考える練習をしよう

東日本大震災から約1ヶ月。いつもなら新しい年度の始まりで、前向きな気持ちになる季節なのだが、このブログも何となく気が乗らず今まで以上に筆が進まぬ。私の家庭や職場では、正常な生活に戻りつつあるが、被災地ではいまだ困難な状況が続いている。正確な被害状況すらもわかっていない。原発事故もまだ深刻なリスクを抱えている。しかし、今なお余震の恐怖に怯えながら、復旧・復興に向けて少しずつではあるが日本中が動き始めている。早くもとの生活に戻らねば、このままでは経済も停滞してしまう、これが現在の多くの日本人の声だと思う。ここでは敢えてそのことに疑いの目を向けて、少し考えてみようと思う。

見るも無残、瓦礫化したクルマたち[5]
見るも無残、瓦礫化したクルマたち[5]

もとの平穏な生活に戻りたい、誰もがそう願うのは当然だ。私もこの重苦しい雰囲気から抜け出たい。戦争で焼け野原になったような悲惨な光景を目の当たりにしているのだから。震災前の生活レベルを0(ゼロ)とするならば、地震によってマイナス5くらいになったと仮定しよう。でもそれを、元のレベルゼロに戻すことが本当にいいのだろうか。昔と変らない社会や生活に戻るだけでいいのだろうか。また巨大な防波堤に作りなおすだけでいいのだろうか。電気が今までどおりに使える生活に戻ることが本当に正しいのだろうか。この未曾有の巨大地震を境に、我々は今までの社会システム、生活スタイルの根本を見直さなくてはならないのではないか。明治維新前後、第2次大戦前後で世の中が大きく変わったように。

世の中の常識とされる地震予知の理論や方法論って本当に正しいのか?
これまでの安全や防災の考え方、設計思想、マニュアルは本当に正しく機能したのか?
原子力発電に依存する社会システムの姿は本当に正しいのか?
日常生活において無駄なエネルギー(電気だけでなく燃料、食料含む)を使っていないか?
我々の生活にクルマは本当に必要なのか?
会社に通勤して(莫大な移動エネルギーを使って)仕事をすることが本当に必要なのか?
等々、今までの常識、価値観を根本から疑って、じっくり一から考え直してみることが不可欠であるように思う。

勿論、被災地を最低限の生活レベルまで戻すことが最優先課題だ。でも地震前と同じ状態に戻っただけでは、何も進歩がない。変わったのは愛する人や大事な思い出の多くを失ったことだけ?もし多くの犠牲には何らかの意味があるとしたら、我々はそこから学ばなくてはならない。いや、意味があると思わなければ、無念にも亡くなられた人たちが浮かばれないではないか。我々は戦後最大の試練を契機に、今この状態を新しい原点(スタート地点)として、生活レベルを0に戻す軸とは異なる価値軸方向にプラスに進むように、世の中を大きく変えなければならないのではないかと思う(下図)。これを達成するには今までの慣習、常識に囚われていてはダメだ。そして何が本質かを考え続けること、思考を停止していてはならない。

我々の進むべき方向
我々の進むべき方向

ちょうど福島原発で矢面に立たされている東電に関する興味深い記事[1]を見つけた。緊急入院した清水社長に代わって社長職を代行していた勝俣恒久会長(前社長)は、さらに前任の南直哉氏が2002年の不祥事発覚―今回の福島県と新潟県の原発で原子炉の検査データを改ざん、経年劣化で原子炉内部の炉心シュラウドという重要部品にひび割れがあったが、存在を隠蔽―を受けての引責辞任後社長に就任している。その勝俣氏も2007年の水力、火力発電所でのデータ改ざん発覚、同年の新潟中越地震に伴う柏崎刈羽原発の火災とその後の対応のまずさから、2008年に現在の清水社長が引き継いでいる。そして今回の事故。

東電、勝俣会長
東電、勝俣会長

この経緯を見る限り、東電は何一つ学習していない。2008年当時の勝俣社長のインタビューでも膿は出し切れていないと語っている。恐らく東電という企業は問題が起こっても事の本質について何も考えようとしない、思考停止状態が続いていたのであろう。私が恐れるのは、仮に現在の緊急事態が収束し、(監督官庁である経産省、原子力安全保安院、御用学者の面々も含めて)今の組織、体質、システムのままで、今回の事故が総括されることだ。この根本を変えない限り、また同じ事が必ず繰り返される。東海地震での危険性を前々から指摘されている中部電力浜岡原発が、津波対策として高さ12m超の防波堤を新設すると突然言い出した[2]。この姑息かつ場当たり的な発想こそが、この業界の病巣の深さを示している。

しかし、これとて東電や電力業界だけの問題ではないかもしれない。むしろ、我々日本人全体のこれまでの行動様式が問われている。原発推進者は、経済(=エネルギー)を優先するあまり、安全を疎かにした。もっと、リスクの少ない電力リソース、もっとエネルギーを使わない経済システムに真剣に目を向けるべきだった。原発誘致に賛成し、少なからずその恩恵を受けた自治体や住民にも全く非がないとはいえない。原発反対派も電気を全く使っていないわけでもあるまいし、何がなんでも反対の姿勢を緩めて、国や電力会社が徐々にリスクを減らせるような選択の余地を与えるべきだった。しかし最も反省すべきは、私も含めて電気のある暮らしを当たり前のように享受し、原発のことなどこの事故が起こるまでほとんど何も考えてこなかった多くの市民であろう。大学で資源・エネルギー工学を学んだ者として、原子力発電についてほとんど知識・関心を持ち合わせていなかった自分を恥じる。

福島原発が完全停止した以上、東電管轄では少なくとも1年以上はこれまでの3/4の電力量で生活を回していくしかない。このままでは夏場のピーク時には絶対量が2割前後足りないそうだ[3]。そういう意味では、地震前の生活レベル0に戻ることは当面ないと思っていた方がよい。であれば今までの常識を捨てるしかない。新しい発想で考えるしかない。直接の被災や計画停電により工場でモノが作れない以上、我々は必要最低限の消費スタイルに変える。企業や商店は必要最低限の消費で儲かる新しいビジネスモデルを考える。消費の縮小ではなく転換。自然災害のリスクを考えても、消耗品以外はリースやレンタルのビジネスが今後はもっと見直されるかもしれない。

仕事のスタイルも変える。電車の終電を早くする。会社も早く消灯する。そうすれば仕事も効率的に終わらせて早く帰るようにもっと工夫するだろう。何が何でも会社で仕事をしなければならないという発想も捨てる。IT技術を駆使して在宅勤務でもいいではないか。むしろ通勤という移動に時間とエネルギーを浪費しなくて済む。僕自身、地震後の数日間は在宅勤務で何とかやりくりできた。情報インフラのビジネスはもっと活発化するだろう。

非常用電源としてのEVの可能性[6]
非常用電源としてのEVの可能性[6]

そういう視点で、例えばこのブログのテーマであるクルマを考えてみる。ほとんど昼間や土日しか使われない自動車の稼働率の悪さ、大量の遊休車両の存在。通勤のために大渋滞を引き起こす、しかも1台に1人しか乗っていない自動車の効率の悪さが顕在化して、本当に無駄の多い商品なんだなあと改めて考え込んでしまう。電気自動車であれば、電力消費量の少ない夜間に遊休車両へ蓄電し、計画停電時に電力源として利用するといったクルマ=蓄電池という考えもあるのだが、そもそも自動車を大量に生産して売るという“増やす”ビジネスモデルから、パイを少なくしてシェアする、そのシェアリングのマネジメントで儲けるような“減らす”ビジネスモデルを自動車会社は真剣に考えるタイミングに来ているのかもしれない。

世界的な金融クライシスからの光明も見えてきた矢先、経済復興も大事なのは重々承知(日本以外の経済活動は止まってくれないのでね)の上で、ここは一歩留まって、地震後の新しい経済・社会の仕組みをそれこそ国民一丸となって、じっくり考えてみる必要があるのではないだろうか。福島原発の事故は、高度経済成長期における早急過ぎた原発推進政策のツケなのだと思う。僕の好きな言葉に“急がば回れ”がある。『泰山前に崩るるとも色変えず』、ここは覚悟を決めて長期的な復興シナリオを腰を据えて描くことが、結果的に日本人を幸せにすると思うのだが。

今、日本中でこだまする「がんばれ!日本」。僕はこの“がんばれ”という言葉があまり好きではない。非常にあいまいな表現だし、心に深い傷を負った者にとっては逆にプレッシャーになりかねない危うい言葉だ。“がんばれ”といっても何をすればわからないときは、被災地の人は、明日1日を元気に生きるための方法を考えよう。そうでない人は、1年後、あるいは数年後に日本人が本当に幸せになるための新しい方法を考えよう。今私たち1人1人ができることは限られているけれど、思考を停止せずに、考え続けることはいつでもできる。地震の教訓として我々は考える練習をしよう。今からでも遅くはない。「明日のために考えよう!日本」

前に進む(日経ビジネス2011年4月4日号より)
前に進む(日経ビジネス2011年4月4日号より)

(冒頭の児童書の紹介)
「考える練習をしよう」(マリリン・バーンズ・作、マーサ・ウェストン・絵、左京久代・訳、昌文社)は、小学生高学年以上を対象とした児童書。生きている以上、誰だって必ずやっかいな問題に直面する。今の日本がまさにそうだ。その問題を解決するには頭を使う必要がある。しかし、ただ頭をやみくもに使うだけではダメだ。問題に取り組むには頭を使うための「道具」が必要だ。つまり頭をどういうふうに使うかの方法論を学ばせる、訓練させるのが本書の目的である。先入観のブチこわし方、センスの磨き方などなど。このような思考法を系統立てて学ばせる機会は、残念ながら日本の初等教育の場ではほとんどないと思う。当然、この手の教科書や児童書は日本では皆無である。このような未曾有の災害時では、生きるための考え方を子どもたちに訓練する良いチャンスだ。勿論、そのような教育を十分受けてこなかった我々大人たちも大いに学ぶべきだろう。

[参考・引用]
[1]東電社長、傷だらけの退任:原発稼働できず、不祥事の影響も消えず、星 良孝、日経ビジネスオンライン、2008年1月30日、
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20080128/145567/?rt=nocnt
[2]浜岡原発:高さ12メートル超の防波壁、新設へ、毎日新聞、2011年3月15日、
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110316k0000m040070000c.html
[3]節電しても…夏の電力、2割足りず 23区も計画停電か、asahi.com、2011年3月26日、
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201103250423.html
[4]反原発と推進派、二項対立が生んだ巨大リスク:ジャーナリズム、調停役として機能せず、武田 徹、日経ビジネスオンライン、2011年3月30日、
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20110328/219175/?P=3
[5]津波で大量の車が「覆瓦状構造」になった画像、WIRED VISION、2011年3月30日、
http://wiredvision.jp/news/201103/2011033019.html
[6]EV、工場や家庭の「蓄電池」に活用、読売新聞、2010年11月18日、
http://www.yomiuri.co.jp/homeguide/news/20101118-OYT8T00340.htm


考える練習をしよう (子どものためのライフ・スタイル)考える練習をしよう (子どものためのライフ・スタイル)
(1985/03/25)
マリリン・バーンズ

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