血をすゝり涙して

花吹雪のごとく

ちょっと、普通の人は引きそうな時代錯誤のつれづれ話をしよう。バブル景気の少し前、1980年代には、こういう青春もあったというお話。

冒頭の書籍は、「花吹雪のごとく」(竹崎有斐・著、日本キリスト教児童文学全集13、教文館)である。これは、学生時代に読んだ本で、先日久しぶりに手に入れて読み返してみた。戦争前夜の軍都熊本、主人公のキリスト教徒、旧制中学生の大島恭平が、在籍する熊本四中(現在の熊本県立済々黌高校、当時の済々黌中学がモデル)を舞台に、キリスト者としての自己のアイデンティティに思い悩み、友情を通して自我に目覚めていく痛快青春物語である。児童文学であるが、大人が読んでも実に面白い。

熊本県立済々黌高校 熊本YMCA花陵会
(左)熊本県立済々黌高校[1](右)熊本YMCA花陵会[2]

済々黌(せいせいこう)は私が学生時代を過ごした大学のすぐ裏手に存在した熊本の名門校。戦前は昭和天皇も行幸された筋金入りの尊王敬神の精神に燃える学校である[3]。また、同じく大学のすぐそばに存在し、私の親友も入寮していた関係で、よく出入りしていた花陵会も舞台として登場する。日本が国を挙げて西洋化を目指していた明治時代、熊本でキリスト教に基づく社会づくりを決意した熊本バンド(※)に続くものとして、明治29年(1896)に五高(現熊本大学)生6名、職員1名によるキリスト教信仰と互いの切磋琢磨による求道の場、花陵会は生まれた[4]。

なのでどの舞台も懐かしい。

作者の竹崎有斐は、熊本出身の児童文学者。大正12年(1923)、京都生まれ。同年一家で熊本に引き揚げる。昭和17年、早稲田大学高等師範部に入学。早大童話会入会、児童文学を志す。昭和51年、「石切り山の人びと」でサンケイ児童出版文化賞、日本児童文学者協会賞、小学館文学賞の三賞を受賞。昭和59年、「にげだした兵隊」で野間児童文学賞受賞。本書も、1982年に第4回山本有三記念・路傍の石文学賞を受賞している。

そういえば、肥後熊本は白川の畔にある大学で送った学生時代から、はや四半世紀が過ぎようとしている。あの頃を少し思い出してみた。

昭和57年(1982)に工学部に入学した私は、まず学部運動会の存在に驚愕した。大学で運動会だと?10月末だか11月初旬の確か学祭の直前に開催されるその大運動会。”アーメン”の教えを受けたミッションスクールから進学した私にとって、以下に紹介する戦前をも思わせる、旧態然としたイベントに目を丸くしたのを覚えている。

学科によって、土木団(土木・建設工学系)、建築団(建築)、化学団(化学工学系)、電気団(電気・電子工学系)、機械団(機械工学系)、そして私の在籍した採冶(採鉱冶金)団(資源・金属工学系)の6つの学科組織(団)に分かれて競技・応援を競い合う。そして、入学直後4月からその準備は始められる。

各学年から応援団員を選抜し、その他学生はマラソン競技や、棒倒し、騎馬戦に向けての戦術・トレーニングが始まるのである。統率は、卒論を控える4年生ではなく、3年生が務める。上級生は本当に恐ろしく、威厳があった。特に団結心の強い、採冶団や土木団の団員は、過酷な訓練を受けることになる。将来の肉体的労働を想定(?)してか、土木や採冶の学生はこのようなフィジカルな戦いに熱い。

当然、運動会の優勝争いは例年この2つの団でほぼ繰り広げられることになるのだが、採冶団は毎年のように土木団に苦汁を舐めさせられていた。したがって、我が採冶団の優勝に賭ける熱意は野球やサッカーの日本戦に挑む韓国代表のごときであった。少なくとも、メインイベントである棒倒しと騎馬戦には絶対負けられない。

熊本大学工学部運動会応援演舞(1996)
熊本大学工学部運動会応援演舞(1996)[6]

訓練は腕立てや腹筋などの基礎体力作りに始まり、大学裏手にある立田山へのランニングなど受験勉強から開放されたばかりのもやしっ子たちには非常に厳しいトレーニングであった。おかげで、ひょろひょろだった学徒たちも、運動会までには多くの者が鍛えられた肉体に変化していた。応援演舞も運動会の見所であり、得点にも大きく影響するため、特に応援団に選ばれた者たちには、過酷な試練が待ち構えている(幸い、私は3年間、この応援団に選ばれることはなかった)。上下関係の厳しさも含め、私の眼にはまさに軍事教練(知っとるのか?)に写った。

運動会前夜には、竹で組んだやぐらを皆で担ぎ、市内を練り歩く。古い言葉でいうと街頭「ストーム」である。採冶団のチームカラーは赤であったが、生まれて初めて赤い褌を締め、半裸で闊歩する。阿蘇からの寒風が吹き下ろす頃、寒いのと恥しいのとで、一升瓶片手に酒でもかっ食らわなければやってられない(スミマセン、未成年飲酒をしていました)。

自由の学舎と思って入学した大学だったが、強制活動にも思えたこの運動会に当初は戸惑い、批判的であった。一方で同一的な”ムラ”社会から飛び出せない、日本人特有の弱さもあり、渋々参加していた自分があった。ところが、やぐらの隊列が熊本城公園に入場する頃には、酒の勢いもあり、気分は高揚していた。最後は、前年度優勝した団の応援団長が詠い上げる巻頭言に続き、工友必勝歌「血をすゝり涙して」を全員で大合唱である。

(巻頭言)
仰げば星斗欄干として 永遠の真理を囁き
頭をめぐらせば 蘇山炎々として 若人の情熱を語る
自然の恵豊かなる肥後の一角 立山の麓白川の畔
天地の精気漲りたてるもの 之我が工友健児なり
いざや謳わんかな 我等朴訥の工友必勝歌を
血をすゝり涙して eines zwei drei

(工友必勝歌)
血をすゝり涙して 勝ち得し御旗濁世の最中 燦たる光
見よや紅の旗頭 工友健児の意気の精
立てば治めん御旗の下に 群雄乱れ剣折るゝとも
如何で渡すべき此の旗を 決死の力を尽すまで

当然、本番の運動会にも気合が入る。

「北辰斜めにさすところ」の1シーン
「北辰斜めにさすところ」の1シーン

2007年に「北辰斜にさすところ」(緒方直人・主演、神山征二郎・監督)という映画が公開になった。鹿児島の第七高等学校造士館と熊本の第五高等学校との間で行なわれていた対抗野球戦を舞台にした映画だ。「北辰斜めに」は第七高(現鹿児島大学)の寮歌だ(ちなみに五高寮歌は「武夫原頭に草萠えて」)。私の母校でロケも行われたらしい(上記写真)。私は映画を見ていないのだけれども、応援合戦の場面もあるようで、まあ、私の経験した運動会の雰囲気も恐らくこんな感じだと思ってよい。

現在はいわゆる駅弁大学の一つだが、母校工学部は明治30年(1897)、旧制五高の工学部を始まりに、旧制熊本高等工専を経て、戦後の新制熊本大学工学部と、当時で既に約90年余の歴史があった。その長い歴史を、脈々とこれらの行事は受け継がれてきた。私が卒業後に、この運動会は中止になったと風の噂で聞いたのだが、最近はまた復活したのだろうか。しかし、このような連帯感を嫌う(個人主義の強い)現在の若者にはほとんど受入れられない行事だろう。少なくともこのような大学文化が昭和の終わり頃までは続いていた。当時でさえ、全国的にみても、このようなバンカラな文化・気質が残っていた大学は珍しかっただろうけど、卒業後、社会人として長き人生を経るとともに、今となってはこれらの伝統を誇らしく、そして馬鹿をやった経験を懐かしく思う。ちょっと斜に構えていた私ですら、これほどDNAに刷り込まれたくらいだから、応援団など中心で活躍した同窓生の思いたるや、私ごときの比ではないと思う。

美しかった母校の赤煉瓦校舎(現熊本大学工学部研究資料館)
美しかった母校の赤煉瓦校舎(現熊本大学工学部研究資料館)

振返ってみると、当時は疎ましく思われたこの行事も、社会人、エンジニアとしての基礎訓練だったのではないかと思っている。日本の工業界の強みはその組織力、チームワークである。運動会の戦いも、ただ単に体力と精神論に任せて実行していた訳ではない。馬鹿馬鹿しいと思われるかもしれないが、当時は真剣に勝つための計算をして皆で戦術を工夫し、合意・納得した上で、戦いに挑んでいた。合理的な戦略・戦術を持っていないと戦には勝てぬ。また、チームの統率者は強いリーダーシップを求められ、組織は上から下まで意思を統一しておかねばバラバラになる。つまり、運動会というゲームを通して、社会に出てからの組織活動のシミュレーション訓練を受けていたわけである。知識教育とは別に。

さて、世の中は未曾有の不景気である。ここにきてパンデミックの危機にまでさらされている。国際社会や企業の多くは、先の見えぬ不安な情勢に対して、必死の対応を迫られている。まさに日々是戦いである。あの頃の仲間は今どうしているのだろう。皆、それぞれの業界で頑張っているのだろうな。激動の中で生き抜くには、人々の知恵と勇気とチームワークが必須である。こんな今こそ「血をすゝり涙して」の精神を忘れずにいたいものだ。

(※)バンドとは、楽器演奏のバンドのことではない。日本の初期のキリスト教プロテスタント運動の中心地となったのは、横浜、熊本、札幌である。これらの運動をになった人々は、それぞれ「バンド」(群れ)の名をつけて通称される。札幌の運動の中心は、「少年よ大志をいだけ」で有名な札幌農学校(現北海道大学)教頭クラーク博士。熊本バンドは、熊本洋学校で教師L.L.ジェーンズの感化をうけ、1876年に入信した海老名弾正らによって形成された。新島襄が設立した京都の同志社英学校(現同志社大学)も熊本バンドの流れを汲む[5]。

[2012.2.25追記]
母校工学部運動会が再開したことは聞いていたが、応援団演舞も復活したとは。動画がUPされていた。懐かしかー。「ど・ぼ・く」で学生時代の記憶が一気に蘇る。我が採冶名物「真空切り」も見たかねー。


[参考・引用]
[1]熊本県立済々黌高 講師:養老孟司さん、あの作家が出前授業オーサー・ビジット、朝日新聞、2009年1月31日、
http://www.asahi.com/shimbun/dokusho/authorvisit/report_jh/2008/20090131_yourou.html
[2]熊本大学YMCA花陵会、ドクピラ・ブログ訪問診療つれづれ日記、2009年2月8日、
http://www.homeon.jp/blog/ブログ/post_10919/
[3]熊本県立済々黌高等学校、Wikipedia、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%8A%E6%9C%AC%E7%9C%8C%E7%AB%8B%E6%B8%88%E3%80%85%E9%BB%8C%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1
[4]熊本大学YMCA花陵会、
http://kwaryowkai.web.fc2.com/index.html
[5]バンド、キリスト教、エンカルタ百科事典ダイジェスト、
http://jp.encarta.msn.com/encyclopedia_761576315_9/content.html
[6]青藍会 熊本大学工学部化学系学生会、
http://133.95.131.3/~seiran/index.html

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[ 2009/05/01 14:51 ] bookshelves/本棚 | TB(0) | CM(7)

と申します。

寒いので、外に出れず、ネットで調べものをしており、偶然「時代錯誤」の記事を見つけました。1966年生まれの採冶(資源)の卒業生@東京です。

入学式の日、先輩から、挨拶は「押忍」だと教えられ、えらいところに入ったもんだと困惑した日が思い出されました。
部活も無理やり空手部に入れさせられたので、1年生の間は悲惨な思い出しかありません(笑)

伝統を守るのは、融通が利かないという悪い面と、続けるという尊い面があり、、、、、ま、良かったのか、悪かったのか。

唯一、言えるのは、文系の学部で、部活も文化部だったら、学食あたりで女子ともっとおしゃべりできたかなーと。

お近くでしたら、一度呑みませんか(爆)
[ 2011/02/11 21:17 ] [ 編集 ]

Re: と申します。

8704さん
寒いですね~。コメントありがとうございます。採冶懐かしいですな。
66年のお生まれということは、構内のどこかでお会いしている可能性はありますね。研究室はどちらですか?
私は松尾研で3年間衝撃班でした。SHOCKWAVEの研究はその後活かされていません(TT)。
最近米国の大学から帰任した会社の後輩が機械団出身ということがわかったのですが、
10年以上違うと運動会のことは全くわからないということでした(資源金属系は相変わらず「採冶」と呼称していたようですけど)。
伝統を守るのは融通が利かないはおっしゃるとおり。マンネリと退廃がはびこるのは、大相撲の八百長を見ていれば自明です。まあ、彼らは伝統に胡坐をかいて、伝統に対する尊敬の念がなかったということですが。昔を知っている人は淋しいでしょうけど、時代とともに形を変えていくのは正しい姿だと思います。
最近東京に出かけることが少なくなりましたが(横浜すらも出ない)、機会があれば1杯やりますかね。
[ 2011/02/12 10:30 ] [ 編集 ]

工学部運動会が'99年に途切れ、'08年に復活した理由など調べていてたどり着きました。

私は'90年に憎き(?)土木団に入学しました。
当時、採冶は材料開発工学科だったと思います。

血をすゝり涙して ・・  とても懐かしく感じます。
[ 2011/08/23 18:22 ] [ 編集 ]

yosuke様、ようこそ。
あの憎っくき土木団OBのご訪問とはこれまた嬉しい限りです(笑)
「血をすゝり涙して」を通して全く面識のない年齢も異なる同窓生らが繋がるとは不思議なものです。
その力に驚いています。
「武夫原頭」もそうですが、こういう応援歌・寮歌を通して卒業生が一つになれるっていいですよね。
早稲田や慶応はそういう雰囲気がありますが、国立大学のしかも一学部にこのようなDNAが存在するのは極めて珍しいと思います。
今を振り返ってみると、国、地域、会社、家族などが連帯感を持てる存在や機会が少なくなった気がします。
なでしこJAPANの優勝のような一過性のものともまた違うものです。
今の政党や”原子力村”も一種の連帯感をもっていますが、
彼らのように既得権益や保身で繋がった不純なものではない何か。
もっと純粋で精神の奥に作用する分子間力のようなもの、「血をすゝり涙して」や「工学部運動会」がそういうものだったのかもしれません。
運動会もまた形を変え復活したのはうれしいです。
このような貴重な経験を与えてくれた母校に誇りと感謝の気持ちを持ちましょう。
[ 2011/08/23 20:36 ] [ 編集 ]

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[ 2015/07/22 23:38 ] [ 編集 ]

工学団と機械団が発足しました

よろしければこちらも見ていただけると幸いです

http://m.youtube.com/watch?v=wSRyLk-8M30
[ 2016/08/12 14:56 ] [ 編集 ]

Re: 工学団と機械団が発足しました

これはこれは、情報ありがとうございます。
工学部運動会と熊本の力強い再生を嬉しく思います。
まだまだ震災の傷跡は癒えていないと思いますが、公私ともに学生生活を十分楽しんで下さい。勉強と研究もね。
この時の経験はきっと何かの糧になると思いますよ。
ところで工学団というのは全体の総称ですか?
さすがに採冶団はないと思いますが、電気、機械他の団も復活したのですかね。
[ 2016/08/12 19:07 ] [ 編集 ]

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