T型フォード

1908年「T型フォード」

今年は自動車業界にとって、特にアメリカの自動車産業にとって未曾有(みぞう)の年であったと思う。GMとクライスラーには、とりあえず米国政府による緊急融資が決まり、年内の破綻は免れたが、この2社とフォードを含めた、いわゆるビッグ3は来年生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされている。ちょうど100年前、アメリカの自動車業界は大きな潮流の始まりの年であった。今や瀕死の状態であるGM(ゼネラル・モーターズ)、その後世界一の自動車会社となるこの会社が、1908年9月16日に産声を上げた。そして、もう一方の雄、フォード・モーターが、今日の近代化された大量生産の基礎ともいえるベルトコンベアによる「流れ作業方式」を自動車業界に導入し、自動車の大衆化を目指して開発した「T型フォード」の最初の市販モデルの1台が、1908年9月27日に、デトロイトのピケット工場でラインオフした。

ヘンリー・フォードとモデルN
ヘンリー・フォードとモデルN

そもそもなんでモデル“T”なのか。このT型以前にフォードには様々なモデルがあった。1903年の会社設立当初は、悪路の多いアメリカの道路事情に即した2気筒エンジンのバギー型のモデル「A」(1903年)、「C」(1904年)、「F」(1905年)と、本格的な自動車形態を持つ4気筒エンジンのモデル「B」(1905年)、大型6気筒エンジンのモデル「K」があった。もともと小型大衆車生産に重点を置いていたフォードは、1906年本格的な4気筒小型車モデル「N」を投入し、これがヒットした。派生型モデル「R」「S」もあり、この頃から部分的な「流れ作業方式」が採用されていたものの、生産が需要に追いつかなかった。従来の生産方式に限界を感じたフォードは、大量生産に適した新型車を開発する。これがモデル「T」である。

1909年10月から市販が開始されたT型フォードは、先の「Tin Lizzie」でも紹介したように、1909年に1万8千台を生産するほどの大ヒット車となった。このヒットによりヘンリー・フォードは、並行生産していた小型車モデルN、R、Sや高級車モデルKの生産を停止し、モデルTただ1種に絞り込んだ大量生産を決断、今でいう選択と集中の経営に舵を切った。この判断の正しさはその後の歴史が証明している。

ハイランド・パーク・フォード工場
ハイランド・パーク・フォード工場[4]

1909年デトロイト郊外に、歴史にその名を留める新しい巨大工場「ハイランド・パーク・フォード工場」を建設、1910年に完成、稼動を開始した。広さは24ha=東京ドーム約5個分、採光用にガラスを多用した画期的なデザインで、「水晶宮殿」などと呼ばれた赤レンガ工場は、大出力ガスエンジンと電気モーターを動力源に用いた近代的生産設備を備えていた。有名な「流れ作業方式」は1913年から開始され、最終的に日産千台をこなしたそうだ。「流れ作業方式」自体はフォードの発案ではなく、前例はあった。ただフォードがすごいのは、当初の「流れ作業方式」が、ベルトコンベア上に「部品」を流し、固定化された「車体」に工員が組み付ける方法であったのを、より効率化を高めるために「部品」を固定化したままで、流れてくる「車体」に取り付けるという逆転の発想を用いた点だった。まさにこの方法は、現在の自動車生産の方式そのものである。

T型フォードの基本スペックであるが、エンジンは「N」型と同じ直列4気筒エンジン搭載、排気量2896cc、公称出力20HP。最高速度は約40~45マイル/h(約64~72km/h)程度であったが、最大トルクは11.3kg-m/1,000rpmで低速域での扱いやすさを狙い長時間の運転にも耐える実用型エンジンである。ゆえに、絵本「Tin Lizzie」にも描写があったように、農場の運搬用車両としても重宝され、これをベースにしたバスやトラックも世界中で用いられたようである。車体形状は二人乗り(2形状)、五人乗り(1形式)、7人乗り(2形式)の3種類5形式と、意外にもバリエーションに富んでいるが、シャシーは同一だった。

1912年型から生産性を高めるため、それまで3種類から選択できたボディ塗色を、黒のエナメル塗り1色のみに絞り込んだ。黒塗りを選んだのは、黒塗装が一番乾きが早かったからだ。これも選択と集中の経営の賜物であるが、この無骨なデザイン戦略が後のユーザー離れを誘発することになる。肝となる販売価格であるが、発売当初の1908年は800ドルを越え、馬車の500ドルを上回ったものの、「流れ作業方式」による大量生産により、4年後の1912年に600ドル、さらに10年後の1922年には290ドルと馬車の半値を実現して、普及は加速した。1927年の生産終了までの総生産台数は1,500万7,033台で、これはフォルクスワーゲンビートルの2,100万台に次ぐ歴代2位の記録である。

映画「モダンタイムス」
映画「モダンタイムス」

T型フォード発売当時は1900世帯に1台だったクルマも、1926年には全世帯の8割もが所有するようになった。当初の目論見とおり、アメリカにおける自動車の大衆化の貢献大である。この車の生産で有名になったベルトコンベアによる「流れ作業方式」は、フォーディズム(フォード方式)とも呼ばれ、その後の衣類やハンバーガーまで、あらゆる商品に浸透し、大量に安価な商品が市場に出回ることで、人々はモノの恩恵を享受した。一方で、労働者の在り方にも大きな変革を与え、チャップリンの「モダン・タイムス」の風刺に代表されるように社会へ多大な影響を与えるようになったのは周知のとおり。会社はモノの大量消費を煽り(某自動車メーカーが「モノより思い出」のキャッチコピーでCMを流したとき、偽善に思えたのは私だけであろうか)、労働者を歯車=コストの一部と考え、簡単に大量の労働者を切ってしまえる現代社会に、フォーディズムは今なお影響を与え続けている。

T型フォード生誕から2世紀目の来年、待ったなしのフォード・モーターはどういう策に出るのだろうか。また、フォーディズムの呪縛から抜けられない我々は、どう変革していかなければならないのだろうか。

[参考・引用]
[1]フォード・モデルT、Wikipedia、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%87%E3%83%ABT
[2]フォード・モーター、Wikipedia、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC
[3]100年この100台、T型フォード、立花啓毅、p43、ahead、2008年2月
[4](4)超ヒット作「T型」について、クルマが語る人間模様、丹羽隆昭、開文社出版
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[ 2008/12/30 19:20 ] cars/車のお勉強 | TB(0) | CM(1)

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[ 2012/12/19 21:15 ] [ 編集 ]

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