愛別離苦

がん患者学

一般的に子であれば必ず経験すること、母親の葬式を先月終えた。7月の三連休に娘と福岡の実家に帰省した際に会ったのが最期となった。生きていくうえで避けられない大きな苦しみの一つとして、大切な人との別れの悲しみを仏教用語で『愛別離苦』という。人生五十路も近づけば、近いうち親を見送らねばならぬと心の準備はしていたものの、実際にその日を迎えるとやはり辛い。一昨年にがんが再発した母であったが、家族の祈りもむなしくがんに克つことはできなかった。今や日本人2人に1人ががんにかかり、3人に1人ががんで死ぬ。がんという病は本当に気まぐれで神出鬼没、克服・共存するのが難しいということを痛感した数年間であった。

母が乳がんを患ったのが10年前。右乳房とリンパ節の切除手術を受けた。術後、一度は抗がん剤による治療を受けたもの体調を崩したため、ホルモン治療に切り替えた。結果、8年間は再発・転移もなく本人も家族もがんを克服できたと安心をしていたのである。

母が異変を訴えたのが一昨年のこと。足の付け根が痛いと言い出した。整形外科で診てもらうも原因がわからず、精密検査をした結果、骨と肺に小さながんが転移していた。恐れていたがんの再発である。その後、ゾメタという薬の投与を始めてすぐに肺のがんは消えたものの、骨のがんはなかなか消えない。逆に骨転移がんは少しずつ増殖していく。

当初は転移がんも局所的だったし、高齢になってからの再発だったので、それほど急速な進行はない、がんと共存していければよいだろうタカをくくっていた。少なくとも私は。しかし、これががんという病気の難しいところである。今年に入ってからまるで若年層のがん患者のように急激に骨のがんは進行し、5月の連休前に再び抗がん剤を投与することとなった。これがさらに母の体力を削ぐ結果となる。食欲減退は進み、脱水症状、歩行障害、記憶障害などを起こして、すぐに投与を止める。これを境に体調は急速に悪化することとなり、入退院の繰り返し、肺、肝臓へがんは転移する。最終的に肝臓がんが直接の死因となるのだが、今となっては抗がん剤の投与を拒否すればよかったかなと思っている。

柳原和子
柳原和子

がんの進行が著しくなってから読み始めた本が「がん患者学―長期生存をとげた患者に学ぶ」(柳原和子・著、晶文社)である。自らがん患者であった著者(昨年に亡くなっている)による、末期・再発・進行がんからの長期生存者と現代の日本のがん医療に警鐘を鳴らす専門家へのインタビュー内容をまとめたものである。完治の難しい転移性がんということから、ある程度覚悟はしていたものの、やはり万が一でも克服できる可能性があるのであれば、奇跡を信じたかったし、実際に長期生存できた人々の共通項を探りたかった。事実、治療例の中に実際に母が使っていた健康食品の名前を見つけたときは、祈るようにその文字を何度も読み返した。

しかし、がん患者の闘病記というのはやはり重い内容だったし、母の厳しい現実を重ね合わせると非常に辛く途中で読むのを止めてしまった。母の病状の経緯と、長期生存者の治療方法から見て取れたことは、抗がん剤の利用・効果には疑いを持たざるを得ないということだった。日本の医療における三大がん治療方法は、抗がん剤による化学療法と手術による外科治療、放射線療法。特に抗がん剤による化学療法については、私は以前から懐疑的であった。がん細胞だけでなく健康な細胞までも破壊してしまう抗がん剤投与は、患者の体力を極めて消耗させてしまう。特に末期や高齢の患者に対しては。多くの医師たちもその現実に疑問を持ちながら、治療を進めているように思える。

抗がん剤治療に対して私なりに理解をしてみた。受験勉強の方法を考えてみよう。ある受験を控えた学生は、主要5教科の中で算数が大の苦手だとする。受験勉強法の一つのアプローチとしては、その苦手科目を克服するために算数の勉強を徹底的に行う方法がある。しかし、これにはリスクが伴い、算数に集中するがゆえに、他の教科の勉強がおろそかになる危険性がある。一方、別のアプローチとしては、苦手の算数はある程度捨てる方法。その代わり、他の4教科に注力して、総合点を稼ぐというやり方である。前者は抗がん剤治療に似ている。苦手科目・算数=がんの制圧にあまりにも注力しすぎて、他の教科=健全な部分の強化がおろそかになってしまう。どちらのアプローチがより合格への近道か考えてみて欲しい。結果的に苦手科目の克服が失敗した場合には最悪不合格=死という結果に至ってしまう。後者は苦手科目=がんの存在はある程度許容し、総合力-それは体力や免疫力とでもいえようか-を高める方法ともいえる。

私は医学の専門家ではない。確かに、抗がん剤が有効な患者もいると思う。前出の「がん患者学」を読んで納得した点は、一つとして同じがんはないということ、がんの症状は患者の数だけ存在するということ。つまり、治療法も患者の数だけあるということである。それを、抗がん剤という画一的な療法で制圧しようとする現代の日本のがん医療のあり方に疑問を持つのである。

最近、第四のがん治療法として「免疫療法」が注目されているが、まだ治癒率も決して高い訳ではないし、保険もきかない治療法である。でも、あまりにも前出の三大療法のみに固執しすぎているようにも思える現代のがん医療の現場は、もう少し他の治療法に目を向けてもよいのではないだろうか。母の主治医も私の友人の医者も、巷で宣伝されている健康食品には懐疑的だったが(確かに営利目的で詐欺まがいのものが多いのも事実)、もう少しそういうものに対する科学的寛容さをもって医学的な研究を進められないものかと思う。免疫療法や健康食品ががんの制圧には決定打にならないかもしれないが、再発などの予防としては有効なものもあるかもしれない。

私は産業界の技術開発(研究)の業界に身を置くものであるが、この業界では古い方法に固執しすぎると技術の進歩を妨げるし、新しい技術に対する寛容性がないと新しいビジネスチャンスを失うリスクがあるので、常に新技術については敏感な習性を持っている。そういう目で見ると、医療の現場はちょっと保守的な感じを受けるのだ。今後はがん医療現場の意識改革を期待したい。

「家に帰りたい。」-入院していた母の希望で、病院の協力も得て、最終的には在宅医療(ホスピス)および介護に切り替えた。がんは痛みとの闘いといわれるが、最期の2、3日以外、母はほとんど痛みを感じていなかったようで、このことはせめてもの救いだった。父と毎日交互に来ていただいた医師、看護士、介護士さんには本当に感謝以上の言葉がない。特に高齢にも関わらず、歩行困難な母を支え、トイレへ連れて行ったり、下の世話をしたりと献身的に看護・介護を行った父の姿には心を打たれた。もともとはアカの他人ではあるが、半世紀近くも一緒に暮らした夫婦と、たかだか20年弱しか一緒に暮らさなかった私(子)とでは絆の深さが違うのであろう。最期まで諦めなかった父は、母を救ってやれなかったことに大変悔しい思いをしていたが、たった1ヶ月ではあったが母の傍で看取れたことで在宅医療・介護には満足をしていたようだった。

初代カローラでの家族旅行~母と私(昭和44,5年頃)
初代カローラでの家族旅行~母と私(昭和44、5年頃)

「これからの俺をおまえはどうしてくれる?」と冗談まじりで父に問いただされて言葉がなかったのだが、今後は大きな愛別離苦を経験し、一人暮らしになってしまった父のことが心配であり、大きな課題となった。私自身、今回のことで、今まで何か他人ごとであったがん医療、老々介護、在宅医療・介護、独居老人などの数々の重要な社会問題が急に身近なものとなった。義母を結婚後早くにがんで亡くしているので、がんにまたやられたという敗北感もある。また、遠く離れていることで何も看病をしてやれなかったこと、母の闘病期間中にささいなことで喧嘩をし、辛い言葉を浴びせてしまったことは大きな後悔として残っている。ちゃんと感謝の気持ちを伝えることもできなかったし、息子に持病があるために、孫にも十分会わすことができなかったことも残念でならない。在宅医療中、医師からの直ったら何がしたい?という質問に「孫に会いたい。」と答えた母の言葉が重くのしかかる。まだ、何か現実を受け止められない私の愛別離苦は、徐々にボディーブローのように利いてくるような気がするのである。



[参考・引用]
[1]問題提起本『がん患者学』の紹介、
http://www.ecoshop-tibijin.co.jp/Library/yanagiharaK.html
[2]南禅寺だより、
http://yanagihara-kazuko.com/

がん患者学―長期生存をとげた患者に学ぶがん患者学―長期生存をとげた患者に学ぶ
(2000/07/10)
柳原 和子

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[ 2009/08/11 15:50 ] bookshelves/本棚 | TB(0) | CM(1)

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[ 2015/11/11 09:30 ] [ 編集 ]

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