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じどうしゃのはつめい~カール・ベンツ~  

じょうようしゃのはつめい

今年は1886年に自動車が発明されてから125年目。正確に言えば、カール・ベンツが内燃機関(ガソリンエンジン)を動力源とする三輪の自動車を開発、その三輪車の発明に対してドイツ帝国特許庁からNo.37435の特許登録証が交付されたのが、1886年1月29日。これは世界で最初の実用的な「ガスエンジン駆動の乗り物」に関する特許であり、この日(年)を自動車が誕生した記念日(年)としている訳だ。でも、その他の関係者からしてみれば異論もあるだろう(特に仏人は納得いかないはず)。真の自動車の発明という意味では、1769年にフランス陸軍の技術大尉ニコラ=ジョゼフ・キュニョーが、蒸気機関で動く自動車を発明しているからだ。「ガソリン自動車」という意味では、例えばイギリスのサミュエル・ブラウンが1826年に大気圧式ガソリンエンジン自動車を、1874年頃にはユダヤ系オーストリア人のジークフリート・マルクスがガソリンエンジン搭載の自動車を(彼の記録はナチスによって全て抹消されているので詳細がよくわかっていない[3])、イタリアではバルサンチとマテウッキが1858年にガス・エンジン自動車を走らせたという。フランスではドラマール・ドブットビュが1884年にガソリン自動車の特許を、アメリカではジョージ・セルデンが1875年にガソリン自動車の特許を申請したと言われているが、いずれも個人的な試作で実用化には至っていない[10]。

1876年、ドイツのニコラウス・オットーが、現在の内燃機関の基本原理である4ストローク(オットーサイクル)のガソリンエンジンを作ると、彼の会社で働いていたゴットリープ・ダイムラーがこれを改良して、1884年に世界初の実用的なオットー式ガソリンエンジンに関する特許が取得されている。ダイムラーがガソリンエンジンの特許を、それを動力源とした自動車というシステム特許をベンツが取得している訳だから、現在の自動車の発展に繋がった実用的な技術の発明者は、現ダイムラー社の創始者であるこの2人であるという“法”解釈に異論を挟む余地はなかろう。ということで、この2人にスポットを当てた「じどうしゃのはつめい」(小西聖一・構成・文、タカタケンジ・絵、絵本版世界はつめい物語8、チャイルド社)という絵本で自動車誕生の歴史を振返ってみようと思う。特に今回はカール・ベンツに焦点を当てる。

この『自動車』の誕生日を記念して、今年は様々なイベントが行なわれている。自動車産業の最重要拠点の一つ、バーデン=ヴュルテンベルク州(州都がベンツやポルシェの故郷で両社の博物館もあるシュトゥットガルト市)では、「オートモービルサマー」と名づけられた5月7日から9月10日までの125日間に、車とモビリティをめぐる約250のイベントが開かれる。最終日の9月10日、マンハイムで開かれる「autosymphonic」コンサートでは、約80台の自動車がオーケストラ、合唱団と“共演”するらしい[5]。また、ゼロエミッション・モビリティの普及を目的に、メルセデスの開発した燃料電池車(FCV)3台が、年明けの1月30日に世界一周ツアーに出発し、125日目の6月1日、4大陸14カ国、総走行距離3万kmを走破して出発地シュトゥットガルトに戻ってきた[6][7]。

カール・ベンツ 妻ベルタ・ベンツ
(左)カール・ベンツ(右)妻ベルタ・ベンツ

125年前に世界で初めて「ガソリン自動車」の特許を取得した男、カール・ベンツ(Karl Friedrich Benz)は、1844年にドイツ南西部にあるカールスルーエ・ミュールブルクで生まれた。彼の父は当時の最先端技術であった蒸気機関車の機関士だった。今で言えば、それこそ燃料電池車の技術者といったところだろうか。しかし、幼少の頃に病気で父を亡くしたカールは、貧しい生活を余儀なくされる。

蛙の子は蛙、彼も科学技術に関心が高く、カールスルーエ高等工業学校(現カールスルーエ工科大学)で機械工学や次世代の動力機関と目された内燃機関について学ぶ。学校卒業後は後にダイムラーも在籍したカールスルーエ機械製作所で働くが、新しい動力源で動くクルマを作ることを夢見ながら、いくつか職場を転々とする。この頃、洗濯の染み抜きに使われていたガソリンによる爆発事故がよく起きていた。これをヒントに、(ダイムラーもそうであるが)次世代のエンジンの燃料として強い爆発力を持つガソリンに目を付けたのであった。アイデアはあるが苦労も多かったこの時代、公私にわたって彼の支えとなってきたベルタ・リンガーと1872年に結婚。

ベンツ夫妻の挑戦(「じどうしゃのはつめい」より)
ベンツ夫妻の挑戦(「じどうしゃのはつめい」より)

カールは2ストローク(または2サイクル、以下2スト)エンジンに的を絞った。4ストローク(または4サイクル、以下4スト)エンジンは既にオットーが特許を取得していたからだ。2ストエンジンも英国のデュカル・クラークが特許を取得していたが、彼には別の方法での勝算があった。妻ベルタの助言にも助けられ、試行錯誤を繰り返した末の1879年大晦日にベンツの2ストエンジンは完成する。ベンツのことを調べると必ず、ベルタ夫人の内助の功が語られるが、何度もうまくいかなかったこの日も、夕食後ベルタに「もう一度工場に行って試す必要があるわ」と促され再テストをした結果だったようだ[10]。

しかしエンジンが動いたといっても車が走るわけではない。まだまだ改良が必要だ。特に問題なのはシリンダー内の混合気にどうやって着火するかである。ベンツは現在のプラグによる電気点火方式の源流となる電池を電源にした電池ブザー方式を開発、特許を取得する(現在のスパークプラグの発明は1902年のボッシュによる[15])。また開発にはお金もいる。1883年に知り合いになった実業家のM.K.ローゼ(Max Caspar Rose)、技術者のF.W.エスリンガー(Friedrich Wilhelm Eßlinger)とともに、マンハイムの地に内燃機関を製造する「ベンツ・ライン・マンハイム・ガス・エンジン製作所(“Benz & Cie. Rheinische Gasmotorenfabrik in Mannheim”)」を設立した[12]。これが後のダイムラー・ベンツ社の母体となる。

2ストロークエンジンの仕組み[18]
2ストロークエンジンの仕組み[18]

当初2ストエンジンに拘っていたカールであるが、彼も次第に4ストエンジンの素性の良さに注目するようになった。ここでエンジンの基礎をおさらいしよう。現在の四輪自動車は一般的に4ストである。みなさんが自動車教習所で学んだように吸気、圧縮、爆発、排気の4工程で1サイクル(「このおとだれだ」参照)。1サイクルでピストンが片道4回動くので4ストローク。一方、現在でもバイクによく使われているのが2ストエンジン。吸気と圧縮、爆発と排気を同時に行うので(上図)、ピストンが片道2回(2ストローク)動くことで1サイクルが終了する(動画参照)。4ストが1回の爆発でピストン2往復分の仕事をするのに対し、2ストは1回の爆発で1往復分の仕事を完了する。したがって、排気量や回転数など条件が同じで、理想的な状態であれば、2ストは4ストの倍の出力(パワー)を発生できることになる。小型軽量で構造がシンプル、原理的にパワーも稼げるので、内燃機関が発明された頃においては、この2ストが主流であった。しかし、この2つの工程をいっぺんにやろうとすることが仇となった。

2ストの吸排気は、4ストのように独立して行われるのではなく、圧縮をしながらシリンダーに新しい混合気(新気)を送り込み、爆発・燃焼したあとの残った排気を押し出すという「掃気」というメカニズムを採用している。吸排気ルートが1本なので、燃焼ガスは完全に排気しきれないし、新気の一部もシリンダー内を素通りして排気されてしまい混合気の量が減るので出力低下を起こす。理論上2ストの出力は4ストの倍と述べたが、このような理由から実際には1.5倍程度である。同様に新気の一部が燃焼されずに排出されるので燃費も悪化するし、完全燃焼していないので排出ガスには多量のHC(ハイドロカーボン)が含まれる。また、エンジンオイルを燃料と一緒に燃焼させるため、排ガス中に有害物質が多い[13][14]。環境側面からいうと極めて不利なエンジンである。

さらに、2ストはトルク(クランクシャフトを回転させる力、すなわちクルマを走らせる力そのもの)がある狭い回転域でピーキーに出る特性を持つので、その領域を外れると力が急激に落ちる。車体が大きく重い四輪自動車を走らせるには、回転数が低速から高速までまんべんなく出せる、特に低回転(低速)トルクがある4ストの方が向いていると言われる[16]。

特許37435(左)とパテント・モトールヴァーゲン1号車(右)
特許37435(左)とパテント・モトールヴァーゲン1号車(右)

以上のようなエンジンの本質を十分理解していたであろうカールは、既に4ストエンジンの試作に取りかかっていた。"Chance favors the prepared mind."準備を怠らない者にチャンスは訪れる。彼に女神が微笑むように、1884年にオットーの4スト特許No.532を無効とする告訴が出され、1886年1月30日、オットー特許がオープンとなる。この前日の29日、ベンツの3輪自動車の特許が権利化され、世界初の自動車の発明の名誉を手に入れたのであった。1886年6月初旬にこのエンジンを載せた三輪の自動車を完成、7月2日の早朝、公開試験を成功させた[10](※)。4サイクルの水冷単気筒、排気量984cc、最高出力0.89HP(kW)、最高速度15km/h、前一輪、後二輪のこの三輪自動車は「パテント・モトールヴァーゲン(Benz Patent Motorwagen)」と名付けられた。この車には、ラジエータやディファレンシャル・ギア(差動装置)など現代の車に無くてはならない要素部品の原型が既に搭載されていた。

ベンツの自動車の完成
ベンツの自動車の完成(「じどうしゃのはつめい」より)

(※)”完成”の定義は難しいのだが、1886年7月は公開運転が行われた年であり、本書でも描かれているように最初の試運転の成功は1885年と書かれた資料も多い。ベンツの特許No.37435が極めて具体的であるので、公開された第1号車の前にほぼ完成された試作車が存在していても不思議ではないだろう。実際特許の元になった本当の1号車が存在したという説もあるようだが[9]、この辺の真意について裏付ける詳細な文献がない。ゆえに日付が公知な特許が認定された年を”自動車元年”としたと考えられる。

ベンツ・ビクトリア
ベンツ・ビクトリア(「じどうしゃのはつめい」より)

これで満足するカールではなかった。1891年頃から4輪車を念頭に置いて操舵機構を研究し始めた。「パテント・モトールヴァーゲン」が3輪車となったのは、前2輪操舵の技術的な安全性が確立していなかったからだ。理論的には1816年にゲオルグ・ランケンスペルガーが、前車軸を固定し、キングピン(ハンドルを切ったときにタイヤが向きを変える回転中心軸)により前2輪だけを操舵、その各2輪の車軸の延長線を後車軸の延長線上の1点で交わらせるアッカーマン式ステアリングを発明しているが[2]、この自動車工学の基礎、アッカーマン理論を4輪車に実用化したのが1893年に完成したヴィクトリアである(同年特許も取得)。

その後新たな車を開発し続けて、ベンツの会社は1899年には572台という世界最大の生産量を誇る自動車工場へ成長した。しかし、ライバル、ダイムラーがレースで活躍することで、ベンツの売り上げはダウンしていく。ダイムラーも第1次大戦でのドイツの敗戦によって経営難に陥り、ついに1926年ベンツとダイムラーは合併する。ダイムラー・ベンツ社の誕生である。カールも新会社の役員として残ったが、3年後に亡くなる。

上下に分かれた2人の伝記(「じょうようしゃのはつめい」より)
上下に分かれた2人の伝記(「じょうようしゃのはつめい」より)

さて絵本「じどうしゃのはつめい」は、絵本の上下にカール・ベンツとゴットリーブ・ダイムラーの伝記を分けて紹介している(後半には自動車を大衆化させた功労者、ヘンリー・フォードについても言及)。上下が切り離せるようになっているので、それぞれ独立して読める工夫をしている。本書を読むと、彼らの開発プロセスがほとんど同時進行なのが興味深い。しかも彼らが住んでいたところがわずか150kmしか離れていなかったのに、お互いその存在を知らなかったのだから歴史は面白い。そのもう一人の自動車の発明者、ゴットリーブ・ダイムラーについては別の児童書の紹介も兼ねて次回勉強してみようと思う。(続く

[参考・引用]
[1]カール・ベンツ、Wikipedia、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%84
[2]改訂版自動車クロニカル、自動車文化検定委員会・編、二玄社、2009年
[3]ジークフリート・マルクス、Wikipedia、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%82%B9
[4]自動車の生まれた日-ダイムラーとベンツ、Mercedes Story、メルセデス・ベンツ・オフィシャルサイト、
http://www.mercedes-benz.co.jp/brand/magazine/story/01_page02.html
[5]ニュース@ドイツ「自動車誕生125周年」、大阪・神戸ドイツ連邦共和国総領事館ホームページ、2011年5月9日、
http://www.osaka-kobe.diplo.de/Vertretung/osaka/ja/newsletter/NachrichtenD/20110509.html
[6]メルセデス、燃料電池世界一周ツアーを完遂、green carview、2011年6月6日、
http://www.carview.co.jp/green/news/0/4004/
[7]燃料電池車が世界を一周、4大陸14ヶ国を走破、メルセデス・ベンツPress Information、2011年6月2日、
http://www.mercedes-benz.co.jp/news/release/2011/20110602.pdf
[8]カール・ベンツ もう一人の自動車の発明者、クルマの歴史を創った27人、広田民郎・著、山海堂、1998年
[9]自動車「進化」の軌跡 写真で見るクルマの技術発達史、影山夙・著、山海堂、1999年
[10]自動車工学全書 自動車の発達史【上】~ルーツから現代まで~、荒井久治・著、山海堂、1995年
[11]自動車の世界史、エリック・エッカーマン・著、松本廉平・訳、グランプリ出版、1996年
[12]Benz & Cie.、Wikipedia、
http://de.wikipedia.org/wiki/Benz_%26_Cie
[13]エンジンのABC、檜垣和夫・著、講談社ブルーバックス、1996年
[14]影が薄くなった2サイクルエンジン、p131、エンジンの基礎知識と最新メカ、GP企画センター・編、グランプリ出版、1999年
[15]スパークプラグが100周年を迎えました、ボッシュ・イン・ジャパン、2001年10月24日、
http://www.bosch.co.jp/jp/press/rbjp_011024_2.html
[16]馬力とトルク、YOUZOU,IN,瀬戸内、
http://www.kcv.ne.jp/~kik26/newpage40.htm
[17]2ストレーサーレプリカ伝説、
http://www.goobike.com/learn/bike_issue/toku214/index.html
[18]エンジンからクルマへ、E.ディーゼル G.ゴルドベック F.シルドベルゲル・著、山田勝哉・訳、山海堂、1984年
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Posted on 2011/08/27 Sat. 21:57 [edit]

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