まぼろしの試走車

先週日曜日の10日、2010年F1第16戦日本GPの決勝が鈴鹿サーキットで開催された。それほど意識していなかったので、テレビをザッピングしていてたまたま中継を観始めた。注目はやはり日本人レーサー、小林可夢偉であろう。嫁は「カムイって・・・」とその名前に絶句。トヨタが若い頃から育て、2009年の第6戦ブラジルGPでF1初参戦。その後の大活躍でトヨタの正ドライバーを確実にしたものの、同年11月のトヨタF1からの完全撤退発表で2010年シーズンでのトヨタのドライバーズシートはなくなってしまった。トヨタがもう1年F1を続けていれば、今年は表彰台も夢ではなかっただろう。今期はザウバーからの参戦で心気一転、イギリスGPの6位が最高位だが、表彰台もそれほど遠い夢ではないかもしれない。若干24歳(サッカーの本田圭佑と同じ1986年生まれ、関西出身)ながらこれまでの日本人F1ドライバーとは違い、かなり将来性有望の若武者。一度テレビ出演でレース以外での彼を目にしたことがあるが、なかなか生意気な発言で気に入った。「偉大な夢を可能にする」決して名前負けはしていない[1]。

小林可夢偉

そんな解説をしながら、家族で可夢偉君を応援する。終盤45週目で接触しつつもハイメ・アルグエルスアリ(トロ・ロッソ所属、スペイン)をオーバーテイクし、抜き去ると家族一同「おおーっ」。この日本GPで5回のオーバーテイク。”オーバーテイク・キング”小林可夢偉の真骨頂だ。興味深そうに観ていた息子だったが「怖いからレーサーにはなりたくない」と一言。このオーバーテイクの直後に、子供たちは大好きな「笑点」にチャンネルを変更、パパは7位入賞のいいところを観損ねた。これにはママもひと安心。レーサーとアルピニストは、親、特に母親が子供になって欲しくない職業の両横綱だからね。さて、そんな母親の心配をよそに、「レーサーになりたい」と言い出した小学4年生の佐藤磨(おさむ)少年(偶然にも元F1ドライバー、佐藤琢磨選手と一字違い)が主人公の児童書「まぼろしの試走車(マシン)」(相良俊輔・作、依光 隆・絵、千秋社)を今回は紹介しよう。

冒頭からいきなり英国の生んだ2大スーパーレーサー、ジム・クラークと「F1のチャンピオン」でも紹介したグラハム・ヒルの壮絶なバトルが繰り広げられる。舞台は第18回RAC英国GP。主人公の磨少年は、たまたまテレビのスイッチを入れて観たこのレースで、ジム・クラークの虜になってしまったのだ。本書の初版は昭和53年(1978年)であるが、ジム・クラークやグラハム・ヒルが活躍したのは1960年代。古い記録映画でも観たのだろうか。

Jim Clark's Lotus-Cosworth 49
Jim Clark's Lotus-Cosworth 49

のっけからマニアックな描写で始まるので、よくよく調べてみると、冒頭のグランプリレースの記述はかなり正確さを欠くことがわかった。RAC(Royal Automobile Club)がスポンサーとなった英国GPは第Ⅰ期が1950年から70年までなので[2]、第18回RAC英国GPは1967年7月15日にシルバーストーンサーキットで開催されたレース。確かに優勝はジム・クラークであるが、同じチームのグラハム・ヒルはエンジントラブルにより64周目でリタイアしている。ジム・クラークはカーナンバー1の黄色いマシン、グラハム・ヒルはカーナンバー16の真っ赤なマシンとなっているが、前述のように両者同じチームで、マシンはブリティッシュグリーンに黄色のセンターラインが有名なLotus-Cosworth 49。ジム・クラークのカーナンバーは5であった[3]。

Lotus-Climax 25(1964)
Lotus-Climax 33(1965)
BRM P261(1965)
(上)Lotus-Climax 25(1964)
(中)Lotus-Climax 33(1965)
(下)BRM P261(1965)

本書のように優勝がジム・クラークで2位がグラハム・ヒルとなった英国GPは1964年と65年の2度だけ。ジム・クラークのマシンはそれぞれLotus-Climax 25(’64年)、 Lotus-Climax 33(’65年)で、グラハム・ヒルのマシンはBRM P261。いずれも記述と色が一致しない。’64年がジム・クラークのカーナンバーが1(’65年は5)だが、グラハム・ヒルが3でこれまた違う。また本書では「最終の60周目」とあるが、上記の3レースとも最終ラップは80周である。まあ、児童書なのでこの辺の細かい誤りは指摘しても野暮ってなもんで。参考としたGrandprix.com[3]は、1950年から2008年までのF1の全レース結果を知ることができる非常に詳細なデータベースだ。一応後学のために記しておく。いずれにせよ60年代は、子どもをも釘付けにするようなバトルの激しい面白いレースが見られたということでまずは掴みはOK。

この壮絶なレースを見た磨君は、レーサーになりたい思いを『ぼくが大きくなったら』という作文にしたためてしまう。お医者さんになってもらいたい母親は大反対。「そのうち熱は冷める」と静観していた父親だが、以前息子に「男というものは、ひとつの目標を持たなくてはならない。将来どういう人間になりたいか、ということを心に決め、その目標に向かって、がむしゃらに突進すべきだ。」と励ましたことを突っ込まれあっさり兜を脱いだ。日本GPの中継を見ながら「レーサーにはなりたくない」と言った小1のわが愚息ではあるが、将来、万が一レーサー、あるいは他の危険な職業を目指すと言い出したら、親としてどのように指南すればよいだろう。まだまだ将来に夢や希望のあるわが子たちを見つめながら、これから先の楽しみと不安が交錯する。

さてそんなある日、2代続けて飯田橋に理髪店を営む父の店へお使いに出かけた磨君。仕事も終わり、父と銀座で食事へと出かけようとしたそのときに、突然長髪の若いお客さんが訪れる。どうしても急いで髪を切って欲しいという。気持ちよく客の要望に応え、スポーツ刈りにしてあげたその青年は、日本で指折りのレーサー、西条克彦選手だった。世界放浪の末にグラハム・ヒルに拾われレースの薫陶を受け、F1で何度も入賞を果たしたその青年は、まるでヒルが育て上げ、ともに航空機事故で不慮の死を遂げたトニー・ブライズのようだが、もちろん架空の人物。磨君がレーサーを夢見る少年と知った西条は、散髪のお礼に富士グランドチャンピオン300キロスピードレースの特別招待券を親子にプレゼントした。

「まぼろしの試走車」その1 シェブロンB36SP
(左)「まぼろしの試走車」より(右)シェブロンB36SP

6月5日(※1)に父親と富士スピードウェイで観戦した磨君。レース前に「絶対勝つ」と磨君に約束をしたカーナンバー3のシェブロンB36SP(※2)に乗る西条は、後半オーバーテイクしトップに立ったものの、ゴール寸前でエンジントラブルによりリタイア。涙を流して悔しがった磨君に西条は、秘密のマシンの走行テストに招待すると耳元で約束する。そのマシンの名は『ザクロスX・1』、児童書らしいベタな名前だ。

「まぼろしの試走車」その2_ザクロスX・1
ザクロスX・1(「まぼろしの試走車」より)

そして翌年の秋のある深夜、前述の日本GPが開催された鈴鹿サーキットで極秘の走行テストが行われた。サーキットに集結したのは、『ザクロスX・1』の開発者、エンジン工学の世界的権威、故・本多博士の弟子、N大工学部・杉助教授と助手の真田。杉のいとこの帝都新聞社会部の記者黒川、そしてテストドライバーの西条と約束どおり“ピットマン”佐藤磨少年の4人だけだ(あり得ない展開!)。走行テストは成功したものの、マシンは某国産業スパイらに盗まれ、行方がわからなくなってしまう。そこからは、犯人の謎解きをする磨少年の大活躍で、「名探偵コナン」張りの物語展開となっていく。さてさて結末はいかに・・・。

作者の相良俊輔は1920年東京都生まれ。早稲田大学文学部中退、兵役後に文芸誌、娯楽誌の編集記者を十余年。その間、山手樹一郎・山本周五郎・外村祭・牧野吉晴氏らと親交を深め、昭和36年作家生活に入る。文芸誌「不同調」に処女作「虚構の夜」を発表。以後、新聞連載小説や児童小説を執筆。動物小説、熱血冒険小説の著作が多い。1979年8月没。主な作品に「機関車大将」「大雪原鉄道」「少年会津藩士秘録」「人類愛に生きた将軍」「ジュニア版太平洋戦争(全6巻)」。また戦記文学シリーズに「暁の攻撃隊」「ああ厚木航空隊」「夏の空」「海原が残った(上・下)」「流氷の海」「菊と龍」「赤い夕陽の満州野が原に」「怒りの海」等がある。

作画の依光隆は、「天の車」を参照されたし。

(※1)本書が刊行された1978年以前の富士グランドチャンピオン300キロスピードレースで、この日に開催されたレースは見当たらない。300キロスピードレースはだいたい3月開催[4]。
(※2)1978年3月25~26日に、レーシングドライバー、漆原徳光が富士スピードウェイで行われた300キロスピードレースで実際にシェブロンB36SPに乗っている[4]。シェブロンB36SPは漆原徳光のオーダーでレーシングカーデザイナー由良拓也が手がけたプロトタイプマシン[5]。となると、西条克彦のモデルは漆原徳光か?


[参考・引用]
[1]小林可夢偉、Wikipedia、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%9E%97%E5%8F%AF%E5%A4%A2%E5%81%89
[2]British Grand Prix、Wikipedia、
http://en.wikipedia.org/wiki/British_Grand_Prix
[3]GRAND PRIX RESULTS: BRITISH GP、1967、grandprix.com、
http://www.grandprix.com/gpe/rr156.html
[4]富士300キロスピードレース、1978年3月26日、大会結果、JAFホームページ、
http://www.jaf.or.jp/CGI/msports/results/n-race/detail-result.cgi?race_id=2517&window_flg=1
[5]Our Products、ムーンクラフト株式会社ホームページ、
http://www.mooncraft.jp/products/gc.html
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