世界自動車図鑑

子どもの頃、誰でも図鑑を眺めるのは、心躍る知的冒険だったのではないだろうか。昆虫図鑑、植物図鑑、魚貝図鑑などなど。自分が絶対にお目にかかれないような不思議な形をした生き物や、信じられないほど美しい生き物など、ページをめくるたびに新たな発見が、別世界がそこにはある。小さい頃、魚好きだった私がお気に入りの図鑑は、小学館の「学習図鑑シリーズ③魚貝の図鑑」だった。魚博士で有名な末広恭雄氏らによるこの本をぼろぼろになるまで使っていた。後年、同じものを新たに買いなおしたくらいだ。今でも大切に本棚に並んでいる。図版は写真ではなく、石田武雄氏以下8名の方が描かれた絵が基本の図鑑。この絵が実にすばらしい。まさに図鑑は究極の絵本なのである。

現在の私が最も必要としているのが自動車図鑑。その中でも写真ではなく挿絵を使った大人向けのすばらしい絵本としては、先に紹介した「自動車の本」や、今回紹介する「世界自動車図鑑 誕生から現在まで」(アルバート・L・ルイス、ウォルター・A・マシアーノ・共著、ビヨルン・カールストローム、ゲーリー・W・マシアーノ、ダグラス・ロルフ、ロバート・ゴッデン・絵、徳大寺有恒・訳、草思社)、原題は“AUTOMOBILES OF THE WORLD”(Albert L.Lewis、Walter A.Musciano・共著、Björn Karlström、Gary W. Musciano、Douglas Rolfe、Robert Godden・絵、Simon & Schuster)があげられる。日本語版は函つきだが、その函に描かれたベンツ540Kのイラストは自動車イラストレーターで有名な穂積和夫氏の筆によるもの。彼は翻訳者の徳大寺有恒氏のベストセラー「間違いだらけのクルマ選び」(出版社も同じ草思社)の創刊からのイラスト担当者で、この心憎い演出もまた楽しい。

酒を飲みながら「世界自動車図鑑」のページをめくる

サブタイトル「誕生から現在まで」とあるように、時代順に構成されたアメリカ車を中心とした自動車史といった内容となっている(現在というのは1977年まで)。各章のはじめにはその時代の概要が説明され、各年代の車の生産台数や、道路の延長距離、死亡率などの事故データまでもが記載されている。概説のあとに、ページの許す限り個々の車についてわかりやすく説明されている。「空飛ぶ自動車」で紹介したTaylorのエアロカーや月面車ルナ・ローヴァーまで取り上げられている。また、自動車史に欠かせないヘンリー・フォードやポルシェ博士といった巨星についての説明も抜かりはない。勿論、実車を忠実に丁寧に描いた挿絵がいかにも”図鑑”らしい。訳者のあとがきにあるように、「自動車の歴史を知るうえできわめてバランスの採れた良書」であり、読者を飽きさせない。まさに図鑑冥利につきる一冊。すでに絶版本で、オリジナルは6,800円と決してお安くはないが、手に入れて損はない。たまに中古本市場で出回っているので、自動車好きの方、自動車産業史に興味のある方は要チェックである。

さて話が少しそれるが、生きた図鑑ともいえる博物館もまた、知的好奇心をそそられる存在である。この博物館に関連して、最近非常に悲しい記事を目にしたのであえてここで紹介しておく。自動車産業とも関係の深い産業技術史博物館のことである。

蒐集されていた史料1
蒐集されていた史料1

話は今から30年ほど前に遡る。私も近くに住んでいたことのある大阪府吹田市の万博記念公園内に「国立産業技術史博物館」の建設構想が持ち上がったのが70年代後半。バブル期の’86年に大阪府、大阪市、大阪商工会議所、日本産業技術史学会で作る「国立産業技術史博物館」誘致促進協議会が設置された。この協議会が歴史的な産業資料2万数千点を設立に向けて蒐集した。日本最初の発電所のタービンとか戦前の軍需製造機械などである。これらの資料は関西電力や東京農工大など約30の企業や大学、個人が寄贈した貴重なものばかりだった。

その後のバブル崩壊によって計画は頓挫し、これらの貴重な資料が行き場を失う。やむを得ず、万博公園内の旧万博パビリオン「鉄鋼館」を間借りし、日の目を見ることなく、今年までひっそりと保管され続けた。メンテナンスその他は、すべて武庫川女子大学の三宅宏司教授が個人の研究費を投じて、細々と行っていた。その「鉄鋼館」が新しいパビリオンとして改修されることになり、保管場所がなくなったのである。そこへ昨年からの金融クライシスである。財政難にあえぐ大阪府は倉庫を借りる保管費用を捻出できないという理由で、前出の誘致促進協議会の会合を開き、貴重な資料の「廃棄処分」を3月6日に決定した。そしてこの協議会も3月末で解散することとなった[1][2]。

蒐集されていた史料2
蒐集されていた史料2

保存を広く呼びかける動きも起こり、少数の博物館、民間企業などが実物資料の一部を引き取り、紙資料の大半は大阪産業労働資料館(エル・ライブラリー)という民間企業が引き取ったものの、大半の歴史的資料は「粗大ゴミ」として3月23日に捨てられた[3]。私がこの事実を知ったのは、すでに廃棄が済んでしまった新年度になってからである。何が悲しいかって、この暴挙に手をこまねいて見ているだけの産官学の態度である。文化庁は「資料の価値が十分に周知されていなかたため引取り手が現れなかったようだ。廃棄処分は極めて残念。」と他人事のコメント。本来業務を怠った文化庁は不要だ。

主役の産業界はいったい何をしていたのだ。大阪商工会議所にもがっかりだ。現在の世界に冠たる産業技術立国日本を振り返る証となる歴史的文化遺産を見捨てたのである。日本の産業界が一夜にして現在の地位を築いたわけではない。技術の進歩の小さな積み重ねでそれは成されたのであり、そのことを後世に伝えるべく資料がスクラップにされるのを静観するなんて、己のアイデンティティを否定したことに等しい。

博物館というものは地味に思われがちだが、図鑑と違って現物に触れることができる本来は楽しい場所だ。私も一産業界のエンジニアの端くれ、その経験から言えば、機械の仕組み、機能を理解するには、現物を見るに限る。しかし、その産業技術の歴史的変遷を一堂に陳列した専門の産業技術史博物館というものが残念ながら日本には存在しない。「ジーゼルストーリー」でも紹介したが、ディーゼル機関の父、ルドルフ・ディーゼルは、住んでいたパリで、ロンドンで博物館通いに明け暮れ、当時の最先端技術である蒸気機関などに触れたことで、彼の技術者としての基礎を築いたのである。そのように、産業技術史博物館は未来の産業界を担う人たち、子どもたちの教育の場でもある。教育は国力の源泉といっても過言ではない。その意味を十分認識している欧米諸国は、博物館が非常に充実している。一方、日本の有識者たちは、ちょっとのお金をケチったばかりに、その貴重な教育の場を放棄した。

廃棄の日
廃棄の日

前述の捻出できない保管費用は、大阪商工会議所によると年間1,000万円だそうだ[1]。工夫すれば博物館の建設費も2億円、年間運用費も2,000万円程度でできたという[4]。確かにこの経済不況の折に1,000万円は決して小さな額ではないが、1,000人の従業員を抱える企業が一人100円を負担すれば10万円、そんな会社が全国から100社集まれば、少なくとも保管の継続を賄える額となる。いくら不況でも、歴史遺産の保存に一人年間100円寄付と考えれば理解も得られよう。なぜそういう風に考え、産業界に協力を呼びかけるなどのアクションを起こせなかったのだろう。最終的に廃棄の判断をした大阪府の罪は重い。所詮、橋下知事の見識もその程度のものだ。また、この希少価値を最も理解していたはずの日本産業技術史学会も、何ゆえ廃棄の決断を許したのだろうか。

こういう目に見えにくいところ(=文化)に正しい決断を下せるのが、本物の指導者だと思う。そういう指導者が、この国にはいないという悲しい証左となった出来事だ。「私のしごと館」のような誰もが無駄と思うハコモノは簡単に作れ、このような意義ある教育施設は切り捨てられる。モノの価値が全くわからなくなった日本人。本当にこの国の未来に次の100年はあるのだろうか。心配を通り越して、諦めにも似た気持ちになってしまった。

すっかり本題から脱線してしまったが、本書「世界自動車図鑑」も自動車産業史資料として、後世に遺しておきたい良書の一つである。

作者のアルバート・L・ルイスは1915年生まれ、ボストン育ち。ごく若いときから出版と広告の仕事に従事。とくに模型飛行機に強い関心を持ち、1938年には模型飛行機協会(AMA)の会長の要職につく。一方、「エア・トレイルズ」「ヤングメン」など、現在では熱心な収集家たちの間で引っ張りだこになっている雑誌の編集者として名を挙げ、出版界で革新的・指導的な役割を果たした。またフリーのライターとして「クリスチャン・サイエンス・モニター」「ボストン・ヘラルド・トラベラー」などに寄稿。晩年はエアロ・ファイル・ブックスの編集長、コンデナスト社の自動車部門編集者を兼任。ルイスが本書の構想を得たのは、上述の時期だったが、惜しいことに1974年、本書執筆中に死去。本書の完成は共著者のW・A・アシマーノに委ねられた。

Walter A.Musciano
Walter A.Musciano

そのW・A・アシマーノは、1922年ニューヨーク市生まれ。アルバート・L・ルイスと同じく1930年から模型飛行機協会(AMA)のメンバー。少年期より自動車の魅力に取りつかれ、ついにフォーミュラFクラスのレースにまで関係。自動車、とくに模型自動車に造詣が深く、多くの記事を雑誌に寄稿、著書も多い。

徳大寺有恒
徳大寺有恒

訳者の徳大寺有恒は、1939年東京生まれ。成城大学経済学部卒業。第2回日本グランプリ出場などのプロドライバーとして活躍した後、モータージャーナリストに。1976年に著した『間違いだらけのクルマ選び』(草思社)は大ベストセラーとなり、その後、毎年「年度版・間違いだらけのクルマ選び」で日本のクルマを厳しく評論。雑誌「NAVI」「ベストカー」そして「ENGINE」を中心に、社会的、文化的な側面からクルマを捉えるクルマ評論を展開。消費者サイドに立脚した自動車評論の第一人者。

[参考・引用]
[1] なぜ日本はテポドンで右往左往するのか?技術に定見を欠く人材育成がもたらしたもの、2009年4月6日、伊東 乾の「常識の源流探訪」、日経ビジネスONLINE、
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20090403/190980/
[2]【再録】幻の産業技術史博物館~大阪万博公園に眠る2万点の産業遺産、2008年11月03日、凡才中村教授の憂鬱、
http://stroller.blog.eonet.jp/stroller/2008/11/2-6b9b.html
[3]敗北宣言。大阪の産業遺産資料は廃棄完了しました。、2009年03月27日、凡才中村教授の憂鬱、
http://stroller.blog.eonet.jp/stroller/2009/03/post-03a9.html
[4]「万博記念公園を世界遺産に」 ②鉄鋼館に眠る産業技術遺産、2006/02/21、日経関西コンシェルジェ、
http://kansai-concierge.nikkei.co.jp/kansai-alacarte/detail.asp?wrt_cd=1826&bk_p_no=5
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