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楽しいクルマ絵本の世界/エンスーのためのクルマ絵本ライブラリー

物欲リスト My Favorites  

MONO Magazine

最近、特に若い人は欲しいモノがないと聞く。クルマだって若者に人気がない。ここでいうモノとは精神的なモノではなくて、物質的なモノだ。確かに僕よりももっと若い世代は、豊かな時代に生まれ、小さい頃から大量のモノを買い与えられているから、物質的欲求というものが満たされすぎているのかもしれない。でも昭和のオヤジである僕はカネもないのに欲しいモノがいっぱいある。中には高くて一生買えないものもあるだろう。でも、それでもいつか手にすることができるかもしれないと夢みて日々お気に入りのモノを探している。ブックマークしておいたお気に入りが増えすぎたり、リンク切れになったりと収拾がつかなくなったので、僕のWEBPAGEに「物欲リストMy Favorites」として視覚的に整理しなおしてみることにした。今使っていて気に入っているモノ、近いうちに買いたいモノ、もし臨時収入があれば買ってみたいモノ、既に絶版で欲しくても手に入らないモノ、買いたいというよりは興味のあるモノ、高くて絶対買えないただの憧れの一品、衣食住雑多なモノたちである(一応、クルマの絵本も含め書籍やCD・DVDなどのメディア類は除く)。今後も少しずつ更新していこうと思う。また、本ブログのカテゴリーのZakkaとStationaryも統合して、”MONO”にまとめた。見る人が見れば、僕のプアな考え方や精神構造、生活スタイルというものがプロファイリングできちゃうのかもしれない。

物欲リスト My Favorites
http://kurumanoehon.web.fc2.com/favorites.htm
SONY トリニトロン方式のカラーテレビ第1号(KV-1310)

僕ら世代は高度成長期に幼少期を過ごしたが、基本的にはまだ日本全体が貧乏だった。戦後20年を経てようやく貧乏から脱しつつあるといった方が正しいだろう。でもまだ物質的にはそれほど”豊か”ではなかった。五右衛門風呂付の薄汚い木造社宅から、3Kの狭いながらも当時の流行の最先端であった、真新しい「団地」に引越し、真っ白できれいな壁と水で流せるトイレに大喜びした僕。『仮面の忍者 赤影』の仮面が本当に”赤い”のかを確認したくて、まだ珍しかったカラーテレビのある友だちの家で見ていた僕。親はそれを見かねたのか、我が家にソニーのトリニトロン(この響きが先進技術って感じだった)カラーテレビがやって来たときは狂喜乱舞した。外車なんて夢もまた夢の時代、中古だったけど初代カローラを父が初めて買ったときの納車の際の興奮は、今の青少年たちにはわかるまい。三種の神器”3C”のうちカラーテレビと車は我が家にやって来たけど、もう一つのCであるクーラーなんてもっとずっとずっと後だ。夏は汗だくで「蚊帳」の中で両親と川の字で寝ていたのを思い出す。

初代ソアラZ10系
ホンダ・プレリュード3代目

LEGOなんか高くて買ってもらえずに、色と噛み合わせの冴えないダイヤブロックで我慢していた。それすら買ってもらえない少年少女もたくさんいただろう。遊びといえば、夕方遅くまで草野球や缶蹴り、虫採りや魚採り、面子にビー玉、駄菓子屋で買うウルトラマンや仮面ライダーの写真カード集め等々、そりゃあ、今に比べれば非常に質素なもの。DSやPSのように玩具で何万円もするなんて考えられなかった。バブル景気直前だった大学時代だって、一部のボンボン学生が外車や人気のソアラ、プレリュードを乗り回すのを横目に、貧乏学生はチャリをこぐのがやっとだった。もてるはずもない。そういう世代が社会人になって経済的に余裕が出てくると、昔欲しかったモノ、買えなかったモノを「大人買い」した。

我々の親の世代以上はさらに過酷だ。そもそも戦時中に、モノが欲しいなど言える状態ではなかった。だから戦後は欲しいモノを手に入れるためにがむしゃらに働いた。マイカーを買った、マイホームを買った。でも彼らの孫、曾孫の世代は、とりあえずハードモノにはずーっと満たされ続けている。3Cは勿論、パソコンだってケータイだって、物心ついたときから当たり前のように家に存在するのだから。

企業決算は景気のよい話が続いているけど、実感としては全くない。モノもどんどん売れているようには思えない。中国やインドを中心とした新興国での景気が良いだけだろう。クルマだって、少なくともこの国では近年あまり売れていない、というより既に関心の薄い商品の代表格だ。欲しいモノがない→モノが売れない→儲からない→コストを下げる→いいモノが作れない、作りたいものが作れない→欲しいモノがない。負のスパイラル。

iPhone4

今やハードが世の中の関心事にならなくなったことも理解している。最新の神器はTGIFなのだそうだ。日本語でいえば「花金(花の金曜日)」を意味する”Thanks God It's Friday”をもじって、Twitter+Google+iPhone+Facebook。ハードといえるものはわずかにiPhoneのみだ。欲しいアイテムはソフト(というよりは情報)。モノを手に入れたい欲求よりも、知りたい、繋がりたい欲求。それも瞬時に。

古今東西、時の権力者たちがモノ、金、知識・情報を欲してきたのは歴史を振り返れば明らかだ。大量生産→財テク→ITへの時代変遷は、自然な流れなのかもしれない。とすればIT時代の次、最終欲求は不老不死か。iPS細胞に代表される再生医療、遺伝子治療、ガン制圧、美容・健康などの医療ビジネス隆盛の時期もいずれやって来る。

話が横道にそれてきたので、再びモノの話へ。IT弱者、モノ好きの古い昭和オヤジとしては、目に見えないお金(投機)や情報などではなく、やはり形あるモノが売れることで世界の経済が回らないとなんとなく安心できない。『モノより思い出』といったキャッチコピーや、『断捨離』というキーワードが使われるように、精神的豊かさやシンプルなライフスタイルが求められている昨今、物質文明の象徴ともいえるモノにはとかく批判の目が向けられる。環境の側面でも、資源やエネルギーを消費するモノは悪者だ。ますます片身は狭い。でも、僕は機能やデザイン、色、その他五感に訴えるモノの存在自体が好きなのである。モノ作りの業界に身を委ねているせいもあるかもしれない。どんな瑣末なモノでも、いい仕事をしているモノを見ると、それを生み出したデザイナーや設計者、職人の顔や、苦労があったであろうその製作プロセスを考えざるを得ないのである。

モノは単なる材料や素材の集合体ではない。人の創造的行為の結果としてのアウトプットである。大げさに言えば、モノには製作者らの“命”が吹き込まれている。モノとの関わりはいろいろな個性のある人との関わりとも似ているような気もする。人とモノを一緒にするなと反論もあるだろう。でも憧れの人、尊敬する人、面白い人、カッコいい人、苦手なんだけとちょっと興味のある人等々、人をモノに変えてみればよくわかる。そんな創造性に溢れ、ある種“生き物”とも思える自分のお気に入りのモノを所有したり、身に付けたりすることが人々の心を豊かにしないのだろうか?僕は『モノだって思い出』たる精神的価値があると思うのだが。このブログのテーマである「クルマ」もその代表例であろう。全てのモノがそうだとはいわないが、魂が込められた“本”モノが世の中に増えていけばいいなと思う。その選択眼も消費者にさらに求められている。
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Posted on 2011/02/11 Fri. 23:01 [edit]

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