車の画帖/ジープが町へやってきた

車の画帖 ジープが町にやってきた

終戦記念日の15日、65年前も同じように暑い日だったのだろうけれど、ここ日米の軍郷、横須賀も何か特別な変化があるわけでもなく、いつものように平穏に一日が過ぎた。戦争の体験をよく聞かされた私の母も昨年亡くなり、時は確実に戦争の記憶を風化し続けている。年に1度くらい、知識としてでもあの大戦を自分なりに再認知しようと、「プライベートライアン」のDVDや、NHK「15歳の志願兵」などの終戦記念ドラマをいくつか観た。そして、終戦記念日の昨日は、本棚から本日紹介する2冊の“クルマ絵本”を取り出し、改めて読み直す。「大塚康生16歳の車の画帖 終戦直後の日本の路上にて」(大塚康生・作、徳間書店)と「ジープが町へやってきた 終戦時14歳の画帖から」(同著、平凡社ライブラリー)、後者は前者を大幅に増補改訂し、改題した文庫版である。(「車の画帖」の表紙に描かれているのは、ダッジWC51、523/4トン、ウィポン・キャリア、「ジープが町へやってきた」の表紙に描かれているのは、ウィリスMBジープ)

はじめて見るジープに群がる街の人々
はじめて見るジープに群がる街の人々[4]

映画やTVドラマのように、ストレートで重いテーマや描写があるわけではない。本書は、戦争が終わり、自由に表現ができるようになった終戦直後、山口市に住む1人の少年が描いたクルマのスケッチ帖である。地方の田舎町にも、’45年(昭和20年)の終戦からほどなくして、大量の占領軍がジープやトラックに乗って進駐してきた。それまで蒸気機関車ばかりスケッチしていた大塚少年は、今まで見たことのないそれら軍用車両の虜となってしまう。それ以来、彼はクルマを描き続け、’52年(昭和27年)までに描いた百数十点の絵が、本書に収められている。表現の自由が制限されていた戦時体制から解放され、好きなものを描きたいという欲求が一気に噴き出してきたような迫力がある。あの時代を共有した人が見れば、さらに当時の記憶が走馬灯のように甦るのではないだろうか。

大塚康生
大塚康生

万年筆で描かれたこれらの絵のどれもが、緻密でかつ見事なデッサン力で描写される。それもそのはず、これらの絵をスケッチした大塚少年は、その後日本におけるアニメの創生期から第一線で活躍、あの宮崎駿を指導育成した著名なアニメーター、大塚康生氏なのである。「未来少年コナン」や「ルパン三世 カリオストロの城」の作画監督といえば、そのすごさがお分かりであろう。うちの子供たちも大好きな「パンダコパンダ」、私自身もお世話になったTVの「ルパン三世」シリーズや「ど根性ガエル」も彼の手によるもの。また、この少年時代のスケッチ経験が原点になって、大塚氏はジープマニア、軍用車両研究家としても有名である[1][2]。ご本人も、(初版の'87年当時)ジープ屋のおやじになりたいと本書で語っている。

CICのフォード製GPWジープ
CICのフォード製GPWジープ(「大塚康生16歳の車の画帖」より)

それにしても、14歳にしてこのような絵が描けるとはさすがである。大塚少年の描画のすごいところは、そのデッサン力だけでなく、車体内外のマークやナンバー、載せてある貨車のナンバーまで細かく描きこむその完璧なまでの拘りである。そのおかげで、占領軍民間諜報部(CIC)の本部に連行され、尋問された上、スケッチブックを没収されたこともあるのだそうだ。戦後、表現の自由が得られたとはいえ、そこは占領下の日本。CICが戦犯や反占領軍活動に目を光らせていたのである。確かに少年とはいえ、軍の所属までがわかるマークやナンバーまで詳細に記録していれば、怪しまれるのは当然だ。上記のイラストは彼を連行したCICのフォード製GPWジープ。リアスペアタイヤの少し前の側面に星マークと並んで描かれた赤いマーク(フェルマータを横にしたような赤い記号)が、CICのマークである。しかし、少年のピュアな絵心は理解されたのであろう。その後は絵を描いていてもお咎めなしだったようだ。

GMC CCKW353 21/2トン カーゴ・トラック
GMC CCKW353 2 1/2トン カーゴ・トラック(「大塚康生16歳の車の画帖」より)

上記のような背景から、終戦直後に一般の日本人が、日常の風景として路上を走るクルマをカメラで撮影することなどままならなかったであろうし、実際に記録もほとんど残っていないだろう。特に地方都市においては。また、すべてのスケッチに、描いた場所と日付、車名をきちんと記録している几帳面さ。そういう意味で、この一連のスケッチは、日本のモータリゼーションの黎明期である’40年代~50年代ごろの日本のクルマ事情を知る上でも、非常に貴重な資料である。大塚少年は、描いたスケッチをどんどん人にあげていたそうで、特に17歳時(’48年)のものは1枚も残っていないのだそうだ。もし、当時大塚少年からもらった絵を誰かが今も大切に保管されていたら、かなりのお宝になるのではないだろうか。

キャタピラーD7ブルドーザ@防府飛行場
キャタピラーD7ブルドーザ@防府飛行場(「大塚康生16歳の車の画帖」より)

個人的なことではあるが、作者やこの本に描かれている車両が、私の父とも少し接点があることがわかり、大変興味深かった。大塚康生氏は、’31年島根県生まれで山口市育ち。父より2歳下、母と同い年である。’49年に旧制山口工業学校の土木科を中退して、山口県庁総務部に就職している[1][2]。父も終戦を山口市の隣町、防府市で迎え、同県内の旧制工業専門学校の土木科を出て、やはり山口県庁土木課に就職している。父に確認したところ、同じ時期に県庁で働いていた可能性がある。大塚氏は、土木を学んだということもあり、ジープやトラックだけでなく、建設機械にも特別な関心を持ち、多くのスケッチを残している。改修のための土木作業をしていたのだろうか、戦前陸軍の飛行場でもあった防府飛行場(現在の航空自衛隊防府北基地[3])で描かれた建機のスケッチが何枚か含まれている。当時防府にはオーストラリア空軍(RAAF)が進駐してきており、豪空軍所属の建機も何台か描かれている。実は私も初めて聞く話だったのだが、父も防府飛行場の豪空軍にアルバイトに行っていたらしく、このような建機を見ていたのかもしれない。昔の話は、今のうちにいろいろ聞いておいた方がよいと思った。この本は、父に送ってやろうと思う。

片岡義男による紹介帯
片岡義男による紹介帯

「車の画帖」の巻末には、大塚氏と作家・片岡義男氏の対談が掲載されている(本書の帯も片岡氏によるもの)。片岡義男氏のクルマ好きは有名で、最近知ったのだが、クルマの絵本(特に外国絵本)を蒐集されていた時期があったらしい。私も含めてクルマ絵本好きにはたまらない、この大塚少年のすばらしいスケッチブックを、機会があれば是非ご覧になって欲しい。いずれも絶版となっているようだが、文庫本は比較的安価で中古本が手に入る。オールカラーのオリジナル本を入手するのはかなり難しいだろう。

[参考・引用]
[1]大塚康生、Wikipedia、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%A1%9A%E5%BA%B7%E7%94%9F
[2]大塚康生さんの世界、
http://www.yk.rim.or.jp/~rst/rabo/ohtuka/ohtuka.html
[3]防府北基地、Wikipedia、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%B2%E5%BA%9C%E5%8C%97%E5%9F%BA%E5%9C%B0
[4]ギブ・ミー・チョコレート、1945年9月24日、昭和のニュース、昭和毎日、
http://showa.mainichi.jp/news/1945/09/post-da0a.html
スポンサーサイト

コメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://ehonkuruma.blog59.fc2.com/tb.php/264-9c6b32b0


15歳の志願兵

今日は、この内容を調べてみました~~今、有名だからね。(+o+)そのまえに……夏は暑いけれど、綺麗な花火があるから♪うれしい♪どうぞ!花火大会は、癒されますね………クルマノエホン livres d'images de voitures 車の画帖/ジープが町へ ... 年に1度くらい、知?...
[2010/08/17 14:35] URL アスガルド