本日天気晴朗ナレドモ浪高シ

記念艦「三笠」

昨日は天気もよかったのでウォーキングがてら横須賀中央にお使いに出かけた。妻の古い裁ちばさみが錆付いていたので、刃物屋を探して錆落としと刃研ぎを依頼するお仕事。用事も済ませ、昼飯を食い、腹ごなしにと久しぶりに三笠公園まで足を伸ばす。ここは軍都ヨコスカの観光名所、第二部が放送されたばかりのNHKドラマ「坂の上の雲」でも欠かすことのできないかつての連合艦隊旗艦「三笠」(上写真)が保存・公開されている公園だ。ここへ足を運ぶのも3度目になるであろうか。

陸軍大学校に変身した母校
陸軍大学校に変身した母校

「坂の上の雲」は、母校熊大にある五高記念館が旧陸軍大学校の校舎として使われたり、学生時代遊びに行った今は亡き親友の故郷、熊本は三角港が明治時代の横浜港に見立てられたり、そしてドラマの主役ともいえる戦艦「三笠」も当然ロケ地として使われるなど、私にとってはゆかりの地が多数登場することもあって公開前から非常に関心があった。残念ながら昨年公開された第一部は見損ねてしまったが、今年再放送された第一部から見始めた。その映像の美しさも特筆すべきものがあり、是非残しておきたいと今夏に購入したばかりのブルーレイ録画機がその本領を発揮してくれている。

第一回を小1の息子と見ていたのだが、何ゆえか彼はこのドラマを気に入ってしまったようなのである。特に主人公秋山真之が幼少の頃、当時禁止されていた花火を作って打ち上げたことで警察沙汰となり、母貞が短刀を出して「お前も殺して私も死ぬ」と涙するシーンは、ママより相当怖かったようでかなりのインパクトを与えたようだ。維新を生き延びてきた人の子の叱り方には迫力がある。時空を超えて平成の子すらもびびらせてしまうのだから。私は「おまえも言うことを聞かないとママから『死ね』と言われるぞ」とさらに追い討ちをかけておいた。

NHKドラマ「坂の上の雲」より
NHKドラマ「坂の上の雲」より

小1にはさすがに話が長いので飛ばし飛ばしで見せているのだけれども、英語やロシア語の芝居ばかりで、当然読むことも理解もできない字幕だらけの「日英同盟」の回なども、父親のテキトーな解説付きながらおとなしくじいーっと見ていた。「面白い?」と聞くと「うん」と答える。私が日本海海戦の話を初めて聞かされたのは小学6年の社会の授業だった。担任は生徒に絶大な人気があり、特に社会の授業が実に面白く、ロシア・バルチック艦隊撃破の東郷戦術に関する講談もあった。二〇三高地での乃木戦術との比較で話されていて大変興味深かったことを今も鮮明に覚えている。「坂の上の雲」が産経新聞に連載されたのもちょうどその頃(昭和43~47年)なので、恐らく先生はその後書籍化された司馬文学に感化され知識を披露されていたのかもしれない。それでも小6ならある程度理解はできるが、小1の息子には何が面白いのであろうか。

勿論私にとっては非常に面白いドラマであり、主人公秋山真之の人物像は興味深い。東郷元帥をして「智謀如湧」と言わしめた優秀な軍師としての真之。一方、時のルーズベルト大統領も感銘を受けたと言われる日本海海戦に勝利した連合艦隊の解散式における東郷元帥の訓示「連合艦隊解散の辞」のゴーストライターとしても知られる名文家・文章家としての真之。文武両道とは彼のことをいうのではないだろうか。単なる職業軍人とは一線を画す人間の幅の広さを感じる。彼の才能、人格形成には、親友正岡子規の存在も大きかったろうし、共立学校(開成高校)や大学予備門(一高)で、才を異にする俊英らと青春を謳歌したことも多大な影響を与えたことだろう。

秋山真之 正岡子規
(左)秋山真之(右)正岡子規

私が学生の頃、国立の大学院に防大生が多数国内留学していると問題になったことがあった。特に東の筑波大、西の熊大は多くの学生を受け入れている「軍学共同」だと批判の矢面に立たされていた。これを聞いた指導教授「この批判は的外れだ。むしろ、防大の中だけで過ごす方が、井の中の蛙になりかねない。私の研究室に来れば、再教育しなおしてやるのに。」と豪語されていたことを思い出す。私も個人的にはこの意見に賛成で、若い頃に志や思想の異なる人間と同じ釜の飯を食うというのは、非常に重要なことであると思う。防大や防衛省という画一化された非常に狭い世界しか知らないというのは、ある意味不幸である。特に国の存亡に関わる重大な判断を委ねられることになる幹部候補生にこそ外で学び、幅広い知識・教養・人脈を培わせる必要があると思うのであるが。そういう意味で、秋山の経歴は当時の日本にとっては利となった。

それにしても「坂の上の雲」の時代に生きた文人や政治家、軍人、官吏らのスケールの大きさには驚かされる。しかも、その業を為すのは非常に若い時分だということだ。真之がこの連合艦隊旗艦「三笠」に乗艦し、参謀として日本海海戦の戦略を練ったのが、若干36歳のとき。彼らの冷静なる分析力・判断力は、今の与野党の政治家、官僚らとはあまりにも次元が違いすぎる。底の浅い政治家の国会答弁、事業仕分けされても反論できない自信なさげな官僚たち。君たち指導者はそれなりの信念をもって国を動かしているのではないのか。本当にしっかりしてくれと言いたくなる。

真之が書いた冒頭の日本海海戦出撃時の電文「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」は、戦艦「三笠」から東京の大本営に打電されたもの。小説「坂の上の雲」によれば天気晴朗=視界が遠くまで届くため取り逃がしは少ない、浪高シ=敵味方の艦が波で動揺するとき、波は射撃訓練の充分な日本側の方に利し、ロシア側に不利をもたらす。即ち「気象条件は我が方に極めて有利である」という意味を短い一句で端的に象徴したとされる。この予測どおり、日本海軍に歴史的な大勝利がもたらされる。 

軍艦三笠のペーパークラフト
軍艦三笠のペーパークラフト

戦艦「三笠」は1902年(明治35年)に英国ヴィッカース造船所で竣工。ワシントン軍縮条約で廃艦が決まり、1926年(大正15年)に横須賀で記念艦となる。第2次大戦後荒廃した三笠であったが、1961年(昭和36年)に復元されて現在に至る。排水量:15,140トン、全長:132m、幅:23m、速力:18ノット、乗員:860名、主砲:30インチ砲4門、副砲:15インチ砲14門、、8インチ砲20門、45cm魚雷発射菅4基[2]。先日、市内の本屋で「三笠」のペーパークラフトを見つけた。昔の少年誌「少年倶楽部」の付録だったものを講談社が復刻したようなのだ。うーん、結構気になるなあ。

軍艦三笠の大模型 大人気!!、現代プレミアブログ、
http://blog.goo.ne.jp/gendai_premier?fm=rss

昨日は「天気晴朗、浪低シ」の穏やかな師走の一日。記念艦では被弾した生々しい鋼板も展示されているが、甲板から静かな年末の横須賀の街を一望すると、この船を舞台に激しい戦闘があったのは本当に大昔(100年前)のことなんだと、今は平和な日本であることを改めて実感する。本ブログのテーマとはかなりかけ離れてしまったので、本日はこの辺で。

[参考・引用]
[1]秋山真之、Wikipedia、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E5%B1%B1%E7%9C%9F%E4%B9%8B
[2]戦艦三笠、Wikipedia、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E7%AC%A0_(%E6%88%A6%E8%89%A6)
[3]坂の上の雲、司馬遼太郎、文春文庫
[4]記念艦「三笠」公式ホームページ、
http://www.kinenkan-mikasa.or.jp/

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[ 2010/12/28 23:46 ] vehicles/のりもの | TB(0) | CM(0)

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