納品されたのが1887年春、馬車にエンジンを搭載した4輪自動車を世間に公表したのが1888年夏だったらしい[5]。したがって、4輪自動車の完成はこの納品から公表までの期間ということになる。

その後彼らは出力アップのために1889年、世界初のV型2気筒エンジンを開発、多気筒化の道を切り開く。さらに1890年に世界初の4気筒エンジンを完成させ(飛行船用)、出力10HP(7.5kW)という劇的な性能向上を図る。この年に彼らはダイムラー・モトーレン・ゲゼルシャフト社(Daimler Motoren Gesellschaft、DMG)を設立。ダイムラーのエンジン技術は名声を呼び、フランスのパナール・ルバソール社(P&L社)とプジョー社がライセンス生産をし、ガソリンエンジン自動車の量産が始まった。

ダイムラーはエンジンの乗り物への応用に積極的で、船、レール・カー(軌道車)、気球、飛行船などへも搭載された[4]。自動車のみならず、戦車・船舶・航空機エンジンなどのメーカーとして発展をとげたコングロマリットのダイムラー社の源流がここにある[6]。そしてあのスリー・ポインテッド・スターのブランドマークは、ダイムラー社の活動が陸・海・空に亘ることを示しているのだそうだ[10]。

ダイムラー・メルセデス35PS(「じどうしゃのはつめい」より)
ダイムラー・メルセデス35PS(「じどうしゃのはつめい」より)

1900年にダイムラーは66歳で死去。その後もマイバッハが高性能高出力自動車の開発に取り組んだ。その代名詞が「メルセデス」である。1897年以降、ダイムラー車の販売を行っていたエミール・イェエリネックが、レースでP&L車に勝てないダイムラー車に対してアドバイスを行い(天才マイバッハにアドバイスするというのもすごいが)、その指南に従って35馬力(PS)の新型車を開発した(その意見を素直に聞き入れるマイバッハはやはりただものではない)。この車36台をイェエリネックが引き取る代わりに、欧州やアメリカでの独占販売権を得た。この車の販売名がイェエリネックの娘の名前をとって“Mercedes”(「マルコーニ ダイムラー ライト兄弟」ではダイムラーの妹の名前となっているが、児童書といえどももう少しきちんと調べてもらいたい)。35PSメルセデスは1901年のレースで大成功する。これ以降、ダイムラー車の代名詞となり、商標登録されて自動車のブランド名はメルセデスとなった[7]。

1907年には盟友マイバッハもDMGを退社し(あのツェッツペリン飛行船のエンジン製作を依頼されたため会社を設立)、それ以降の会社の変遷は前回記述のとおり。ダイムラー社とベンツ社の合併には、ダイムラーもマイバッハも関わっていない。2007年にクライスラーと袂を分けた時に、社名を「ダイムラークライスラー」以前の「ダイムラーベンツ」に戻すのではなく「ダイムラー」と改名した(自動車会社は従来とおりメルセデス・ベンツ)。自動車の発明者2人の名前を冠した社名から、一方の名前を無くしたことには関係者の不満も多かったようで、特にベンツファンではない私でも不可解に思えた。とはいえ、現在の自動車の発展に寄与した2人+1(ダイムラーの業績≒マイバッハの業績)のことは、電気自動車の時代になっても学び、語り継がれるべきものである。そしてダイムラーの信条、“Das Beste“はダイムラー社のカルチャーに間違いなく継承されている。

[参考・引用]
[1]ゴットリープ・ダイムラー、Wikipedia、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%97%E3%83%BB%E3%83%80%E3%82%A4%E3%83%A0%E3%83%A9%E3%83%BC
[2]ダイムラー、オンラインブック せかい伝記図書館 巻末小伝、いずみ書房、
http://www.izumishobo.co.jp/onlinebook/c02_denki/99shoden/shoden11-4.html
[3]自動車の世界史、エリック・エッカーマン・著、松本廉平・訳、グランプリ出版、1996年
[4]自動車「進化」の軌跡 写真で見るクルマの技術発達史、影山夙・著、山海堂、1999年
[5]改訂版自動車クロニカル、自動車文化検定委員会・編、二玄社、2009年
[6]ダイムラー(自動車メーカー)、Wikipedia、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%A4%E3%83%A0%E3%83%A9%E3%83%BC_(%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%BB%8A%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC)
[7]自動車工学全書 自動車の発達史【上】~ルーツから現代まで~、荒井久治・著、山海堂、1995年
[8]ゴットリーブ・ダイムラー エンジンと車を合体させた男、クルマの歴史を創った27人、広田民郎・著、山海堂、1998年
[9]1883: the high-speed engine with hot-tube ignition system from Daimler、Mercedes-Benz-blog、2008年7月15日、
http://mercedes-benz-blog.blogspot.com/2008/07/1883-high-speed-engine-with-hot-tube.html
[10]Mercedes-Benz Story、ヨーロッパの名車 Mercedes-Benz、いのうえ・こーいち・著、保育社、1992
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Posted on 2011/09/02 Fri. 22:28 [edit]

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