二眼レフ

Primoflex

もう数週間前になるが、11月の最後の三連休に、娘と二人で福岡の実家へ帰省した。息子と妻はお留守番。すっかり歳老いた両親の様子を伺おうと、数年ぶりの帰省。そして帰省した際には、例のものを父から貰おうと企んでいた。

久しぶりの孫との再会に、両親はずいぶん喜んでいたようだ。旅行中、娘の書いた絵日記帳の題目を見て爆笑。タイトルは”いざ、九州へ!”。久しぶりの遠い地、九州ということと、たったの3泊4日であったが、母親と弟と別れて過ごすことによほど不安があったのだろう、ずいぶん気合の入ったタイトルとなった。

いざ!九州へ
いざ!九州へ

来年八十の父と、今年喜寿の母。癌の再発による抗がん剤の影響で、母の髪もずいぶん薄くなった。でも、最近の医療はすごいもので、PET(ポジトロン断層法)という診断技術で、ゴマ粒大の早期癌も発見できる。幸い肺の癌は消え、現在は骨への転移の治療だ。早期癌であればいろいろと対処療法があるので、今後は抗がん剤とうまく付き合いながら暮らしていくことになるらしい。父も十年くらい前に、軽い心筋梗塞で一度倒れている(酒の飲みすぎで、玄関前に倒れていたこともあるが・・・)。まあ、年相応にガタガタの両親なのである。孫もまだ小さいので、できるだけ長生きしてもらいたいと願った帰省だった。

変貌著しい故郷福岡
変貌著しい故郷福岡

両親の姿もすっかり変わったが、故郷の姿もまた大きく変貌した。私が福岡市内で暮らしていたのが、誕生後2年間と、中・高・予備校の7年間。わずか9年の博多っ子。北九州は小倉での幼稚園、小学校時代を含めれば、福岡県在住は16年。それでも、就職で上京し、途中大阪勤務が3年あったものの、横須賀在住が計17年。横須賀が一番長くなってしまった。

そんな古い時代の写真を娘に見せて喜ぶ母と、幼い父親の姿に喜ぶ娘。ちょうど私が生まれた頃に父が使っていたカメラが、今じゃ骨董品扱いの二眼レフ。小学生くらいのときに、2つ目のおもしろいカメラだなあと思って触って遊んでいた記憶があり、まだ所有していたら貰おうと思っていたのだ。カメラ趣味は特にないのだが、あの昔懐かしい、ノスタルジックなスタイルが頭にこびりついていた。

それはまだ大事に保管されていた。当然、今は使っていない。東京光学機械製「Primoflex Automat」(冒頭写真)。一応、革ケースも露光計、セルフタイマー、レンズフードも、フル装備で残っていた。状態もまずまずのようだ。昭和31年、父が就職した年に購入したそうだ。1950年代は二眼レフ全盛の頃で、そのころの代表的な国産機種の一つだ。昭和の国産マシンとして棚に飾っておくだけでも絵になるが、やはり使ってやらないと。近所の中古カメラ屋さんで、ちゃんと使えるのか見てもらおうーっと。

さて、戦利品も手に入れ、”いざ、横須賀へ!”。福岡の空港では、娘も楽しかったのだろう、別れ際感極まって涙を流して祖母と抱き合う。機中でも祖母からの手紙を読んでまた感涙。遠く離れた地に住む歳老いた両親の事を考えると、会えるのもこれが最後かもと、私は別な意味での感慨がこみ上げる。不覚にも目頭を押さえてしまった。(ずっと泣いている娘には気づかれてないな・・・よしよし)

家路に着き、娘曰く「パパ、飛行機の中で泣いてたでしょ」。「へっ、見てたの!」
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[ 2008/12/10 22:16 ] favorites/MONO | TB(0) | CM(0)

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